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摂氏911

自然な生き方をめざす女性が、日々のできごと、感じたことなどをつづります。

1月26日(火)のつぶやき

2010-01-27 01:06:35 | 気づき
14:06 from HootSuite
今夜19時半のNHKクローズアップ現代「ほめると変わる?家族と社会」で、石川県津幡町の水野スウさんという女性が紹介されます。長年自宅で「紅茶の時間」を開催。平和、人権、子育て、教育、介護、環境など、さまざまなことについて、参加者が思い思いに語りあう活動を続けていらっしゃるそう。
22:59 from web (Re: @TairaSakakibara
@TairaSakakibara 生で見てきました。個人的な印象を言えば、やはり現職は強かったかな。具体性がありました。
23:04 from web (Re: @TairaSakakibara
@TairaSakakibara それから、メインの2人以外にも3人の候補者がいました。「泡沫」と思った自分自身の未熟さを反省。。全てではないけどところどころ納得させる発言あり。「出よう」という覚悟自体が敬意に値すると思います。
by kuschana on Twitter

土になりたい

2010-01-26 23:55:32 | 気づき
自分のビジネスプランを磨き、
仲間や協力者を見つけ、
情報やネットワークなどの資源へアクセスするため、
政策学校、一新塾に再度入りました。
先週末は、その一新塾の地方で学ぶ塾生が集まり、
京都の仁和寺で合宿をしました。

一新塾では、1人1人が自分の夢を語り、
それを政策提言か、社会起業か、
市民プロジェクトとして形にします。
今回の合宿では、
自分の夢をチームプロジェクトとしてプレゼンして、
同志を募ることになっていました。

せっかくまた入塾したのだから、
チームを立ち上げるためにエントリーしなくちゃと思い、
私も提出締めきり時間ぎりぎりまで資料を作ろうとしましたが、
どうにもいいものができませんでした。
それで、2つのことを思い出しました。

1つは、心理学の先生に言われたことで
変わりたいと思うなら、
今までと違うことをする必要があるということ。
もう1つは、水野博子さんに言われたことで、
すべてを受け入れるということです。

私はこれまで、まず自分の主張を出す方でした。
だから、今回のような機会には、
必ず自分のプランを出して、
チームを立ち上げていたことでしょう。
実際、前回塾生だった時には、
チームリーダーをやりました。

でも、今回合宿の直前になっても
思うように資料が作れないというのは、
今までと違うこと、
つまり自分がチームメンバーとして
他の人のプランを応援する側に回ることを
やってみる機会のような気がしたのです。
そう思えたら、合宿で他の人のプレゼンを見るのが
楽しみになりました。

そして、合宿では予想以上に
私と似たような思いを持っている人が多くて驚きました。
やはり、私の判断は間違ってなかったようです。
応援したい人がたくさんいました。


昨日は、一宮の友達のところへ行き、
NPO設立について話し合いました。
彼女のプランを聞いて、
私が協力できる方法を具体的に詰めました。

その人の可能性を最大限に引き出す
天職づくりのお手伝いをするコンサルタントの仕事が
走り出したようです。

考えてみたら、コンサルタントとかカウンセラーは
あくまでもクライアントを応援する裏方でした。
そんな当然のことも、自分が先走っていると
忘れてしまっていたようです。


私はよく占いなどで、参謀役とかNo.2の役と言われます。
確かに、学校時代から裏で仕切ってるタイプだったかも(^^;
でも、老子の中では、本当にすばらしい世の中では、
誰が統治しているのか分からないとされています。
また、これからの時代のリーダーは
「俺について来い!」タイプではなく、
羊飼いのようにうしろからうまく追い立てて行くタイプだとか、
上手に人をまとめていくファシリテーターだとか、
言われています。
案外、私はそういう素質を持っているのかな??


別なたとえを使うなら、
植物に根を張らせ、栄養を与えて育てる
土のような存在かな。
土とか、大地はよく、「母」とか「女性」の象徴として
使われたりしますし。
私がこれまで苦手としていた女性性を磨いていくことが、
意外に私がずっとやりたかった人を応援する仕事をするために
とても意味があるのかもしれません。




赤ちゃんごとキー閉じ込み!

2010-01-22 00:26:39 | 気づき
今日は、産院の6ヶ月健診に行って
ベビーシートをつけ終わった後
鍵とバッグを座席に置きっぱなしでドアを閉めたら、
なぜか車全体の鍵が閉まっていて
赤ちゃんを車に入れたまま締め出されてしまいました
うわぁ~、最悪
携帯も使えないので、
急いで産院の受付の電話を借り、
じーちゃんに連絡して、
JAFを呼んでもらいました。

受付で「車から締め出されちゃったから、
JAF呼んでください」とじーちゃんに頼むのも
けっこう恥ずかしかったけど、
駐車場で車のそばでずっと立ちんぼしてるのも
ちょっと恥ずかしかった。。

でもそれより、赤ちゃんに申し訳なかったです。
駐車場に戻ったら、当然ながら
赤ちゃんは火がついたように泣いてました。
ベビーシートを設置する間も
キーを不用意に座席に置いておかなければよかったなぁ

しかし、なんでロックのボタンも押してないのに
鍵が自然に閉まるわけ!?
もしかしたら、鍵の締め忘れ防止のために
ロック解除してしばらくすると
また閉まっちゃうっていう機能のせい?
ったく、余計な機能つけるなっつーの!

そんな風に思いながらも、
以前ほどにはカッカしない自分がちょっと不思議で、
なんだか物足りなかったのか、
ちょっとだけ車に蹴り入れてみました。

その後、こんな”事故”は
何か大事なメッセージだと思い、
一体なんだろうといろいろ考えを巡らせましたが、
わかりませんでした。
それで、水野博子さんが言っていたことを思い出しました。

「『なんでこんなことが起きるんだろう!?』
と思うようなことが起きた時は、
自分のここ(お腹を指しながら)に聞いてみるんです。
あるいは、『○○さんの言葉を通して教えてください』
などとお願いしてみます」

うーん、私にそんなことを教えてくれるのは
誰だろうなぁ。
誰かの口を通して教えてもらっても、
また反発しちゃったらいやだから、
もっといい方法はないかなぁ。

でも、今年の私は素直になる、
受け入れるがテーマでした。
それで、
「学ぶべきことがあったら
なんでも受け入れようと思いますので、
教えてください!」と
天に向かって頼んでみました。

すると、しばらくしてから
「だいじょうぶだよ、怖がらなくても。
そんなに大変なことにはならないから」
みたいな温かいメッセージを感じました。
なぜか、それは女性から来たものだとも感じました。


結局、30分弱でJAFの方が来てくれて、
無事鍵を開けてもらえました。

帰宅してから、赤ちゃんと一緒に昼寝をした時、
車の中で赤ちゃんが泣いているのに、
何もできないで窓からのぞきこむ
無力な自分を思い出しました。
それを思い出した時、
ただ車から締め出されただけでも
そんなに心苦しく、つらい思いをするのに、
阪神大震災の時、建物の下敷きで
身動きがとれずにいる家族を残して
火事から逃げなければならなかった人たちの気持ちは
どれほどのものだったんだろうと思いました。
全く想像もつきません。。

でも、それだけの悲惨な経験を乗り越えて、
あの震災からは大きな愛のエネルギーが
生まれたのだと水野さんは書かれています。

「阪神大震災は、神が七日目最後の仕事を始める記念すべき日です。
一瞬に臨終を迎えた死者たちの御霊は知っていました。
自分たちが大きな愛の炎を立ち上げることを…
そうして、天命を果たした彼らの御霊は、千の風になって、
地球が1つの星になる為の風を起こしたのです。
震災の後には、人と人との絆が生まれ、助け合い励まし合い
「愛」のエネルギーが生まれました。
死者の哀れを思うより、感謝の気持ちが沸いてきます。
彼らの天命の功績は、その後の災害にも活かされ、
助け合い、分かち合いの心が育っていきました」

似たようなことが、昨日も取り上げた
マシュー君のメッセージにも出ていました。

最近、ハイチで大きな地震がありましたが、
そこにいち早くかけつけたのは、
四川大地震を経験した中国でした。
そして、最近見たテレビでは
その中国の震災復興の現場を勇気づけていたのは、
阪神大震災の被災者たちだったことを
取り上げていました。
阪神から始まった愛のエネルギーが
受け継がれていってるようですね。


で、そんな気づきを得た私ですが、
すごく感情が高ぶった赤ちゃん閉じ込め事件の気づきにしては
なんだかしっくり来ない感じです。
ハイチの大地震について
何かまだメッセージがあるのかな?
それとも、ごく最近「富士山」というメッセージが
よく入ってくるので、
何か関係あるのかな?

よくわからないので、
水野さんが勧めるように
自分の内側にもっと教えてくれるよう
頼んでみます

選択と決断

2010-01-20 22:01:20 | 気づき
カレンダーは買うものということを私が知ったのは、
アメリカにいた時でした。
日本にいた頃は、カレンダーは年末になると
どこからかもらってくるものだと思ってましたから。

同じように、寝具を色や柄で
きちんとコーディネートして買うことを知ったのも
アメリカでした。
まるで服を買う時のように、
いや、もしかしたらそれ以上に念入りに
寝具を選ぶことは、驚きでした。
我が家の寝具は、だいたいどなたかからの
贈答品でしたから。

そうやって考えてみると、
私達があまり意識もせずに使っているものが
いかに多いか、気づかされます。
最初使うことになった時は、
「えっ?これ?」
と思ったりしても、
「ま、いいか」
って妥協してしまうことも多い気がします。

でも、そうやって過ごしていると
どんどん自分の感性にほこりがたまってしまって
本当に自分にふさわしいものに出会っても
反応できなくなっちゃうんじゃないかな?

カレンダーや寝具ならまだしも、
学校とか、大学での専攻とか、仕事とか、
保険とかマイホームなどの高い買物とか、結婚相手とか、
どんな基準で選んできたでしょう?
本当に自分の感性=断捨離で言うところの内在智で
選んでこられたでしょうか。。


昨日、友人から借りた
「現代社会のスピリチュアルな真相」という本に
17歳で亡くなったマシュー君という少年のスピリットを通して
神が語ったというメッセージが載っていました。
そこに、こんなくだりがあります。

「”ばかばかしい予言”があまりにも多い中で、
2012年に期待できる”崇高な”こととはなんだろう?
それは、どこにでも起きるすべてのことに言えるのだが、
それは1人ひとりの選択と決断次第だ。
確かなことは、地球といっしょにより高い次元に旅するあなたたちは、
約束された黄金時代に生きるだろうということだ」

選択と決断。
それに伴なう覚悟と勇気。
それが今必要なのかな。


断捨離セミナーの中で、
ひでこさんが断捨離は
生きていく力のトレーニングだと言っていました。
なぜなら、生きることは
選択と決断の連続だからだそうです。

たかがカレンダーであっても、
どんなものなら自分の部屋に飾った時
心地よく感じるのか。
1つひとつ感じとって、選んでいくことが大切なんですね。

そして、それを重ねていくことで
人生を左右するような大きな決断も
迷わずにできるようになっていくのでしょう。


最近、セミナーに出ていなかった人にまで
断捨離が伝染してきているようで
とってもうれしいです。

早く、政治家とか行政の職員の方とか
感染してくれないかしら?
ひでこさんもよく言ってますが、
断捨離ができるようになったら、
八ツ場ダムなどの公共事業は、
「途中まで作ってしまったんだから、
最後まで作らなかったらもったいない」
なんていう発想にはならないはずですから。

選択と決断。
私たちフツーの市民から政治家まで
みんなが今一番必要としていることですね、きっと。


自分とアポを取る

2010-01-16 23:38:24 | 気づき
引き続き、断捨離セミナーで得られた気づきについて。。

モノがたまりやすい癖として、
先送り体質があります。
私などは典型的な先送り体質で、
やりかけの仕事が入ったクリアファイルが
一体いくつあるのか。。
やる時は、ものすごい勢いでやるくせに、
火がつかなければ、下手すりゃ何年も
放っておきます
自分で一番嫌いな部分の1つでした。

以前、時間管理のセミナーを受けた時、
仕事を重要性と緊急性の2つの軸で分けた場合、
一番やっかいなのは重要だけど、
緊急性がない仕事だと講師の先生が言っていました。
「時間ができたらやろう」と思って、
つい後回しになることが続くからだそうです。

私達は、人との約束は一生懸命守ろうとします。
時には、「これは相手のあることだから」などと言って、
予定を動かせない理由にしたりします。
じゃ、一番身近で大事な自分自身との約束は
どうなのでしょう?
なかなか立てないものではないでしょうか。

そのことに気づいたので、
これからは自分と断捨離のアポを取ることにしました。
できるだけ細かく断捨離の作業を分けておいて、
簡単なところから、少しずつ、毎日やりたいと思います。
少しでもやったという達成感が
自己肯定感につながることを
私も前回の断捨離で経験しましたから。。


一方、私は他の人との約束、外出の予定などを
できるだけ断捨離してみることにしました。
昨日は、楽しみにしていた河野智聖さんの
子育て講座がありましたが、
セミナーの疲れもあったし、
残務もあったので、
泣く泣く行くのをやめました

その代わり今日は、2度目のお誘いを受けた
不思議なクリームの体験会に行ってきました。
こちらの話は、また明日にでも書きたいと思います。


降りてゆく生き方

2010-01-16 01:20:48 | 気づき
昨日までの3日間、断捨離セミナーを開催しました。

個人事業として初めての開催。
自分でリスクと責任を負っての主催は、
本当に学びが多かったです。

そして、もちろん断捨離セミナー自体も。
不思議なことに、毎回セミナーが始まる直前か直後に
その日の一番大事な気づきがありました。

なんと言っても今回一番大きな気づきだったのは、
自分の人生はまるでぎゅーぎゅーにモノが詰まった
棚のようだったということ。
少しでもたくさんの知識や経験を積めこもうとしていました。
そして、それが多ければ多いほど
自分の価値が高くなると思っていました。

これからは、違います。
捨てていったら、私1人では手に入らなかったものが
自然に流れこんでくると思えます。
これが「降りてゆく生き方」なのかな。

あ、まだ書いていなかったかもしれませんが、
「降りてゆく生き方」というのは、
私が12月に名古屋で見てきた映画で
すっごくいいです。
これの上映会を今年やりたいと思ってます。

断捨離セミナーの詳しい話は、
また後で載せられたらと思います。
詰め込み人生の私の書斎の写真は、
ひでこさんのブログに掲載されました(爆)
興味のある方は、どうぞ!
本物を見たい方は、今のうちにお問い合わせください。
もうじき、快適空間に生まれ変わる予定です。

静脈をつくる

2010-01-08 23:43:42 | 気づき
金沢にいた頃の家のそばに、足軽屋敷がありました。
今の感覚では狭い家だけど
それで十分1世帯が暮らしていけたんだなぁと
昔の人の質素な暮らしぶりに思いをはせては、
感心したものでした。

そんな質素な生活は、戦後10数年は
ある程度残っていたのかもしれません。
1つの畳の部屋が、ちゃぶ台を出せば食堂になり、
ふとんを出せば寝室になる。
狭くても融通のきく家は、
省資源で本当はとてもエコだったんだと思います。

そんな日本人の暮らしぶりは急速に変わって、
今では世界でも最もモノがあふれる家になっているようです。
昔の日本は、ほとんどすべての資源をリサイクルする
循環型社会だったそうですから、
きっと何でも「もったいない」と言って
丁寧に長く使ったり、再生に回していたのでしょうね。

でも、今の日本にはそんな資源循環の仕組みや
そこで使われていた再生可能な資源の利用は
ほとんど姿を消してしまいました。
そんな今の日本では、使い捨てのモノを大量に捨てる一方で、
いろんなものを買いこみ、
「もったいない」と言って貯めこむようになりました。

そんな今、片づけに関する仕事が増えてきているようです。
去年見たテレビ番組では、「片づけ士」の名刺を持った方が
依頼者のお店や企業でピンポイントのアドバイスをしていました。
何日か前の新聞には、ライフオーガナイザーという仕事を
アメリカから日本へ導入した方の話が載っていました。
以前見たテレビでは、遺品整理で200万くらいかかったという
事例を取り上げていました。

断捨離も含めて、そういうお仕事の人が増えてきたのは
このモノ溢れの状態へ問題意識が向いてきたあらわれとして
いいことだと思います。

ただ、これから環境を守りながら
本当に社会の中でモノの流れをよくしようとしたら、
いらなくなったものを再利用するための
「静脈」の仕組みをもっと整える必要があると思います。
これは一昨年、断捨離を始めた時から、
ひしひしと感じていました。

「もったいない」と感じてしまってモノを捨てられないのは、
多分に心理的な問題があるのですが、
実際にまだ使えるものを焼却炉で焼いてしまうのは、
やっぱりもったいないと思います。
モノにもできるだけ、お役をまっとうしてもらえるよう
そのモノの用途や状態に合わせて、
次の行き先を選び、手放していくための仕組みを考えたいものです。

とりあえず、今回の断捨離セミナーの前に、
できるだけそんな行き先のリストと行き先を決めるための
フローチャートのようなものを作りたいと思ってます。
「ブランド物はオークション、質屋へ」とか
「未開封の雑貨などは、学校や施設のバザーへ」とか。
ほかに、フリーマーケットの開催スケジュールを知らせたり、
出店のコツを教えるミニ教室とかあってもいいかな。
以前、G-netでネットオークションへ
出品するためのセミナーを開催して、
好評だったらしいし。
あとは、いろんなチャリティで欲しがっているもののリストとか、
資源ゴミとして出せるもののリストとか。

こういう情報をSNSのコミュなどに載せて、
「売ります/買います」「あげます/ください」などの
情報と合わせて、見られるといいなと思ってます。


とにかく、私はもったいないことが嫌いで、
必要とするところに必要とされているものが流れるよう
お手伝いするのが、1つのお役目のように感じるので、
ぼちぼちやってみようと思います。

無為自然な仕事の仕方?

2010-01-07 23:27:23 | 気づき
先般、お金のことや自分がこれから
やりたい仕事のことを書きました。
今回、断捨離セミナーを1人で主催してみて感じたのは、
このスタイルはやっぱりさみしいし、
ワクワク感がちょっと足りない気がしています。

考えてみたら、私は自分だけのためにお金をもうけたいから
会社を作って仕事をしたいのではなく、
その時々にやりたいことを
ご縁のあった方とお互いのいいものを持ち寄って、
一緒に作り上げ、成果を分かち合うような
仕事をしたいのでした。
私は、社会の課題を解決する方法を考えるのが好きです。
そして、人が持って生まれた可能性を発揮して、
輝くのを見るのも好き。
次はその両方を組み合わせた
1つで2度おいしい事業をやりたいと思ってます。


それから、先般お金の話を書いた後も
だいぶお金について考えることがありました。
後から読み返してみると、
あのお金の話もなんだかえらそうに書いてありますね。
お金って本当はこういうものだって教えてあげましょう、って
上から目線が感じられる。

あの時の私が忘れてた、お金に関する大事なことがありました。
私は断捨離セミナーの値段を念頭に、
やたらと安く設定はしないことの大切さを書きましたが、
本来価格というのは固定されているものではなく、
売り手と買い手が交渉して決めるものでした。
もちろん価格だけでなく、モノ/サービスの内容についても
本来は交渉できていいはずなのです。

そんな風に考えたら、
ことさらに値段は安く設定しないという
ポリシーのようなものを掲げなくてもいいなと思えました。
基本的には価格、モノ/サービスの内容は交渉可能ということで
「希望小売価格」みたいな表示を考えようかしら??
よく言われるように、本当にいいものなら
お金は後からついてくると信じられるのです。

大好きな企画で社会に参加させてもらって、
すてきなご縁をいただいて、
一緒にワクワクしながら何か作り上げられたら、
それだけでとっても幸せ。
きっとそういう楽しいところでは、
質のいい仕事もできると思います。
そして、人もモノもお金も運も
そんなところに引きつけられてくるんじゃないかな。

そうそう、私の大好きな「老子」の中の言葉で言えば
もっと作為を減らして、無為自然に、
仏教的な言葉で言えば、空(くう)になるようにしてれば
いいのかもしれません。

やっぱり仕事でもワクワク感を感じる方向へ進もう。
というか、自然に向かって行ってしまう方への流れに
乗ってみようと思います。


前回の記事の訂正?補足?

2010-01-06 00:13:12 | 気づき
最近、日中にはいろいろブログに書きたいことを
思いつくのですが、
すぐにメモしておかないと忘れてしまいます
つくづく記憶力が衰えたなぁと思いますが、
それはそれで意味があることなんでしょうねぇ。
脳が勝手に記憶を断捨離してくれてるのかな

書きたいと思っていたことのうち
今日覚えていて、さっき断捨離のひでこさんへのメールで
書いたことをこっちにも一部変えて載せてみます。


前回の記事に、自分を責めることを断捨離したと書きました。
でも、後からそう簡単に行くかなって自分でも思っていたら、
案の定、翌日にはまたちょっと
自分を責めてる自分を見つけちゃいました
それは、全部捨てたはずの割り箸やら空き箱が
家のあっちこっちから出てくるのと同じなのかもしれません。

多分、すぐに自分を責めてしまうのは、
何かうまく行かないことがあったら、
反省という名の元に、自分を責めなくちゃいけないと
これまでしつけられてきたことによる癖だと思います。
だから、私が元日に断捨離したのは、
問題が起きたら反省して
自分を責めなくちゃいけないという観念かもしれません。


自分の断捨離についても、
あれ以来考えが変わりました。
「やらなくちゃ」は苦しいので、
「やりたい!」という気持ちになる状況で
始めようと思ったのです。
よく自分の心を観察してみると、
自分だけの裁量で断捨離を進められる部分は
「やりたい」と思うのですが、
他の人が関っている部分は
「話し合わなくちゃならないから面倒だけど、やらなくちゃ」
と思っていることが分かりました。
これだと最初から相手をどうやってねじ伏せようかと
身構えていて、穏やかじゃないから
うまくいきそうにないと思いました。

それで、まず徹底的に自分の断捨離を進めて、
自分が生き生きしている姿を見せようと思いつきました。
その上、私がもっと素直になって、感謝もできて、
思いやりを持てるようになったら、
(そうなる気がするのですが)
自然に周りの人は断捨離したくなるんじゃないかなって。

そう考えたら、ワクワクしてきたし、
自分のためにやることが
自分のためだけじゃなく思えてきて、
ますますやる気が出てきました。


川畑のぶこさんが書かれた「断捨離のすすめ」には、
「エネルギー漏れ」という言葉がよく出てきます。
否定的な感情を呼び起こすモノや
ほこりまみれのモノが散乱していると
エネルギーが奪われる=エネルギー漏れを起こすと言うのです。

冒頭に書いた私のわすれっぽさも、
いろんなことに気を紛らわされることによる
エネルギー漏れかもしれません。
家の中、コンピューターの中、頭の中、心の中、
まだまだガラクタがたくさんあります。
今度の私の断捨離はどんな風に進んで、
どんな結果が生まれていくのか、
自分でも興味しんしんです。


初断捨離

2010-01-02 00:07:07 | 気づき
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

新年のあいさつの前に、
昨年の総括の記事を書きたいなと思っていたけど、
間に合いませんでした。
時節柄、家族と一緒に過ごす時間も多くなり、
そのまま子どもと一緒に寝てしまうことが重なりました。

何か仕事をしようとすると、
いったん子どもを寝かせた後、
また起き出してきてやることが多々あります。
でも、それはあんまり自然じゃないし、
第一気持ち良くないなぁ、と思った時、
また1つ気づきがありました。
そうだ、これから私はがんばらないようにしようっと。
もう少しかみ砕いて言うと、
がんばらないで済むようなやり方を考えていこうと
決心したのです。

がんばってやらなくちゃできないことなら、
力のある人、余裕のある人、恵まれてる人しか
できないかもしれません。
でも、がんばらなくても楽に楽しくできることなら
みんなが自然にやりたくなると思うのです。
私はそんなことをいろいろ考えたいなぁ。

最近の私は、何か心地よくない感じがしたら、
なぜ自分がそう感じているのか、
自分の内側に聞いてみます。
そして、同じ状況でもどんな風に見方を変えたら
心地よくなるか、もう一度感じてみます。
心の中で、自分の顔にどちらの方向から
風が当たっているのか確かめて、
その心地よい風が吹いてくる方向に
体を向け直す感じです。

私の友達は、こんな視点の変え方を
「被害者意識」と「創造者意識」という言葉で
語っています。
私の解釈では、たとえばお財布をなくした場合
被害者意識だとただ自分や周りを責めるだけだけど、
創造者意識なら、それは何かの気づきのきっかけだと考え、
必ず自分にとってベストなことが起きるから大丈夫と
思っていられることだろうと思ってます。

私はまだあまりそんな意識の変換がうまくはありませんが、
少しずつできるようになってきたようです。
うまくいくと、心配で仕方なかったことが
楽しみでワクワクしてきます。
このワクワク感があるかないかで
自分が向いている方向が合っているかどうか分かります。


あと、調子がいい時は、何にでも感謝したくなります。
今日の私は、しばらく使っていなかった
自分のフロアのお風呂を使うことになり、
掃除をした時に出てきた排水溝のゴミにまで
「ありがとう!」と言ってました。
排水溝とそこに詰まっているゴミや貯まった汚水を見て、
断捨離をしないとどうなるか、
掃除をするとどうなるか、
はっきり実感できる機会をもらえたからです。

「ありがとう」をたくさん言えると
自分をもっと好きになれます。
それが長続きするとなおいいんですけどね。


そんなことをお風呂の掃除をしながら思っていたら、
断捨離したいものを1つ見つけました。
それは、自分を責めること。
今の私には、もうそれは必要ないなと思いました。
(本当は誰にも必要ないものだという直感がありますが)
自分を責めるより、
なぜ自分を責めたくなるようなことが起きたのか、
何か自分は無理をしていなかったか、
もっと楽に楽しくやる方法はないか、
というような方向で考えるようにすればいいと今は思ってます。

年末は早く自分の断捨離を始めなくちゃと焦っていました。
これは早く始められなかった自分を責めていて苦しいので、
友達に言わせれば被害者意識になってるのでしょう。
時間がなかったとか、疲れてたとかの理由をつけて。
でも眠くて早めに寝たり、昼寝したりしたなら、
そもそも無理して体がSOS出していたということですね。
そうなら、病気になる前に寝ておいてよかったと思えるのが
創造者意識だと思います。


私の断捨離はちょっと変わっていて、
目に見える部分より見えない部分が先に変わり出します。
前回も、確か時間の使い方がまず変わったと思います。
でも、これまで自分が生き生きするのを阻んでいた悪い癖から
いきなり断捨離できるとは、なかなかすごいかも!

あともう1つ断捨離できそうなことを、今見つけました!
照れ隠しとか、自意識過剰と取られることを恐れて
やたらと自己卑下することです。
今は自分のいいところ、悪いところを
これまで以上に率直に見とめられる気がします。
(「認める」でなく、「見とめる」という字でいいようです。
私の直感がそう言ってるみたいです)


今の私の家はまだまだ捨てられるものがたくさんありますが、
焦らなくても順番に捨てていけるという気がしています。
こんがらがった糸をほぐす時にも
一見どこからほぐせるのかわからないけど順番があるように、
断捨離にもその時々によって順番があるように思います。
私はだいたいの場合において、
先に行動するより、まず戦略を練る方が好きなので、
今は家のあちこちを見てシミュレーションしています。

去年はそんな風に本棚をよく眺めて
要不要をだいたい判断した後、断捨離を始めたら、
短時間で済んでしまいました。
でもそれは、あくまで去年の時点の私の場合なので
誰にでもあてはまることではありません。
いろんなやり方があるという一例と考えてください。

新年早々大きな断捨離ができたようで、
幸先がいいみたいです。
今年もいらないものとバイバイして、
たくさんの新しいワクワクを取り入れたいです。