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標的の村の反響は、高江や辺野古の現在に続く問題に対して、共感を得る人々のネット網ができる、と思うと、未来への勇気そのものになる。謝!
なぜか高江も辺野古も大浦湾も身近にある。父は谷間にあった高江小中学校を山の上に移設した。そして旧久志村の4つの中学校を汀間に統合した。僻地教育に熱心に取り組んでいたのだ。高江と辺野古は一本の線で結びついている。父の顔が微笑んで見える。今頃、高江や大浦湾沿いの学校のことが迫ってくる。父は熱心に教育に取り組んでいた。特に教育環境に気を配っていたのだね。大浦湾を通る度に、思い出す。名護の東側は過疎化が少しずつ進んでいるように見える。自然の豊かさを生活の糧にすることが容易ではないのである。観光産業、エコーツーリズムの可能性はある。しかしそれを実際に生活の資にしていくプロジェクト、ビジョンが問われている。どのように?
辺野古の海を汚してはいけない。ジュゴンが泳ぐ海はまれだ。海や山と共存する生活、ささやかでも軍事基地とは関係ない豊かな生活空間を築きあげる方法が問われている。島ちゃびの痛みにさらに鞭打つように、そこに巨大な軍港兼海兵隊基地をつくりあげるという。やはり、海を埋め立てて、基地をさらに増設することは、痛い。むしろ辺野古崎が返還され、そこに長期滞在型リゾートなどをつくった方がいい。そう提案した観光業界の方のお話しには軍事基地よりまだまだ夢があるように思えた。