
(この川、鴨川と高野川の合流するこの川は鈴木鈴代さんの思い出と共にありつづける!)
成績評価のために学生の課題レポートや英文日記など読んでいると、思わぬことばに触れることがある。
今まで意識したことがなかったことばにハッとした!
人間が疲れ果てたり悲しんだりする代わりに家の内外のプラントがそれを背負って枯れ果ててしまうというのである。つまりプラントが人間の魂の悼み[痛み]の代わりに犠牲となって枯れて死んでしまうということばに驚いた。
ふとトイレの前のプラントに元気がないことに思い至った。悲しみを怒りを、それらの気を吸い取ってそこに立っているプラントの姿に思え、それが物語の中心に位置することを考えた。
砦であるはずの家庭の中のきしみを目撃しその諍いを愛を歓びを悲しみを内に吸収してしまうプラントの姿、すでにしてそのような物語が書かれているのかもしれない。
不思議と云えばプラントにまつわる不思議が思いだされる。それは単に自然現象なのかもしれないが、私たちもまた土の上に住んでいる生き物であることは変わらない。その土の上でシークァーサーの樹がいっぱい実をつけて後枯れてしまったことがあった。今まで体験したことがなかったことで驚いた。しばらく哀しい思いにとらわれた。
バナナに実がついてその実を見ると食べられるような物ではなかったり、つまり土の中の菌がバナナの木に影響を与えているのよという説明などを聞くと、土の中の無数の生き物(菌を含め)がまた数多の植物と間連していて、いっしょに生きている人間もまた影響を受けている。そのようなごく普通の事柄が普段は無意識の中で疎んじられているというか、意識にのぼったことがなかったという事実がある。
「植物が、プラントが人間の悲しみを背負って枯れて行く」という学生の書いたことばからいろいろなことが思い出されてきたのである。
沖縄でも腐葉土の中にセシウムが発見されたという昨今の報道などを見ると、土と人間の係わりが尚さらに身近に迫ってきた。命の危険に人は敏感にならざるをえない。身体が土から犯され危険に晒される。しかし植物、プラントが人間の様々な問題の大きさを代理するには、人間の果てのない欲望(希望・夢)を支えるにも限界がありそうである。
わたしは庭の家の中の植物を虐待しているのではないだろうか?守ることのできなくなった命が、見えない瞳が見え隠れしてくる。
「日常を丁寧に描くとシュールになるんだよ」のことばが聞こえてくる。
今日も蝉時雨が続く!
今日も成績処理のために時が流れる。生きている!

(京都の鴨川と高野川の合流地点)
セシウムについてネット辞書に以下の説明がある。
****************************************
<<放射性セシウムの危険性>>
セシウム137に限らず、セシウムの化合物は多くが水溶性であり、生体内での振る舞いはカリウムやルビジウムに似ている。体内に入るとセシウムは体中に分配され、ベータ線による内部被ばくを起こす。濃度は骨組織で低く、筋組織で高い。生体内での半減期は70日以下であるという報告もあるが、100-200日と言われることが一般的である。犬を使った実験では、3800 µCi/kg(ベクレルに換算すると 1.4×108 Bq/kg、約44 µg/kgのセシウム137)を服用したものは3週間以内に死亡した。
事故でセシウム137を摂取してしまった場合、プルシアンブルーで治療される。これはセシウムやカリウムに結合し、体外への排出を促進する。
生体に対する影響
経口で10000 Bqを摂取した時の実効線量は0.13 mSvとされ、1 mの距離に1.00 MBqの線源があった場合、ガンマ線によって1日に1.9 µSvの外部被曝を受ける。
世界保健機関 (WHO) の飲料水中の放射性核種のガイダンスレベルは、平常時の値は10 Bq/Lで原子力危機時の誘導介入レベル(介入レベルを超えないように環境汚染物質や汚染食品の摂取、流通を制限するため、二次的に設定される制限レベル、「暫定規制値」とも言う)であり、国際原子力機関は介入レベル(敷地外の一般公衆が過度の被ばくを生ずる恐れのある場合は、実行可能な限り被ばく低減のための対策をとることが必要となるため、その判断の基礎となる線量)を3,000 Bq/Lとしているが平常時の値や誘導介入レベルは定めていない。日本では一定の基準は無く WHO の基準相当[11]を守っていた。しかし2011年東北地方太平洋沖地震における福島第一原子力発電所事故の影響から、放射性セシウムの飲料水中及び牛乳・乳製品中の暫定規制値を WHO 基準の20倍以上に相当する200 Bq/kgと定めた。
************************
つまり政府は国民を守れない。国家管理の都合のいい数値を提示するという事である。被災地の人間は無残に犠牲になった。生贄を必要とする自然の摂理があるのだろうか?存在の原罪意識がどうしてもやってくる。生存の必然がもたらす原理・摂理とすればいいのだろうか?地球のダイナミックな活動があり、地球表面で生きている有機・無機生物の営みがある。一時的に生かされる命の炎が燃える間の夢現?!夢幻、生と死の狭間に揺れている。狭間、時と時の狭間、制度の狭間、人の狭間、思いの狭間、夢の狭間、今日と明日の狭間、この瞬間は狭間だらけでーーーー。
成績評価のために学生の課題レポートや英文日記など読んでいると、思わぬことばに触れることがある。
今まで意識したことがなかったことばにハッとした!
人間が疲れ果てたり悲しんだりする代わりに家の内外のプラントがそれを背負って枯れ果ててしまうというのである。つまりプラントが人間の魂の悼み[痛み]の代わりに犠牲となって枯れて死んでしまうということばに驚いた。
ふとトイレの前のプラントに元気がないことに思い至った。悲しみを怒りを、それらの気を吸い取ってそこに立っているプラントの姿に思え、それが物語の中心に位置することを考えた。
砦であるはずの家庭の中のきしみを目撃しその諍いを愛を歓びを悲しみを内に吸収してしまうプラントの姿、すでにしてそのような物語が書かれているのかもしれない。
不思議と云えばプラントにまつわる不思議が思いだされる。それは単に自然現象なのかもしれないが、私たちもまた土の上に住んでいる生き物であることは変わらない。その土の上でシークァーサーの樹がいっぱい実をつけて後枯れてしまったことがあった。今まで体験したことがなかったことで驚いた。しばらく哀しい思いにとらわれた。
バナナに実がついてその実を見ると食べられるような物ではなかったり、つまり土の中の菌がバナナの木に影響を与えているのよという説明などを聞くと、土の中の無数の生き物(菌を含め)がまた数多の植物と間連していて、いっしょに生きている人間もまた影響を受けている。そのようなごく普通の事柄が普段は無意識の中で疎んじられているというか、意識にのぼったことがなかったという事実がある。
「植物が、プラントが人間の悲しみを背負って枯れて行く」という学生の書いたことばからいろいろなことが思い出されてきたのである。
沖縄でも腐葉土の中にセシウムが発見されたという昨今の報道などを見ると、土と人間の係わりが尚さらに身近に迫ってきた。命の危険に人は敏感にならざるをえない。身体が土から犯され危険に晒される。しかし植物、プラントが人間の様々な問題の大きさを代理するには、人間の果てのない欲望(希望・夢)を支えるにも限界がありそうである。
わたしは庭の家の中の植物を虐待しているのではないだろうか?守ることのできなくなった命が、見えない瞳が見え隠れしてくる。
「日常を丁寧に描くとシュールになるんだよ」のことばが聞こえてくる。
今日も蝉時雨が続く!
今日も成績処理のために時が流れる。生きている!

(京都の鴨川と高野川の合流地点)
セシウムについてネット辞書に以下の説明がある。
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<<放射性セシウムの危険性>>
セシウム137に限らず、セシウムの化合物は多くが水溶性であり、生体内での振る舞いはカリウムやルビジウムに似ている。体内に入るとセシウムは体中に分配され、ベータ線による内部被ばくを起こす。濃度は骨組織で低く、筋組織で高い。生体内での半減期は70日以下であるという報告もあるが、100-200日と言われることが一般的である。犬を使った実験では、3800 µCi/kg(ベクレルに換算すると 1.4×108 Bq/kg、約44 µg/kgのセシウム137)を服用したものは3週間以内に死亡した。
事故でセシウム137を摂取してしまった場合、プルシアンブルーで治療される。これはセシウムやカリウムに結合し、体外への排出を促進する。
生体に対する影響
経口で10000 Bqを摂取した時の実効線量は0.13 mSvとされ、1 mの距離に1.00 MBqの線源があった場合、ガンマ線によって1日に1.9 µSvの外部被曝を受ける。
世界保健機関 (WHO) の飲料水中の放射性核種のガイダンスレベルは、平常時の値は10 Bq/Lで原子力危機時の誘導介入レベル(介入レベルを超えないように環境汚染物質や汚染食品の摂取、流通を制限するため、二次的に設定される制限レベル、「暫定規制値」とも言う)であり、国際原子力機関は介入レベル(敷地外の一般公衆が過度の被ばくを生ずる恐れのある場合は、実行可能な限り被ばく低減のための対策をとることが必要となるため、その判断の基礎となる線量)を3,000 Bq/Lとしているが平常時の値や誘導介入レベルは定めていない。日本では一定の基準は無く WHO の基準相当[11]を守っていた。しかし2011年東北地方太平洋沖地震における福島第一原子力発電所事故の影響から、放射性セシウムの飲料水中及び牛乳・乳製品中の暫定規制値を WHO 基準の20倍以上に相当する200 Bq/kgと定めた。
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つまり政府は国民を守れない。国家管理の都合のいい数値を提示するという事である。被災地の人間は無残に犠牲になった。生贄を必要とする自然の摂理があるのだろうか?存在の原罪意識がどうしてもやってくる。生存の必然がもたらす原理・摂理とすればいいのだろうか?地球のダイナミックな活動があり、地球表面で生きている有機・無機生物の営みがある。一時的に生かされる命の炎が燃える間の夢現?!夢幻、生と死の狭間に揺れている。狭間、時と時の狭間、制度の狭間、人の狭間、思いの狭間、夢の狭間、今日と明日の狭間、この瞬間は狭間だらけでーーーー。