柳田國男も折口信夫も大正10年に来沖、でも辻遊廓での歓迎の記録なし?(詩人で作詞家の佐藤惣之助[1890-1942]さんは『琉球諸嶋風物詩集』を出していますね。辻でおおいに遊んでいい抒情詩を残していますね。大正11年(1922)です。ご自分の紀......
柳田は一回、折口は3回ですか、戦前来沖しているのですね。当時那覇に降り立った著名なみなさんは妓楼か料亭で歓迎を受けています。ということは、芸妓の歌三線、琴、そして琉球舞踊で歓迎を受けていますね。しかしお二人はその記録を封印して表に表出していないのです。伊波普猷と親しかったお二人で、普猷の弟の月城さんなども当時係わっていたのでしょうか?あまり名前が出てきませんね。近代沖縄における柳田、折口が書き残した沖縄の素顔とその奥の信仰の姿は貴重ですね。原日本の根拠がお二人の文献によるのですよね。
田邊尚雄は其の点、音楽研究者ゆえか、柳田や折口より素直に、精力的に大正11年に来沖した時の料亭や妓楼での琉球芸能を丁寧に記録し、戦後「芸能の中心であった辻の遊廓」と述べていますね。柳田や折口が伊波普猷からかなり影響を受けていることが解るのですが、伊波はしかし、芸能に関してはほとんど言及していませんね。組躍以外はー。なぜかですね。
さて折口がどこで歓迎を受けたか、前の毛の料亭の一つです。名前はここでは開示しないでおきます。ミステリーハンティングのように探す面白さを味わってみてください。
佐藤惣之助はかなりの遊び人ですね。ゴヤがタヒチで遊んで絵を描いたように、惣之助は那覇で一冊の詩を物したのですね。
http://www.abaxjp.com/goya-black/goya-black.html←ゴヤの黒い絵は凄いですね!存在の宿命のもつ逆巻く混濁以上のものがありますね。