志情(しなさき)の海へ

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真喜志康忠氏は決して「島くとぅば」と言わなかった、「ウチナーグチ」です!

2011-12-18 10:00:48 | 琉球・沖縄芸能:組踊・沖縄芝居、他
わたしはネット人間である。ネット情報を見て驚いた。
沖縄タイムスが真喜志康忠氏死去の記事をUPしている。記事そのものはシンプルで淡々と書かれていて、問題はない。しかし真喜志氏の写真のキャプションに【島クトゥバへの思いを語る真喜志康忠さん=2001年1月、那覇市内の自宅】とつけている。

しかし、真喜志氏はご自分を『島小』と卑下することばは使われたけれど、決して「しまくとぅば」と話さなかった、と記憶している。沖縄方言ということで蔑まれてきた過去の傷をしかしウチナーシバイ役者の矜持と共にお話されていた。2009年以前まで沖縄方言として「日本語の下」として見下された沖縄語である。ウチナーグチは独立言語として、世界が認めたのですよ真喜志先生とお話したかった。独立言語:琉球諸語である。

「沖縄芝居は琉球弧内(沖縄の島々)のどこで公演してもみんなに喜ばれた、ウチナーシバイ言葉こそが共通に理解できる沖縄語だ」との自負を話されていた。それが昨今は知識人の折衷主義で「しまくとぅばの日」ができてしまった。いずれはそんな日がなくなるほど、ウチナーグチが話されることができるウチナーの場と空間を目指したい。うちなーぐちさーまはなさんねーないびらんや、へんな「しまくとくば」やあいびらん、わんねーうちなーぐちさーまはなするかんげーやいびーん。宮古・八重山のみなさんや独自のくとぅばさーまはなしみそーれ、しまくとぅばやあいびらーん、地名付きぬくとぅばがあいびーん。大学ぬ先生たーやあんすか信用ないびらんどー。あぬちゅたーや伊波普猷ほどん、言語感性・認識持ちうやびらーんどー。

大和ぬ植民地政策なかい「うちなーから荷担するちゅたー」やいびーさ。うりや歴史ぬ修復にないびらん。日本語とウチナーグチチャンプルーやてぃんすまびーしが、わんにん、日本語教育のでぃきやーやいびたぐとぅ、うちなぐちや勉強さんと書ちゅる事んままないびらん。やいびーしが、新聞社がうぬ事わからん、うっぴなー大学ぬ先生たーかいだまさってぃ、まじゅんなかい言語学的にんまーにんねーらん「しまくとぅば」の日制定そーやびーしが、うりから次へぬビジョンがねーやびらんやー。たーがうちなーぬ名前がねん「くとぅば」つかいやびーが?わんねーうちなーぐちさーま話しぶさん。しまくとぅばやあいびらん。
 うかさいびーんや?

琉球新報ぬ編集ん、ぬーがら「うかさぬとぅくる」があいびーしが、沖縄タイムスん、また「うかさぬとぅくる」があいびーんや?ウチナーグチ推奨さびーらやーたい!

新聞の紙面=100%真実やあいびらんぐとぅ、どぅーなーぬうむいぬ事やブログとぅか、なまはやりぬTwitterなかいかちゃびらたい。あんしあらんねー、メディアぬ間違いのーさらんさやーたい。

博物館・美術館の文化の杜が推奨する「しまくぅとぅばプロジェクト」に古代信仰研究家の真喜志きさ子さんは「しまくとぅばはおかしいですよ、と異議申し立てをした」とお聞きした。でも「聞く耳をもたないわね」と残念そうだった。それは2年ほど前の事である。島クトゥバの語呂は美しい。それが一人歩きして行く。わたしはウチナーグチで話したい。書きたい。伊波普猷がいう琉球語である。沖縄芝居を見るとウチナーグチは上手になるね!沖縄県は組踊復興にかける予算と同じくらい芝居に予算をかけてほしい!そしてほんとうの組踊劇場を創った方がいいね。国立劇場おきなわは多目的劇場ですよね。芝居小屋としても方手落ちです。

今【沖縄芝居と共に】を少し読み返してみた。「沖縄ぐち」と表記している。島言葉も見える。それは1、2か所だけである。「沖縄方言や沖縄ぐち」の表現をウチナーグチ・沖縄語/琉球語に改めたい。やはりユネスコが独立言語だと認定したことは私自身にとって大きな意味を持っている。なぜならそれ以前の論稿はすべて沖縄方言であり、方言セリフ劇にしている。今後は決して方言セリフ劇とは表記しない。沖縄語台詞劇にする。こんな時代が来たという事はそれだけ危機的という事かもしれない。この危機を乗り越える方策が問われている。県の「しまくとぅば」条令はその流れにあるのだろうが、その先に進みたいものである。

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