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(南洋桜とも呼ばれる 鳳凰木が目を楽しませる。「てんぶす」へ向かう途中の街路樹)
6月10日夕方、那覇てんぶす館の演劇「いっとーばい」上演会場でばったり島元 要先生にお会いした。
昨今、「教育委員会内で孤立して精神を病んで休職に追い込まれた」という噂が聞こえていたので、お声をかけた。「いっとーばい」は試演も御覧になったようで、「前よりよくなっていましたね」と演出の当山さんに話していたので、その違いと、島元先生の昨今の状態を知りたいと思って「コーヒー飲める時間ありますか」と、お尋ねした。那覇の真ん中でコーヒーがゆっくり飲めるところは、何と桜阪劇場内のカフェーである。
島元先生は、高校演劇大会の審査員を引き受けた時からの知り合いで、先生の脚本「出停記念日」は優れた21世紀を代表する作品だと評価している。
お話を窺うと、先生は現在「鬱」を発症して県庁のお仕事を休んでいるとのことだった。欝は最近よくメディアでも耳目に入る現代病の一つだといえるのかもしれない。なぜその病の発症に至ったのか、詳細は特別お話されなかった。現在4月から6ヶ月間病休ということで、休職ではなく、6ヶ月後に職場復帰できなければ休職に切り替わる仕組みになっているようである。
島元先生は、「病休」に入る数ヶ月前から、不眠、頭痛、腹下し等の身体症状があり、「病休」直前には、A4版一枚程度の文書も読めなくなったようだ。ルーティーンの仕事が大幅に滞るようになり、職場に迷惑をかけられないから「休む」という判断をしたとのことである。
島元先生はいわば世界的な規模で見ればブラッドリー・マニング【Chelsea Manning (formerly known as Bradley Manning】のような正義の告白者である。英語ではwhistleblower【内部告発者】である。あるいは、文科省の前政務次官・前川さんのような立場に置かれている。
ややもすると、真実を追究し、大きな組織と対向する人間の方が、精神的ダメージを受けやすい社会である。島元さんが新聞で告発した「琉球舞踊保存会と国の保持者認定の問題」は、教育庁内部でも、大胆な行為であり、組織として氏をパージする空気が走ってもおかしくはない。それはどの組織(会社や教育現場を含め)でも起こりえることである。
正直にある問題を見据え、その問題を指摘し、社会に訴えた人間がその社会から白眼視され、追い詰められることはままありえる。島元さんが、勇気を振り絞って書いたあの文章が、このような結果をもたらしているのかと思うと、胸が痛んだ。
現在、島元先生は、ウオーキング等の運動療法を中心に行っていて、健康上の数値は好転しているとのことだ。
ただ、本がいまだ読めず(本を開いてもなかなか読み進めない。)仕事だけではなく、好きなジャンルや作家の本も読めず、新聞等も読まなくなったとのことである。
私は普段からテレビはほとんど見ないのだが、島元先生もテレビもほとんど見なくなったとのことである。共謀罪や加計学園問題等のニュースに気が滅入ると語った。
受動的に観賞できる映画、演劇に行っても途中で出てしまうことが多くなったが、今回の「いっとーばい」は最後まで見ることが出来、よい作品だとお話された。
不定期で、現在の状況を上司にメールで伝えるようにしているが、文章を書くのにひどく時間がかかってしまう状況、とのことは、ちょっと気になった。
「わが街の小さな劇場」で公演された「出停記念日」の上演について話が弾んだ。先生はご丁寧に「評価して下さったことにお礼を伝えたかったが、遅くなり失礼しました」とお話され恐縮した。
島元要先生の感性の鋭さはその作品が見事に示している。社会正義だけではなく、内的に人間としての正義感【嘘・偽善・偽り・権威主義・事大主義・不正への憤り】が氏を駆り立てているものにわたしは関心を持っている。
舞台に関しては歴史への新たな視点の開示がインパクトを持っていた。演技に関してはモット鍛錬が必要かと思う。普段着感覚の舞台は日常にストレートに繋がっていくイメージを彷彿させた。コーラスによる泉知事への糾弾、当時のメディアの軍部加担など、現在のメイン・メディアの動向も意識させた。席の隣にいた若者は大学の教え子で現在は小学校教員をしているとのことだった。多くの観衆が詰め掛けていた。
琉球新報など、新聞の報道姿勢も好意的だったことだけではなく、15年戦争と沖縄戦への新たな切り口、視点を取り込もうとする沖縄の人々あるいは本土から来た観光客や沖縄在住者など、関心をもったゆえと言えようか。劇艶おとな団【一般社団法人おきなわ芸術文化の箱】の沖縄の歴史、社会へ切り込む戦略は、成功したと言えよう。観衆の反応が舞台と呼応していく。1972年の日本復帰問題を取りあげた作品を含め、彼らが現代史や社会の内蔵部に肉薄していく姿勢を注目したい。
夜10時ごろの与儀公園。若者が二人ほどサッカーの練習をしていた。最近那覇の中心へ行くとき、帰りは家まで歩くようにしている。往復歩きたいが汗臭くなるので、帰りの歩きになっている。観劇と映画が中心だからテンブスと桜坂劇場に行くのがメインンだね。
島元先生は沖縄の宝です
今は体を第一に
大丈夫です
絶対 大丈夫です
ある地謡の先生(琉球舞踊の保持者の一人)が話していた。驚くべき本音を聞いた!
「芸歴書など見なくても(候補者)は決められる。それを彼(島元さん)が「言いがかり」(!?)をつけて会議を止めるので、何度も会議をやり直すはめになった。我々は非常に迷惑している」という内容。
衝撃だ!何のために集めたんだろう芸歴書。そして筋の通らない選考を止める人をなじる感覚。こういう人が沖縄の伝統芸能のトップ集団にいることが悲しい。
「沖縄には沖縄のやり方がある。文化庁や大和の顧問につべこべ言わさないためにも、宜保先生を中心に、我々はまとまらないといけない」と力一杯語る地謡の先生。あなたに「沖縄のやり方」なんて簡単に言って欲しくないな。それは、あなたや琉球舞踊保存会のやり方でしょ!私は頑張っても保持者になれないかも知れない。でも、こんな人間にはなりたくないと心に誓った。
島元さんは、体を張って筋の通らない決定を止めてくれた。あれから何年かたった。恐らく、今の県の教育委員会にはそういう人はいないのだろう。だから、島元さんは、新聞に書くしかなかったのではないか。そんなふうに思う。
宜保さんの琉球舞踊入門も主観的な解説が散見します。その流れで大城さんたちでしょうか。組踊も、王府時代の復活を、真に追求すると、金武さんの手を保存会は、尊重すべきです。芸能史を歪曲しているのは、戦後の沖縄芸能をリードしてきた方々ですね。功罪を検証する時期ですね。
組踊は、金武流を尊重すること
琉球舞踊は玉城盛重系列、真境名、玉城、宮城、島袋、親泊等流派に片寄らず、渡嘉敷、松含等他の流派の型や手を尊重すること
ですね。
現在の沖縄芸能史は歪曲していますね。
島元さんは宜保さんや大城さんの偽善や権威主義に異議申し立てをしたのですね。貴方のような方が県の文化行政に関わっていることは幸いです。
正しい道に修正する時期が来たのです
今、島元先生が沖縄のためにペンの拳を振りかざしてくれたのですから
島元先生、お一人の対峙ではない
間違った歴史を伝えようとする人達と、
沖縄県民全員の対峙です
間違ったことに間違いだと発すること
私達の歴史を、一部の人の権威を守るために歪曲するなともっと怒っていいんです
ふざけるんじゃないよ
いいかげんにしろよ
何故、間違った人が権威を持ち続け、正しい道を歩んでいる人達が抑圧されなければならない
弱い者をいじめ、守るべきものは守らず、沖縄県ってそんなところなんですか?
帰宅して、知っている県の保持者の先生に電話したら「そうなのよ!あんなことなさるなんてビックリした。でも、年取って後は死んでいくだけだと思っていたけど、他の(県の保持者)先生方も、涙流して喜んで、生きる気力ができたと言ってるのよ」という話。
鳥肌がたちました。島元さんは、誰も巻き込みたくなくて、誰にも相談せず闘ったのです。なんて人だろう。涙があふれました。
この人を見殺しにしてはいけない。そして、そのためには、我々沖縄県民にとって大事なものを守るために、自分に出来る闘いをしなければと思いました。