志情(しなさき)の海へ

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巨人に食される人間たちの物語「進撃の巨人」について、学生たちが面白いと話していたことを思い出す★

2014-04-16 19:52:06 | グローカルな文化現象

「進撃の巨人」が面白いと言ったのは、快活な学生、体育の教師になりたいS君だった。あれからまったくその漫画を見たこともアニメを見たこともないが、新聞の文化欄に掲載された漫画批評を見て思い出した。パソコンの前にいるので、ウィキピーディアで検索すると、膨大な量の情報、ゲーム化され、今年は実写化もされるとのこと、シリーズ物で物語も詳細、北欧神話に謎解きがある様子。天敵巨人と戦う若者たちのイメージがした。力への恐れと憧れが大見出しである。内にある物への求心力が試されているように、この批評から読み取れる。一度はのぞいてみよう。寄生獣の漫画は身近な若者が全部PCに添付してくれたので、暇なとき見たが、彼はまだこのまんがについてあまり言及していない。なぜだろう。神話やSF、ファンタジーの話は聞こえてくるが、以前、聞こえてきたガンダムのアニメの世界ともどことなく繋がっているような雰囲気。ガンダムは一部はやはり若者の影響で見てみた。巨大人形ロボットのやはり闘いの世界を描いていた。肉親の犠牲など、背後に痛み・悲しみのトーンが流れてもいた。この「進撃の巨人」にも肉親の犠牲が冒頭に描かれているのらしい。そして理不尽に肉親の命を取った(食した)巨人へのリヴェンジ物語にもなっているのらしい。

人間があるアクションを興す時の動機には類型化されたパターンがあるようだ。類型的パターンは悪い事ではなく、感情移入しやすい構図なのである。感情をどう触発するか、は大きな創作の仕掛けになるのだろう。敵の胎内に包摂されそこから敵を瓦解させたり、再生する比喩もまた、やはり類型的パターンなのかもしれない。わたしたちの感性はなんと類型(パターン)になじみやすいのだろうか。神話パターンがそうかもしれない。つまり受容されるということは、受容されるにたる物語のパターンがそこにある、という事になる。

詩、小説、漫画・コミック、アニメ、演劇・映像、そしてゲームと、創作のジャンルが重なっていく。一つで一つではない。それが商品価値としてヒットしたらそれはまた別のジャンルの創造をまた生み出していく。面白い現象だが、それは波及的効果で、群集心理にも似たものだろうか?物語の生み出すブームのようなものはすべてこの時代でなければならない感性の放流なのだろう!んんん、「創作」の魅惑、秘薬を浴びてみたい、と思う。


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