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志情(しなさき)の海へ

かなたとこなた、どこにいてもつながりあう21世紀!世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

『島うた紀行』の仲宗根幸市さんは凄い在野の研究者だったのですね!高橋さんはその対極の研究!

2016-05-08 23:13:30 | 沖縄文化研究

民謡の中の遊廓やジュリについて今頃書いているが、ずっと図書館から借りたままの高橋さんの博士論文『沖縄ポピュラー音楽史』と仲宗根幸市さんの『島うた紀行』全三巻(これは以前に購入して所々参照していた)、『日本民謡大観(奄美沖縄)』に眼を通してみた。民謡の根にあるもの、時代の推移をしっかり見据えていた仲宗根さん。改めて感銘を受けた。仲程昌徳先生も「民謡」について優れた論稿を書かれている。

ラジオ、テレビ、インターネットを媒体として民謡、島うたがまた伝播していく時代。しかし歴史の流れは見据えなければない。普久原朝喜さんが1927年に丸福レコードを設立したあの時のパッションは凄い。戦前の女性の唄者はほとんどが辻の芸妓である。凄い女性達がいた。料亭アビーとかチージアビーなんてトンでもない差別語である。裏声の美声がある。時代の波で花と咲きほころんだ声、声音があったのだ。それは継承できる。

川平朝申さんも民謡に関して那覇市史にほんの少し書いているが、湛水親方が仲島で遊んで作曲した暁節などを当時の「はやり歌」と解釈したのはさすが~!遊廓や沖縄芝居小屋は沖縄の文化が接触して混合しあい、新しいものを生み出す渦の花だったのだ!仲宗根さんはそれをしっかり指摘している。

沖縄民謡は労作歌よりも圧倒的に恋歌が多いという事実はどうしてか?歌舞が溢れる島。遊廓や沖縄芝居役者が担った文化の地層は大きかったにちがいない。辻で古典音楽を指導した大家もおられたし、もう、芸能の揺籃の場はそこだったのだ。戦前の沖縄毎日の新聞記者は意外と当時の権欲家たちをすっぱぬいている。改めて資料を見るとびっくり。己の欠陥をしるのみ。まとめるのに時間がかかる。でもまとめること!

音楽の研究に疎いので、詳細に入れなかったが~。しかし臼太鼓の音曲が古典音楽に類似することは民謡から古典に止揚されていったことはありえるし、その逆もありえる。相乗性がそこに溢れていたのだ!その媒介は遊里!無系(百姓)の少女たちが多かった。貧しい士族の娘達も売られた!朝薫の組踊にも士族層の貧困が描写されている。

 


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