食べるために作っていると言いつつ、咲けば飾りたくなる菊の花です。
私が育った家では、父が菊作りをして各地の品評会に出品しました。
天地人と三本仕立ての大輪の菊は、鉢ごと出品しました。
鉢ごとは持っていけない、東京には、矢車の様な持ち運ぶ道具を手作りして、電車に乗って行きました。
菊苗が国華園と言うところから届くと、それを挿し芽にして増やしました。細かな鹿沼土に、整然と苗が育ちました。
切り花は真っ直ぐに一本に仕立てれば良いけれど、天地人に三本に分けるにはどうするのかな? その三本の高さのバランスも整えないと… 。子供心にも不思議でたまりませんでした。
夏、雷の空模様になると、菊鉢を倉庫にしまいました。卓球台の上にまで載せました。私は麦わら帽子で、雹を避けながら、裸足でした。当時は菊鉢が100 もありました。
今でも、子どもなのに良くやったなぁと思います。
菊まつりの時期に合わせて、見頃の花を咲かせ、いよいよ出品の前日には輪台を付け、花びらを竹のピンセットで整え、ガーゼをかぶせて、骨を取ったザルを被せて一晩置きます。
水の吸い上げを良くするためなのか? ハッカを付けて水にさしました。
その香りとともに、忘れられない菊の思い出になっています。
花が盛りを過ぎると、大輪の菊もバラして天ぷら、酢の物でいただきました。美味しかったなぁ。あの花びらの滑らかさ。
直径10センチ位の菊は、仏様や部屋に飾るのにとても気に入っていました。
我が家には四季を通して庭にたくさんの花があったので、ツツジやクチナシまでもハサミで切っても叱られることはありませんでした。
私は、生け花を習うことは無かったけれど、「天地人と、バランスを見て飾れば良い」と言い切った母がすごいと思う。
おばあちゃんは黄色い小菊を、バラさないで、苦味のガクごと酢の物にしました。それは子どもの時にはいやだったけれど、今は少し好きになりました。