えむこの小部屋

音楽と写真と自然と・・・・

平泉駅

2010-10-11 23:18:05 | 岩手秋田旅行
中尊寺、高館義経堂を見学したあと、平泉駅に来てみました。


中尊寺では、大勢の観光客がいたのに、ここには、ひとっこひとりいません。


駅前は、広くて、綺麗です。



時代劇の中にいるみたいです。


駅横の公園のようなところに義経の北行コースの看板がありました。
義経は平泉で自害したんじゃなく、青森まで逃げて、舟で蝦夷に来たと思いたいです。

松尾芭蕉

2010-10-11 16:28:15 | 岩手秋田旅行
           <五月雨の降残してや光堂>


奥州藤原氏が滅亡して500年。46歳の芭蕉は、門人の曽良と2人でここを訪れたのです。


北海道ではあまり見かけません。<彼岸花>


竹やぶも見たことないですねぇ。


   <夏草や 兵どもが 夢の跡>
この石碑は中尊寺の近くの高館にあります。


高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めた芭蕉は、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公を思い、かの名句を詠んだのだそうです。

石碑のすぐ近くに高館義経堂があり、
凛凛しい武者姿の源義経公像をお祭りしていました。
眼科に広がる北上川と衣川?を見ておりますと、大昔の戦の光景が目に浮かび、
カメラのシャッターを押すことが怖くなり、早々に退散しました。


三代の栄耀一睡の中にして 大門のあとは一里
こなたに有 秀衡が跡は田野に成りて金鷄山の
み形を残す 先高館にのぼれば 北上川南部よ
り流るゝ大河なり 衣川は和泉が城をめぐりて
高館の下にて大河に落入る 康衡等が旧跡は衣
が関を隔てて南部口をさし堅め、夷をふせぐと
見えたり 偖も義臣すぐつて此の城にこもり 功
名一時の叢となる 国破れて山河あり 城春に
して草青みたりと 笠うち敷きて 時のうつるまで
泪を落し侍りぬ

中尊寺 弁慶

2010-10-11 04:35:45 | 岩手秋田旅行
平泉中尊寺に行って、最初に目につきました。


中尊寺というより、山門の手前側にあります。
三角州のような場所に「武蔵坊弁慶の墓」がありますので、見落とす可能性も大です。


昨年11月に乗った江ノ電で、途中下車した万福寺での、弁慶の座った石。
今年4月、奈良吉野での弁慶が手でさしたという釘がささった石。
ここにきて、中尊寺って、義経終焉の地だったのだと、あらためて思い出しました。

弁慶は、衣川で、亡くなったのに、この場所にお墓があるって、なにか、縁があるのでしょうか。



人気あります。


中尊寺の下を流れる衣川で、義経を守って、立ち往生したと伝えられる武蔵坊弁慶。

中尊寺 宮沢賢治

2010-10-10 23:17:28 | 宮沢賢治


これに書かれている話は賢治さんの創作の様です

蝦夷から中世、さらに現代へとに続く賢治さんが愛しんだ東北地方の文化
大和朝廷、鎌倉幕府などに蹂躙された東北地方
しかし、中央による蹂躙を逃れた中尊寺を称えた詩だ!と言う方もおられます








     < 僧ひとり縁にうちゐて ふくれたるうなじめぐらし 
      義経の彩ある像を ゆびさしてそらごとを云ふ >

坂上田村麻呂

2010-10-10 03:43:42 | 岩手秋田旅行
            <達谷窟毘沙門堂>
  
1200年前、この地に悪路王、赤頭、高丸と称する賊徒(蝦夷)がいて窟(いわや)に要塞を構え、
周囲の良民を苦しめ悪事・乱暴を極め、国府(中央政府の奥羽政庁・出先機関)では
彼らを抑えることができなくなった。



そこで、桓武天皇(第50代天皇)は坂上田村麻呂に命じて、蝦夷征伐の勅(ちょく、天皇命令)を
下した。
この報に接し、悪路王たちは達谷窟から3000の兵士(賊徒)を率いて駿河国清美関
(するがのくに・きよみがせき、静岡県)に出張ったが、坂上田村麻呂が京を出発したと知ると、
恐れをなして窟に戻った。


延暦20年(801年)、坂上田村麻呂は、激戦の末に、窟に籠もって守りを固める蝦夷を打ち破り、
悪路王、赤頭、高丸の首を刎ね、蝦夷平定を果たした。
と、いうことなんでしょうけど、殺された人たちって・・・



巨大な顔が。


夕方のせいもあり、薄気味悪かったので、早々に帰りました。

可愛いお花が咲いていました。


達谷西光寺御供所(ごくしょ)
この近くにあった17世紀末の建築と言われる住宅を移築したそうです
この左手に第一の鳥居があり達谷窟毘沙門堂への参道です


宮沢賢治童話村

2010-10-10 02:30:10 | 宮沢賢治
銀河ステーションの門をくぐれば、もう気分はジョヴァンニです。



いきなり「鹿踊り(ししおどり)」を見つけて感動しました。
こんなところにも、素敵な意匠が・・・
賢治さんは踊りが好きで原体剣舞と鹿踊りを題材にしてますね



 原体の稚児剣舞は、田村麻呂の蝦夷地征伐で殺されていった人たちへの供養、
 少年人首丸(アルタイの息子)への供養と鎮魂のための剣舞なのだそうです。

ずいぶん大きなやまなしですよ。


とっても不思議な空間でした。


ますむらひろしさんのアニメ「銀河鉄道の夜」の中にいるようでした。

宮沢賢治記念館

2010-10-10 02:18:07 | 宮沢賢治
花巻市の郊外、胡四王山の中腹に「宮沢賢治記念館」があります。
何も知らないで行ったものですから、けっこう遠く感じました。
でも、緑がいっぱいで、空気もすがすがしく、とっても素敵な場所ですねぇ。


花巻で、この2点を買いました。
鉛筆立ては、林風舎で、買いましたが、記念館にも置いてありました。

<南部鉄で出来た賢治さんの鉛筆立て>


記念館の中のショップのガラスケースの中にあった歌留多に一目惚れ。
迷わず、即買いしました。歌留多は、ここでしか見かけませんでした。
他のも素敵なんですよ。
<木版歌留多の普及版>

よだかの星

2010-10-10 01:44:07 | 宮沢賢治
ぎんどろ公園にある「風の又三郎」の製作者 栗原俊明氏の作品だそうです。


私にとって、宮沢賢治さんの童話といえば「よだかの星」でした。
初めて買った本格的な童話の絵本も「よだかの星」でした。
とても熱心な絵本屋さんに勧められて、工藤甲人氏の挿絵の絵本を買いました。
絵画だと思えば、絵本は安いと言われました。
まったくその通りです。




私が自分で選んだ「パロル舎」の「よだかの星」です。
1度に2冊の「よだかの星」を買いました。


よだかの顔が可愛かったからだと思います。


青い表紙カバーをとってみると、
よだかとかわせみの絵が見えます。

裏表紙には、イーハトーヴの案内地図が描いてあります。