えむこの小部屋

音楽と写真と自然と・・・・

花巻で、蕎麦を食べる

2010-10-07 18:49:57 | 宮沢賢治
明治37年創業、わんこそば発祥の地・花巻の老舗。

わんこそば全日本大会の元祖でもあり、宮沢賢治さんも
よく訪れたということで、行ってきました。


賢治さんお気に入りの「柏南蛮」を迷わず注文

そして定番「もり蕎麦」です。
うーん、北海道のおそばとは、違いますねぇ。でも、ペロッと食べてしまいました。
店内は、いい雰囲気でした。もっとゆっくりしたかったです。

花巻★素敵な林風舎

2010-10-06 19:25:56 | 宮沢賢治
宮沢賢治さんの弟さんの孫にあたる宮沢和樹さんが営む「林風舎」に寄ってみました。







1階では、賢治さん関連の商品、2階は、喫茶店になっています。

ここで、ゆっくりコーヒーを飲んでいますと、
開かれた窓から心地のいい花巻の風が入ってきました。

林風舎を出て、駅の方に歩くと↓
  なはんプラザ裏側広場にある「銀のゆり」像があります。
ぎんどろ公園内にある「風の又三郎」のモニュメントの共同制作者、金子健二氏の作品です。


   童話「雪渡り」
赤い封蝋(フウロウ)細工のほうの木の芽が、風に吹かれてピッカリピッカリと光り、
林の中の雪には藍(アイ)色の木の影がいちめん網になって落ちて、
日光のあたる所には銀の百合(ユリ)が咲いたように見えました。


    どんぐりと山猫  可愛い山猫ですねぇ。

花巻 ぎんどろ公園

2010-10-05 17:25:55 | 宮沢賢治
小雨が降る「ぎんどろ公園」です。
この場所に花巻農学校がありました。
賢治先生は、ここで3年間教鞭をとったそうです。


ぎんどろ?初めて聞く木の名前でした。
葉の裏が白く,光線の具合によっては銀色に輝いて見えるそうです。
そこで銀泥と名づけられたようです。
ハクヨウ・ウラジロハコヤナギ・ホワイトポプラという別名もあります。


第一回本郷新賞の受賞作した《風の又三郎群像》少年少女の群像と碑が建っています。
  金子健二氏、安倍和子氏、寺田栄氏、栗原俊明氏の共同制作でう。
   
        ★本郷新氏は、北海道札幌市出身の彫刻家です。 
               1928年より高村光太郎氏に師事

札幌彫刻美術館が2年に1回、全国の広場や公園などの公共空間に設置された彫刻を
対象に選定している「本郷新賞」の第一回を受賞した作品だそうです。






2002年に行われた【イーハトーブ日韓芸術祭】での
チョイ クンファさん(韓国)の作品「休息する人」です。


どんぐりの公衆トイレが2つ。可愛い。


かえるさん、雲見をしているのかしら?


文化会館に隣接する花巻市図書館敷地内
 鹿踊りだじゃい! 奥に詩碑「高原」であるんですよ。

花巻★宮沢賢治さんの・・・

2010-10-03 15:00:43 | 宮沢賢治
生家です。
ピンクの可愛い家でした。

中は見学できませんけど、お庭のみみずく(?)の写真をパチリ・・・

ノウゼンカズラの朱色の花が美しく咲いていました。

この蔵もですよ。蔵の中は色々展示されていて、ショップにもなって
お茶もいただけるようになっています。

ガラスケースの中の服は、賢治さんが本当に着ていたものです。
鹿の皮でできてます。洗い張りをしているので、綺麗です。

生家の道路向かいにあるあります。横が公衆トイレなんですよ。賢治ワールドですねぇ。

花巻の街

2010-10-02 01:37:09 | 宮沢賢治
カン蛙ブン蛙ベン蛙の三匹のかえるは、一緒に雲見をする仲間です。
そんな仲のよかった三匹が可愛いルラ蛙に出会って仲間割れ。

それは、なぜかというと、カン蛙君だけ、ゴム靴を手に入れます。
3匹のなかで誰をお婿さんに?ルラ蛙ちゃんはゴム靴をはいたカン蛙君を選びます。
・・・・ブンとベンの嫉妬が~。
ベン蛙君の写真撮り忘れました。

注文の多い料理店

銀河鉄道の夜

ジョバンニは、牛乳に角砂糖を入れてお母さんにあげます。


石のベンチの上に時計の落し物が・・・


ジョバヴァンニとカムパネルラを乗せた汽車は、11時丁度に白鳥座に停車しました。


ここに時計や牛乳と角砂糖の石のベンチがあるのです。


ここでゆっくりしたいなーと、思いましても、
観光客ゆえに時間の制限がありまして、難しいですねぇ。


川のとなりに「まちなかビジターセンター」があります。蔵みたいですね。
賢治・光太郎・花巻城などの観光案内所であり、賢治・花巻に関するお土産品の販売所みたいです。


「春と修羅」を印刷してくれた活版所です。

▽案内標柱より引用
大正13年(1924)に出版された「心象スケッチ『春と修羅』」を印刷したのは、山口活版の花巻支店の形である大正活版所だった。その活版所だった家が、ここ照井菓子店。店はだんご屋に変わったが、屋根の格好など外形はその頃のままになっている。
賢治は毎日のように印刷所へ通って校正したり、さまざまな手伝いをし、花巻にない活字は盛岡の山口活版まで、しばしば取りに出かけたりもした。
山口活版は賢治の遺言した「國訳妙法蓮華教」一千部を印刷した事でも知られている。