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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

岐阜に宿泊

2011年08月13日 21時10分00秒 | 日記・雑記
当初の予定では、宿(ネットカフェ)を探す前に夜の金津園を歩いてみるつもりだったが、
足裏が痛く、次の日もあるので、遠くから風俗案内所だけ撮影して撤退。




熱田 大和田

2011年08月13日 19時40分00秒 | ラーメン・グルメ
前回の名古屋訪問時に食べられなかったひつまぶしに挑戦。




そのまま、薬味つき、お茶漬けの順に食べる。個人的にはそのままが一番気に入った。
鰻を食べるなら、こってり風味を存分に満喫したいたちなのだと気づく。
しかし、一食で三通りの食べ方を楽しめるのはおもしろい。お茶も美味だった。

名古屋 港陽園

2011年08月13日 16時00分00秒 | ◇愛知
遊廓(稲永)→移転(港陽)→赤線
名前からも想像できるとおり、港町に栄えた遊里。「港陽」は現町名でもある。
昭和30年ごろ、業者数47、従業婦数220

 
旧・かもめ(現・かもめアパート)。赤を基調としたじつにカラフルなカフェー建築。
玄関の欄間を見ると当時の屋号がそのままになっている。


このタイル張り。よくぞ残っていてくれた。


入口が3つある建物。地図で見ると逆L字型をしている。
緑色でまとめられた一階屋根から二階壁面と、赤い二階屋根のコントラストが美しい。

 
一階部分もおもしろい。黒と薄茶のタイル、さらに塗装の下から緑のタイルがのぞく。


トタン板で覆われているが、その造りから遺構の可能性が高いと思われる。


なんとなく気になる外観をした建物。遺構かそうでないかは微妙か。

名古屋 城東園

2011年08月13日 13時30分00秒 | ◇愛知
名古屋では名楽園に次ぐ規模。
名古屋城の東に位置するため、この呼称がついたという。
昭和30年ごろ、業者数156、従業婦数360


入口付近のカーブがカフェーらしい装い。和風の建物を改築したものだろうか。


4つの独立した建物が並んでいるようで、じつは全部がつながっている。
名楽園のような豪壮さはないものの、そのスケールの大きさには驚かされる。

 
小豆色のタイルが見える。城東園にはタイル張りの意匠が少ない印象。
そういう建物がもともと少なかったのか、いち早く取り壊されてしまったのかは不明。

 
カフェー風の建物。何かモチーフがあるのか、大胆な装飾がおもしろい。


転業旅館とおぼしき物件。玄関の軒下には「旅館千尋」の木製看板が掛かっている。
唐破風を構成する凝った瓦や、二階軒下に残された大きな電球も見逃せない。

 
渋い色合いのモルタルと石タイル。玄関脇には「二十歳未満お断り」のプレートがあった。


隣が空き地になっているのが幸いして、建物の全体が一目瞭然。
この間口にしてこの奥行き。しかも三階まであるようだ。


「米喜」と書かれた看板が残る建物。石材のすき間に塗られた赤色が妙に生々しい。

豊川 圓福荘

2011年08月13日 10時30分00秒 | ◇愛知
豊川市にあった遊里。規模は小さかったようだ。
昭和30年、業者数20、従業婦数87


赤い壁がひときわ目を引く遺構。
近年まで右下の置き石のあたりに「圓福荘」と書かれた石柱が立っていたはずだが、
残念ながら撤去されてしまったらしい。


どぎついほどの赤色を緩和するかのように、ベージュ系のタイルが縞模様を描く。
玄関脇の装飾窓は、釣鐘をかたどったものだろうか。


料理店の鑑札が残っている。


裏側から一枚。派手な表と対照的な、質素なたたずまい。


もう一軒の遺構。かなりリフォームされているが、窓や欄干の造りに特徴が見られる。
この建物にも「圓福荘」の石柱があったはずだが、同様に撤去された模様。


玄関まわりに注目すると、軒下の装飾や通路の赤塗りにそれらしい雰囲気が残っている。