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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

愛知の車窓から

2011年08月14日 17時40分00秒 | 日記・雑記
終電まであと1時間ほど。どこかで途中下車して軽く散策することもできるが、
もはやそんな気力もなく、このまままっすぐ帰ることに。
疲労のせいか、往路では長く感じた車内の5時間がとても短かった。


冷房に癒されながら、水分をちびりちびり。

花岡神社

2011年08月14日 15時50分00秒 | ◇愛知
花岡園ゆかりの神社。



 
鳥居の裏側に屋号と楼主名が刻まれている。「眞澄連」というのは当時の組合だろうか。
そういえば、先ほど遺構とおぼしき玄関で、「マスミ会」という古いプレートを見かけた。

 
狛犬の台座にも同様の刻銘。

一宮 花岡園 ~拾遺編~

2011年08月14日 15時40分00秒 | ◇愛知
花岡園とその周辺を余録的に。

 
遊里につきものの銭湯。このあたりでは2軒見つかった。


小規模とはいえ、現在も風俗街としての顔を持つ花岡園。
店によっては遺構をリフォームして利用しているところもあるかもしれない。


ユーモラスな外観をした居酒屋。窓や装飾がほぼ左右対称。松葉散らしが印象的だ。

忘れてはならないのが、遊廓(赤線)より西側に分布した料亭街である。
現在も大江川に沿って、花街らしい面影をそこかしこに残している。

 
料亭菊水。じつに豪壮なたたずまいだが、残念ながら往時の建物ではない。

 
寶樂(宝楽)。こちらもかなりの大店。左右でまったく異なる外観を見せる。

 
荒れ放題だが、ただの廃墟とは思えない。ハート形の鉄格子など手が込んでいる。

一宮 花岡園

2011年08月14日 15時30分00秒 | ◇愛知
遊廓→赤線
泉1丁目あたりが花街、泉2丁目あたりが遊廓として栄えた。
昭和30年、業者数26、従業婦数120
現役の風俗街でもある。

 
泉2丁目界隈。転業旅館とおぼしき建物が目立つ。

 
こちらも転業旅館だろう。奥深い玄関口がいわくありげな雰囲気。


屹立する石柱群が異様。そこだけ日本ではないような光景だ。


旅館や飲み屋が集まる一画。手前は駐車場、奥は花岡神社。


やや荒れ気味の和風建築。今後が心配。


一見なんということのない木造建築だが、よく見ると一階の鉄格子に矢印状の突起が。
単なるデザインだろうか。塀に覆われていて全体を確められないのが残念。

 
遺構らしい遺構が少ない中、カフェーらしい特徴が出ている一軒。
入口に「栄楽」の屋号と装飾が現存。塗装された軒先や縁にタイルの凹凸が見て取れる。

養魚場

2011年08月14日 11時50分00秒 | 風景・街
猛暑の中とぼとぼとバス停に向かっていると、遠方で噴水が上がっているのが見えた。
手元の地図を見ると養魚場とある。
暑さでくらくらしながらも、そばまで行ってみることにした。


養殖しているのはアユのようだ。職員の方が作業をしている。


ああ、この水しぶき浴びたいなあ。
アユを育てているくらいだから、水もきれいで冷たいはず。

大垣 夜城園

2011年08月14日 10時30分00秒 | ◆東海
花街→二枚鑑札→RAA施設→赤線
この名前が眼前の墨俣一夜城に由来するのはいうまでもない。
昭和33年1月、業者数25、従業婦数47


中をのぞいてみたくなる出格子。当時はきっと多くの飄客が足を止めたに違いない。

 
玄関や二階など、窓の造作にこだわりを感じる一軒。かなり傾いでしまっている。


現役で営業中のようだ。いま思えば早めの昼食に入ってみればよかった。

 
(悪い意味ではなく)湿り気を帯びた妓楼が多い中、乾いた明るさが異色の建物。
鬼瓦に「夢路」の屋号が刻まれている。鬼瓦の後ろには桃のオブジェ。

 
「夢路」の丸窓。左側を眺めていたら、「夢」の字をデザインしたもののように思えてきた。
あわてて右側を見る。こちらはよくわからない。少なくとも「路」には見えないが。


裏通りから見ても華やかな雰囲気を持つ建物。軒下には照明が残されている。


白壁がアクセントになっている和風建築。場違いなシュロの木がなんともおかしい。

 
「見晴旅館」と墨書された袖看板が渋い。玄関先は市松模様のタイル張り。