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遊里跡の探訪録など。
ブログの日時は、行動日・撮影日に合わせております。

平塚 特殊慰安施設

2011年08月07日 14時00分00秒 | ◇神奈川
戦後平塚では、RAA(特殊慰安施設協会)の指揮の下、進駐軍向けの慰安施設として、
遊廓やキャバレー、ダンスホールを用意した。(遊廓についてはこちら

 
キャバレーは桧扇町にあったという。
桧扇町という地名は消滅したが、いまでもバス停や電柱にその名を見ることができる。


春日神社。キャバレーは神社の裏手に位置した。


裏手というとこのあたりか。国道1号線沿いになっており、当時を偲ぶことは難しい。
なお、そのころの国道1号線はもっと南側(旧東海道)にあった。

 
ダンスホールは、旧・海軍火薬廠の武道場が転用された。
平成7年まで横浜ゴムの敷地内に現存した記録があるものの、その後は定かではない。

平塚

2011年08月07日 13時00分00秒 | ◇神奈川
再訪2回目。


大通り。往時はこの左右に妓楼が並んでいた。


大鷲(おおとり)神社。遊廓の裏門に祀られていたものを、大鳥公園の一角に移転。
毎年11月の酉の日には、「酉の市」という祭りが催される。

 
大鷲神社の手水石。奉納者の平田氏は、八幡大門近隣の有力者だろう。
彼こそ平塚屈指の大楼、平田楼楼主ではないかという推測は、さすがに夢を見すぎか。

 
平塚遊廓には「つたや質店」「岡野質店」という二つの質屋があった。
つたや質店はいまなお現役で、左上の写真に電柱看板が写っている。
その電柱の後ろの建物が旧・岡野質店。蔵と看板の跡が質屋のなごりをとどめている。


前回訪問時、業者がいて改装中かと思った旧・旅館きみの。(記事はこちら
どうやら業者の事務所になったというのが真相のようだ。