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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

静岡の家康

2016年10月01日 | 浜松・静岡

 浜松にいるとやたらに「家康くん」なる「ゆるキャラ」が目につく。ゆるキャラグランプリの前などは、大学のメールに投票を呼び掛ける連絡が来るほど、浜松市は家康くんで浜松を日本全国に知らしめたいと考えているようである。なんだかそんなゆるキャラの影響か、家康はすっかり浜松の「もの」になってしまった感がある。歴史的に見てみると、家康が浜松城を居城にしていたのは、1570年から1586年の17年で、しかもその間には家康の歴史的敗北と言われる三方ヶ原の戦いがある。1986年以降、家康は駿府に本拠を移している。
 さて駿府、すなわち現在の静岡であるが、街中には駿府城の堀が残されている。その後、家康は江戸城に移るが、隠居後は駿府城で大御所として政治的権力を握り、1916年、この城で没した。つまり家康をはじめ、徳川は静岡と深く結びついている。あの十五代将軍の慶喜も、明治2年に静岡に居住し、明治30年に東京へ移住するまでずっと静岡で暮らし続けたという。
 静岡は、「家康くん」なるゆるキャラを生み、家康を売り出す浜松をどのように思っているんだろう。思わず微笑んでしまう。大歓迎なのか、それとも「コノヤロー」なのか。それとも「関係ない」なんだろうか。なんだか個人的には、静岡が知らないうちに、「家康」が浜松に持っていかれてしまったような気もする。まあ、富士山がほとんど見えない静岡県浜松市だから、許してあげていいと思うけど。ちなみにこの写真は浜松ではなく、静岡駅前にある徳川家康である。
 「浜松だけじゃねえぞ!」と叫んでいるようである。それとも、それは家康ではなく静岡市民の代弁か?