旧市街の一角の目立たないところに、目立たない階段があります。
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レンガ積みのところは古い城壁(防壁)の残りです。
五稜郭みたいに凸凹しているところが城壁(17世紀末の俯瞰図)
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城壁手前にオスマントルコ軍が突撃用に築いた通路が描かれているそうですが
どれがどれだかわかりません
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_3.gif)
19世紀半ば、城壁が取り壊されて環状大通りが建設されました。
城壁のごく一部は今日まで残存。立退き料交渉決裂が原因だそうな
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おかげで、当時の城壁と城壁内側の家並みを、ちょっぴり垣間見ることができます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_1.gif)
最初の写真の階段向こう側へまわると、上の俯瞰図の凸部分が・・・
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手前の柱はアンドレアス・フォン・リーベンベルガー記念碑
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リーベンベルガーはオスマントルコ軍による第二次ウィーン包囲当時のウィーン市長。
彼は市民による防衛軍を組織、防衛線構築を監督、自ら指揮しました。
楯に前足を乗せて横たわる獅子は、戦死者の記念碑と言われますが・・・
調べた限りでは「援軍による市街解放の2日前に世を去った」とあるので
あるいは過労で仆れたか、病死だったかもしれません。
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リーベンベルガーさんの後の家はパスクアラティハウス
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建物の所有者パスクアラティ男爵がベートーヴェンの後援者で
ベートーヴェンは断続的に合計9年ここに住みました。
その住居(屋根の下の最上階)が記念館として一般公開されています。
ここまで来ると古い城壁の様子が良くわかります
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反対側の通りを見たところ
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城壁内の古い家並みがちょびっと残っています
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ここから、ちょびっと残る「城壁内」に入れます
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左後方に見えるのはウィーン大学本校舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuri_2.gif)
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なんだか歴史を感じる・・・。
日本のお城にはあまり行ったことがないんですが、
歴史を感じる建物は大好きです。
お城に限らず、ちょっとした街角にも
昔を感じさせるものが残ってたりしますよね。
そういうの見つけるのも好きです。
いつかウィーンにも行ってみたいな~♪
ヨーロッパの中世から近世を経て近代までの都市は
市街地全体が城壁(防壁)に囲まれていました。
つまり、それだけ物騒だったわけ
大砲が進歩(平和主義の見地からは悪化)して威力が大きくなると
城壁の意味はなくなって、大都市では場所ふさぎで邪魔になり
大半は、市街地拡大のため撤去されました。
城壁(防壁)が残っているのは、近代までに発展の止まった都市です。
ウィーンの場合、残ったこの部分は、立退き料交渉がうまく行かなかったせい
でも、それは「良い史実」です。
暴君や独裁者の支配する世界なら、
立退き料どころか、拒否すれば殺されたでしょう
私のところにお泊まりいただける場所はありませんが
日本から沢山お客様が来てくださるのは嬉しいことです