旧市街の一角にこんな通りがあります。
ティーファー・グラーベン(直訳すれば「深い壕」)という名前。
一見ただの通りですが向こうに橋が・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/50/e811370db9e55e795529b23c9aba9278.jpg)
・・・橋の上も通りです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/5e/ad967c3c892f7b082abf8a5be0ceadcb.jpg)
この通りの部分には、古代ローマの辺境軍営都市ヴィンドボナの時代、川が流れていました。3世紀の土砂崩れで、河床がえぐられ、谷のようになりました。その後も、この川が当時の市域(今の旧市街の更に中心部分)の境界になっていましたが、1200年に修道院建設のため、河床を移動。以降、道になったのですが、周辺の道の高さまで埋め立てられることはなく、そのまま今日に至っています。
つまり「横着通り」なのです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_lazy.gif)
ヴィンドボナについてはこちら(軍事都市ヴィンドボナ)
橋は13世紀末には既に存在したようですが、現在の橋は1904年にユーゲントシュティルで建造されました。
縦に写してみましたが・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/9c/7366157d5b1e07446f9705ad1bf8b74b.jpg)
・・・天気もカメラも悪いので・・・
Wikipediaフリー画像でお口(お目)直し
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ec/987331cad024aa68aacbcec2773b4a22.jpg)
橋の下の人たちが、すぐ上の通りへ行けるよう、橋の両端に階段がついています。
ユーゲントシュティル関連の以前の記事
古物放出
病院の教会
階段の美学
ステキ通り!!
しかし、沢山路駐ですね@@;
みんなあんな狭い中をちゅうしゃするのか、すごい。
奥に見える白赤のとんがり屋根の建物お城みたいです!!
あ~~ああ!
歩きたい!
この道は、初めて見たときから奇妙に思ってました
古代ローマの塹壕があったのかと思ってましたが
今回アップするのでWikipediaをみたところ
上に紹介したような内容が判明
横着?して、そのまま使ってたので
こんなへこんだ通りになったようです
建物を作ったあと便利だからといって蛸足のごとく陸橋で繋いだりするけれど、その辺の考え方、美的センスが根本的に違う
日本では建物と橋の調和が取れていない事例が多い
歴史を大切にする国民性なのですかね。
不思議と違和感がないですね
写真を見ているだけで伝わってきます。
ワイドレンズで撮ればよいというものでもないです(Wikipediaフリー画像)
ななみみずさんの写真にグンパイあり
建物が歪んでいない
名刺交換もしていないのに後日コメントが
約束もしていないのに大文字山で何回かご一緒に
不思議な方です
↓
http://blogs.yahoo.co.jp/nrkmr257/
でも、確かに街の景観に関する感覚が違うかな
それと、昔からの自然な発展の延長線上にあるのと、そうでない場合との違いもあるかな
日本には2回「断絶」があると思います。明治維新と第二次大戦後。明治維新の後には、19世紀後半のスタイルで、いわゆる「洋館」が建てられました。京都を除き、その多くが第二次大戦の空襲で破壊されました。戦後復興の時期は、もう鉄筋コンクリートの時代で、しかも明治以降の「洋館」は日本の伝統建築ではないので、殆ど再建されず、鉄筋コンクリート・ビルの時代に移行。とりわけ戦後復興は急速だったので、都市計画、都市の美観などということを熟考する前に、事態がどんどん進んじゃった
ドイツも空襲で大都市が壊滅的打撃を受けていますが、多くの一般建築が「歴史的建物」なので、再建されています。と、書いているときりがないので、一応これで
いつもピンボケ写真に励ましのお言葉、有難うございます
それからクニさんご紹介コメントも有難うございます
ワタクシ、住んでいるのはウィーンですが
読んでいる新聞はスイスの日刊紙で
他の国々のことも出てきます、つまりバラバラ
京都に住んでいたことがあるので、大文字山は懐かしいです
こんなオンボロ・ブログですが
気が向かれましたら、また覗いてくださいませ