アントニオ・ヴィヴァルディといえば「四季」の作曲家というだけで、無関心でした
同時代の画家がスケッチしたヴィヴァルディの横顔
「四季」以外にも数々の名曲があることを知ったのは黒澤明のおかげです
「八月の狂詩曲」のBGMにヴィヴァルディの「スターバト・マーテル」が使われていたのです。
それからヴィヴァルディ・ファンになりまして、CDも大分買いました。
そして初めて、ヴィヴァルディがウィーンで世を去ったことも知りました。
もうひとつの副産物は「スターバト・マーテル(詩)」ファンになったことです。
詩が美しいので、多くの作曲家が「スターバト・マーテル(曲)」を作曲しています。
私も、色々な作曲家の「スターバト・マーテル」を持っていますが
ヴィヴァルディの作品は特に印象深いもののひとつだと思います。
その一節をお聴きください。
ヴィヴァルディの曲は、音に結晶したヴェネチアです。
ヴィヴァルディ当時のヴェネチアの風景を見ながらお聴きください
カナレットの作品
歌っているのは、現代のカウンターテノール第一人者のひとりアンドレアス・ショルです。
ショルが歌う「スターバト・マーテル」は数年前、コンツェルトハウスで聴きました
Wikipedia:Andreas Scholl(英語)
ヴィヴァルディが何故ウィーンに来たかと言えば、Wikipediaの説明にもある通り、彼の晩年に音楽の流行が変わり、ヴェネチアで生活できなくなったためです。日本語ウィキの説明では「流行が変わったから」というだけですが、加えて、頼りにしていた皇帝カールVI世が、少し前に世を去ったところでした。皇帝の急逝で混乱気味のウィーン宮廷は、亡き皇帝を頼ってきた作曲家にまで手が回らなかったとも考えられます。ヴィヴァルディはウィーンに来てから10ヵ月後、貧窮のうちに世を去りました
ヴィヴァルディが埋葬された貧民墓地だったところにはウィーン工科大学があります。
工科大学本館の壁に見られる記念のプレート
この写真の一番奥の壁面にプレートがあります
背後に見えるのはカールVI世が建てたカールス教会
画像は全てウィキ・フリー画像です
ゴマグリモナカのMichimichiさんが描かれた脱原発ニャンコの缶バッジ
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色々な脱原発バッジがあります
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