続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・(天保3年から無住)桜の南蔵院

2024-05-02 21:23:46 | 県道3号線紀行2

ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内の西を歩いてきました。

 

実っても刈り取られなかった稲、土に帰ったようです。

日本の農業どうなって行くのかな

 

タバサねーちゃんは、そこらまでのちい散歩です。

 

帰道は、飛ぶように歩きます。

 

昼間はお外犬です。

昨日は昼頃から土砂降り風の雨になって、ひどいことになったでふよ

今日は大丈夫でふかねえ

 

 

 

 

4月12日、旧粕川村の伴内酒造跡と粕川土手の桜並木の後、県道3号線に出ました。

少し北の方に、天保3年から無住だという南蔵院というお寺があったはずです。

無住なのに、桜がきれいに咲いていました

天保3年から無住・桜の南蔵院

 

今年はどうかな?

寄り道して行きましょう

 

咲いています

石造物も、まだしっかり残っています。

 

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅰ』によれば、

南蔵院(なんぞういん)ー勢多郡粕川村

南蔵院の由来は『上野国郡村誌』によれば、「開基創建は不詳。天保9年(1838)2月22日に焼失する。元治元年(1864)に仮本堂を再建する。当寺は天保3年(1832)より無住となり、本地の赤城寺(せきじょうじ)の住職が兼務している。」とあり、この天保9年の火災で古記録などすべて失ってしまった。明治8年(1875)に村方が提出した「無住寺院取調御届」によると、「本堂、庫裏共に一戸 萱葺 間口八間半 奥行四間半 天保9年3月住僧初瀬へ出世に参り、帰国仕ズ。是迄無住ニ御座候」~(中略)~南蔵院は天保年間(1830ー1844)以降無住となり、本寺である宮城村の赤城寺の住職が兼務している。現堂宇は大正末期に再建された。しかし檀家の離檀が相次ぎ衰退した。 

 

和尚さんが初瀬に行ったきり帰ってこなかったんですね

 

前回の訪問時より、咲き進んでるかな?

 

 

 

無住でも、桜はきれいに咲いてます

石造物も、ほぼ残ってます。

今のご時世にも、時の流れが止まったようなゆったりとした空間です

寄ってみてよかった

また来まーす

 

この入り口付近に駐車してました。

そのまま路地を進みます。

鳥居があって神社があります。

寄って見たいけれど、境内の集会所に人が集まっているみたい。

うまく駐車出来ずに、Uターンして南蔵院前に戻ります。

 

折角だから、裏から廻り込んでみよう。

 

横(西側)からの南蔵院です。

やはり桜の南蔵院です

 

少しウロウロして、裏から神社駐車場に廻り込みました。

八幡宮です。

拝殿で2礼2拍1礼です

前回も寄ろうとして、寄れませんでした。

初めての参拝です。

 

拝殿前から鳥居を眺めます。

大げさにいえば、桜の花びらジュウタンの参道です

駒犬の向こうまで出てみます。

 

振り返って駒犬です。

こんにちは

杉木立の中の、村の鎮守様ですね

やっと参拝出来ました。

 

 

さて、南蔵院前を通ってつき当たりを左折、県道3号線に出ましょう。

 

 

少し行くと、上毛電鉄・新屋駅です。

行きには気づきませんでした

 

また少し行くと、大きな道祖神です。

行きにも気になりましたけど、後続車があって停車できませんでした。

現役で活躍中のようです

この道は人々が行き交う街道だったのでしょう

 

南に行くと県道3号線、北に行くと何処に行くのだろう

 

南蔵院の本寺は鼻毛石(旧宮城村)の赤城寺です。

鼻毛石に行きそうです

鼻毛石は、ひめちゃんたちのパパ・小次郎の生まれ故郷です

 

 

 

 

 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 続・下手計の鹿島神社(手計... | トップ | ささら橋架けかえ中です »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

県道3号線紀行2」カテゴリの最新記事