続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

上野国山上に鎮魂の調べが流れて

2024-06-06 16:35:50 | 県道3号線紀行2

ひめちゃんは、意志の強すぎる子です

夜はなんとしても、室内犬で過ごすつもりのようです

再びの「アタチ挟まってまふ」事件以来、さらに意志の強さを打ち出してます

今朝はお散歩に出てまもなくライバルらしい黒柴の姿を発見。

跡をたどって、堀之内をうろうろして帰りました。

なので、写真は昨日の写真になります。

 

 

堀之内を北の方に出ます。

竹藪には、まだがマダケのタケノコが顔を出しています

 

岩神沼付近で、あれ何かが飛び立った

アオサギです

 

また、アオサギさんに逢える季節になったね

 

獅子丸のお部屋、去年の挿し木が咲いてきてます

 

 

 

 

本日6月6日は、山上の常広寺の開基・本橋院殿(山上鄕右衛門顕将)の命日です。

毎年、鄕右衛門忌(ごうえもんき)なる、ささやかなイベントが開かれていました。

今年は令和6年6月6日、6が3つも重なるおめでたい日です

鄕右衛門忌も、この日をもって一応の打ち上げにしましょう

 

 

まず、昨日準備できなかったので、供養塔にあじさいの切り花を持参して、お掃除です。

実は、この位置は、山上城本丸への近道なのです

縄張り図もあります。

 

昨年、供養塔と隣の六地蔵さんには銅板の屋根がつきました

輝くあかがねの色は、あっという間にくすんでます

おはようございます

ご無沙汰してます

合掌

 

 

右奥の竜神堂にも、ご挨拶です。

 

ワラの竜がいます

竜骨は何処かな?

大正12年1月1日の火事で焼け落ちた竜骨は、拾い集めてしまってあると言うことです。

あの厨子の中かな?

合掌

 

 

本堂で最後の鄕右衛門忌ミに講演会「竜骨伝記の真実」です

 

正徳4年(1714)、田中藤左衛門(たなかとうざえもん)が竜骨を持ってやってきました。

その時に竜骨の由来書(竜骨伝記)と、鑑定書というか保証書というか證書寫をおいていきました。

大正12年1月1日の火事で焼ける前に、それを書き写した人が2人いるのです。

世良田の毛呂権蔵と小俣鶏足寺の和尚です

 

2人の記述を元に復元された竜骨伝記を確認です。

ゆかりの地(毛呂権蔵家、世良田普門寺、小俣鶏足寺、深谷七ッ梅跡等)の映像も確認です。

 

本日の御朱印です。

6が3つも重なる日って、そうそうないですよね

 

 

その後、二胡の演奏がありました。

琴の演奏もありました。

ファイナルで、不思議な力が働いたのでしょう。

向こうから、演奏の申し込みがあったそうです。

開基・本橋院殿(山上鄕右衛門顕将)の、「山上城付近にて落命せしあまたの人々の冥福を祈らんがためなり」の願いを具現するかのように、鎮魂の調べが流れました

ありがとうございます

まさに、ファイナル鄕右衛門忌にふさわしい終り方でした

 

 

 

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