続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

松島瑞巌寺・法身窟

2023-11-07 16:27:45 | みちのく紀行

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでそこら辺までのちい散歩(近距離散歩)です。

久しぶりの貧乏カッパです。

今朝は、タバちゃんも軽快に歩きました

 

 

(10月25日)

松島・円通院から瑞巌寺を目指します。

食事処・お土産屋さんを過ぎます。

あれ、お店の隣に石造物いっぱいの洞窟です

「危険に付、立ち入り禁止 瑞巌寺」とあります。

もう瑞巌寺なんだ

 

 

まもなく、瑞巌寺の拝観券売り場が見えます。

 

大きな金属製の灯籠と青銅のお地蔵様です。

延命地蔵です。

合掌

 

 

自動券売機で拝観券を蚊って受付です。

御朱印をお願いして御朱印帳も預けます

 

 

さて、左手の人々がいるところへ行ってみましょう。

法身窟(ほっしんくつ)と案内があります

 

法身窟って

鎌倉時代中期(13世紀半ば)、諸国行脚中の北条時賴が、後に臨済宗円福寺の開山となる法身性西(法身性才 俗に真壁兵四郎)と出逢った場所と伝えられている。

 

ここに瑞巌寺の開山・法身さんが暮らしていたのです

 

内部は、石造物がいっぱいです。

 

合掌

 

六地蔵塔があります。

 

青銅製です。

廻している人はいませんでした。

 

思いがけず、瑞巌寺にとって特別な洞窟を訪問できました

合掌

 

法身窟の左の方は、なんとなく奪衣婆?

 

 

訪問時はさほどの感動もなかった法身窟ですけど、帰宅後、本堂の売店で何気なく目に入って購入した冊子を読んで感動でした

主君のむごい仕打ちに故郷を離れ出家した平四郎は、留学僧として宋に渡り、9年または10年の修行で禅の神髄・悟りの境地へ至り帰国。

帰国した法身が松島に来て、入り江の洞窟に住まいしていたのです。

そこに、鎌倉幕府の執権・北条時賴がやって来たのです。

法身窟は、法身が住んでいた洞窟だったのです

 

 

振り返って法身窟です。

洞窟は見えないけれど、あの岸壁の向こうが法身窟です。

本堂目指します

 

(つづく)

 

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