いやーーー今日は暑かった 久し振りに学生時代の仲間と 博物館へ行き 馬刺しを食し なべをつついて 心置きなく議論をしてきました
よく食べよく飲んで美味しかったし 面白かったな・・・
それにしても 地下鉄の大江戸線と言うのはどう乗ったらよいのか
いまだに分かりません 行き先を見てもどちらに行くのかピンと
来ない所があります
今日の江戸東京博物館では 「発掘された日本列島2004」なる
文化庁主催の展示を行っておりました 今年で10周年とのことで特別展示もありましたが 私にとって興味があったのは 兵庫県上郡町と言う所で発掘された奈良時代から平安時代にかけての幹線道路 古代山陽道の「野磨駅家」(これで やまのうまやと読みます) 駅家(うまや)とは 幹線道路を往来する役人のために16キロ置きに作られていた馬の乗り継ぎや 宿泊のために整備されていた施設だそうです 中山道でも古代には東山道が通って居たことは知っていましたが 往来のためにどんな施設が在ったかなどと 考えたことも有りませんでした
約400年前の京の都の天秤工場跡や大阪城の外堀埋め立てなど発掘しなければ分からないことは理解できますが 汐留遺跡のように100年位しか経ってなくても 発掘で改めて分かると言うのも何か考えさせられるものがあります 5階の常設展示の方に明治4年に撮影された江戸城の写真があり 城内にある長屋はふすまもたたみも無く崩れそうで 門の屋根には草が沢山生えていました 250年続いた幕府が倒れて たった4年間のことです
写真は竜のひげの小さな小さな花です
この花はずーーーーーとかわっていないんだよね
よく食べよく飲んで美味しかったし 面白かったな・・・
それにしても 地下鉄の大江戸線と言うのはどう乗ったらよいのか
いまだに分かりません 行き先を見てもどちらに行くのかピンと
来ない所があります
今日の江戸東京博物館では 「発掘された日本列島2004」なる
文化庁主催の展示を行っておりました 今年で10周年とのことで特別展示もありましたが 私にとって興味があったのは 兵庫県上郡町と言う所で発掘された奈良時代から平安時代にかけての幹線道路 古代山陽道の「野磨駅家」(これで やまのうまやと読みます) 駅家(うまや)とは 幹線道路を往来する役人のために16キロ置きに作られていた馬の乗り継ぎや 宿泊のために整備されていた施設だそうです 中山道でも古代には東山道が通って居たことは知っていましたが 往来のためにどんな施設が在ったかなどと 考えたことも有りませんでした
約400年前の京の都の天秤工場跡や大阪城の外堀埋め立てなど発掘しなければ分からないことは理解できますが 汐留遺跡のように100年位しか経ってなくても 発掘で改めて分かると言うのも何か考えさせられるものがあります 5階の常設展示の方に明治4年に撮影された江戸城の写真があり 城内にある長屋はふすまもたたみも無く崩れそうで 門の屋根には草が沢山生えていました 250年続いた幕府が倒れて たった4年間のことです
写真は竜のひげの小さな小さな花です
この花はずーーーーーとかわっていないんだよね
野磨駅家・・・やまのうまや!・・・捻り過ぎだと思いません?!←全然読めず、しかもなかなか頭の中で定着しないのが悔しいヒト
地下鉄の大江戸線には乗ったことがありません。イメージでは、地下深~い深~い所を走っている新しい電車、くらいな感じで。わかりにくいのかぁ。
竜のひげの花って、俯いているように見えるけど
どの花もそうなの?
色々意見があり 結構大変なんです
この駅家の名前はひょっとしたら万葉集の
防人の歌にでも出てくるかな・・・
先日の分にもコメント入れたよ