正月明けから全国的に冬の嵐で,各地が豪雪に見舞われる中,大阪は寒いが比較的穏やかな日々である。日曜日の今日はそれでも雪/曇りという天気予報であったのに、朝起きてみると晴天ではないか。こうなると家にジッとして入られない。今日はきっと二上山残照が拝めるかもしれない。行ってみよう。やおらカメラ機材一式バッグに詰め込んで家を飛び出した。
いつもの上六から近鉄大阪線で二上駅まで行き、そこから南へ向って近鉄南大阪線二上山駅方向を目指して歩けば、二上山が正面に見える。もちろん桜井から三輪山目指して行き、三輪神社か桧原神社から二上山を遠望する手もある。また飛鳥甘樫丘か、さらには談山神社方面へ登る峠道からの二上山もいいが、これは次回の楽しみにとっておこう。今回は間近に二上山を見上げよう。
さて、二上駅を降りて二上山方面へ歩き始める。いつものように車が走る道を避け、脇道に入る。だいたい歴史散策は一本脇道へ入るのが鉄則だ。車の通れない狭い道こそが古くからの道であったのだから。しかし驚いた。この辺りはあまり有名を歴史スポットではないのに、まるで時間が止まったように古い家並が残っている。ここは奈良県香芝市穴虫。珍しい名前だが、大和から大阪へ抜ける竹内街道の脇街道として二上山の北の麓をたどる穴虫峠というのがある。その大和側の集落が穴虫だ。
集落に入ってさらにおどろくのは、その充実した古民家の集積度だ。いや,古民家というより、船板塀に囲まれた堂々としたお屋敷街である。しかも入母屋造り、切り妻造り、大和棟と様々な様式が混在する。ここはどういう町なのか?
ここ穴虫は、今井町や大宇陀のような商業地や街道沿いの宿場町、富田林のような寺内町、稗田、番条のような環濠集落でもない。豪農の邸宅地という風情でもない。二上駅から二上山駅までの南北わずか2キロメートルほどの間に異空間が静にたたずんでいる。立派な家ばかりだ。ここは先程も述べたように、古代より大和国中から河内、摂津へ向う峠道の傍らにある集落で、やはりなにがしかのヒト、モノ、カネが集まる場所だったのかもしれない。
背後にそびえる二上山は古代、石器の材料となったサヌカイトの産地であった,ドンヅル坊というサヌカイトの露出した岩肌の奇観も穴虫峠の近くで見ることが出来る。また、金剛砂が川から採れる為、研磨材や研磨機を扱う企業が今でもある。
ともあれ武家屋敷と見まごうばかりの門構えの家、巨大な庭木がそびえる家、本瓦葺きの蔵屋敷など、その土地の富を誇示するような建物がこれだけの狭い地域に密集している事に改めて驚かされる。多くは江戸期以降に起源を発する建物だろう。うらやましいような豪邸ばかりだが現在住んでいる方々のご苦労もあるのだろう。
だらだら坂を上り、この不思議な穴虫の集落を抜け、近鉄二上山駅脇の踏切を渡ると、目の前にいよいよ二上山がそびえる。しかし、この位置からだと、あの雄岳、雌岳あい並ぶあのフタコブラクダ型二上山は望めない。そうこうしているうちに日は傾き、あとわずかな時間で山の向うへ隠れてしまう。ため池に映る美しい入り日の残照をカメラに収めつつ,慌ただしく東へ移動する。冬の日は秋よりもつるべ落とし。當麻の里まで行けばあのツインピークスの二上山の姿が拝める。冬枯れの田園の鉤の手道をひたすら當麻に向って走る。途中すれ違う犬の散歩中の人が,何事かと振り返るが気にしない。
二上ふるさと公園にたどり着いた時には陽は二上山の雌岳の遥か左(東方向)に今まさに沈まんとしている。あわててシャッターを切った。なかなか雄岳と雌岳の間に夕陽が輝く光景を拝む事は出来ない。入江泰吉の「二上山残照」に憧れるが、あのような瞬間を収めるには飛鳥の山肌や三輪山の麓から望む方がやはり良いのだろう。近づきすぎたんだろう。季節に寄って太陽の傾きも変わるし。
澄み切った空気の冬、夕陽は赤く山肌を染める事なく、青空と白い雲の間からキラキラと輝きを保ったまま山稜にその姿を隠していった。二上山に日が落ちてもしばらくは緩やかな傾斜地である當麻の里からは真っ正面(真東)に三輪山と箸墓を望むことが出来る。山の隙間から西日がまだ三輪山を煌煌と照らしている。三輪山と二上山はほぼ正確に東西軸上にある。一昨年11月に纒向遺跡で宮殿趾と目される遺構が発掘されて、卑弥呼の宮殿ではないか,と話題を呼んだが,この建物配置はまさに三輪山を東に背負い、西に二上山を望む東西軸の配置であった。
ここから観る三輪山は甘南備型で美しく神々しい。さらに目を右手に転ずると、畝傍山や耳成山、飛鳥古京の地、東山中の山々を一望にすることが出来る。逆に飛鳥、三輪、纒向の古代ヤマト王権の地からは西方にこの二上山を望み、一日の終わりに太陽がこの山に沈んで行く神々しい光景を眺めた。さらに仏教伝来以降は、この二上山の向うに夕陽に輝く仏のおわします西方浄土を夢見た。大津皇子が無念の死を遂げて、大和盆地の西の二上山雄岳に葬られたのも偶然ではなかったのだろう。
静かに暮れ行く當麻の里。この豊かで平和な田園地帯を少し急ぎながら歩く。うっすらと雪化粧した山肌を背景に當麻寺の東塔、西塔を抱く當麻の里を愛でながら,大和国中の眺望が広がる里を歩く。日が落ちた一本道を當麻寺駅に向って歩く。凍える手をこすりながら。夕暮れ時はいつも寂しくて心細い。でも今日は楽しかった。
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いつもの上六から近鉄大阪線で二上駅まで行き、そこから南へ向って近鉄南大阪線二上山駅方向を目指して歩けば、二上山が正面に見える。もちろん桜井から三輪山目指して行き、三輪神社か桧原神社から二上山を遠望する手もある。また飛鳥甘樫丘か、さらには談山神社方面へ登る峠道からの二上山もいいが、これは次回の楽しみにとっておこう。今回は間近に二上山を見上げよう。
さて、二上駅を降りて二上山方面へ歩き始める。いつものように車が走る道を避け、脇道に入る。だいたい歴史散策は一本脇道へ入るのが鉄則だ。車の通れない狭い道こそが古くからの道であったのだから。しかし驚いた。この辺りはあまり有名を歴史スポットではないのに、まるで時間が止まったように古い家並が残っている。ここは奈良県香芝市穴虫。珍しい名前だが、大和から大阪へ抜ける竹内街道の脇街道として二上山の北の麓をたどる穴虫峠というのがある。その大和側の集落が穴虫だ。
集落に入ってさらにおどろくのは、その充実した古民家の集積度だ。いや,古民家というより、船板塀に囲まれた堂々としたお屋敷街である。しかも入母屋造り、切り妻造り、大和棟と様々な様式が混在する。ここはどういう町なのか?
ここ穴虫は、今井町や大宇陀のような商業地や街道沿いの宿場町、富田林のような寺内町、稗田、番条のような環濠集落でもない。豪農の邸宅地という風情でもない。二上駅から二上山駅までの南北わずか2キロメートルほどの間に異空間が静にたたずんでいる。立派な家ばかりだ。ここは先程も述べたように、古代より大和国中から河内、摂津へ向う峠道の傍らにある集落で、やはりなにがしかのヒト、モノ、カネが集まる場所だったのかもしれない。
背後にそびえる二上山は古代、石器の材料となったサヌカイトの産地であった,ドンヅル坊というサヌカイトの露出した岩肌の奇観も穴虫峠の近くで見ることが出来る。また、金剛砂が川から採れる為、研磨材や研磨機を扱う企業が今でもある。
ともあれ武家屋敷と見まごうばかりの門構えの家、巨大な庭木がそびえる家、本瓦葺きの蔵屋敷など、その土地の富を誇示するような建物がこれだけの狭い地域に密集している事に改めて驚かされる。多くは江戸期以降に起源を発する建物だろう。うらやましいような豪邸ばかりだが現在住んでいる方々のご苦労もあるのだろう。
だらだら坂を上り、この不思議な穴虫の集落を抜け、近鉄二上山駅脇の踏切を渡ると、目の前にいよいよ二上山がそびえる。しかし、この位置からだと、あの雄岳、雌岳あい並ぶあのフタコブラクダ型二上山は望めない。そうこうしているうちに日は傾き、あとわずかな時間で山の向うへ隠れてしまう。ため池に映る美しい入り日の残照をカメラに収めつつ,慌ただしく東へ移動する。冬の日は秋よりもつるべ落とし。當麻の里まで行けばあのツインピークスの二上山の姿が拝める。冬枯れの田園の鉤の手道をひたすら當麻に向って走る。途中すれ違う犬の散歩中の人が,何事かと振り返るが気にしない。
二上ふるさと公園にたどり着いた時には陽は二上山の雌岳の遥か左(東方向)に今まさに沈まんとしている。あわててシャッターを切った。なかなか雄岳と雌岳の間に夕陽が輝く光景を拝む事は出来ない。入江泰吉の「二上山残照」に憧れるが、あのような瞬間を収めるには飛鳥の山肌や三輪山の麓から望む方がやはり良いのだろう。近づきすぎたんだろう。季節に寄って太陽の傾きも変わるし。
澄み切った空気の冬、夕陽は赤く山肌を染める事なく、青空と白い雲の間からキラキラと輝きを保ったまま山稜にその姿を隠していった。二上山に日が落ちてもしばらくは緩やかな傾斜地である當麻の里からは真っ正面(真東)に三輪山と箸墓を望むことが出来る。山の隙間から西日がまだ三輪山を煌煌と照らしている。三輪山と二上山はほぼ正確に東西軸上にある。一昨年11月に纒向遺跡で宮殿趾と目される遺構が発掘されて、卑弥呼の宮殿ではないか,と話題を呼んだが,この建物配置はまさに三輪山を東に背負い、西に二上山を望む東西軸の配置であった。
ここから観る三輪山は甘南備型で美しく神々しい。さらに目を右手に転ずると、畝傍山や耳成山、飛鳥古京の地、東山中の山々を一望にすることが出来る。逆に飛鳥、三輪、纒向の古代ヤマト王権の地からは西方にこの二上山を望み、一日の終わりに太陽がこの山に沈んで行く神々しい光景を眺めた。さらに仏教伝来以降は、この二上山の向うに夕陽に輝く仏のおわします西方浄土を夢見た。大津皇子が無念の死を遂げて、大和盆地の西の二上山雄岳に葬られたのも偶然ではなかったのだろう。
静かに暮れ行く當麻の里。この豊かで平和な田園地帯を少し急ぎながら歩く。うっすらと雪化粧した山肌を背景に當麻寺の東塔、西塔を抱く當麻の里を愛でながら,大和国中の眺望が広がる里を歩く。日が落ちた一本道を當麻寺駅に向って歩く。凍える手をこすりながら。夕暮れ時はいつも寂しくて心細い。でも今日は楽しかった。
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