ぼけ~~~っと人生充電記!

こんな時だから、こんな時だからこそ、色んな事を書き残していきます。

【体操】岡慎之助が鉄棒で金!個人総合、団体総合と3冠 1大会4個以上メダルは日本勢40年ぶり

2024-08-05 23:30:00 | スポーツ

<パリオリンピック(五輪):体操>◇5日◇種目別決勝◇ベルシー・アリーナ

 【パリ5日=阿部健吾】体操の種目別決勝がベルシー・アリーナで行われ、男子で個人総合、団体総合を制した岡慎之助(20=徳洲会)が鉄棒で金メダルを獲得し、72年ミュンヘン大会の加藤沢男以来52年ぶりの3冠を達成した。平行棒は銅メダル。1大会4つ以上のメダルは、84年ロサンゼルス大会の具志堅幸司(5個)以来40年ぶりとなった。

    ◇   ◇   ◇

 バーをつかめるだけで幸せだった。男子種目の最後を締めくくる鉄棒。岡はにこやかに時間を過ごしていた。緊張は感じさせない。鉄棒をつかんでスイングを始めると、G難度の離れ技「カッシーナ」を決め、車輪を大きく回していく。倒立姿勢も美しい。最後の降り技をピタリと止めると、両腕を突き上げた。今大会18演技目を通しきると、後続にミスが続き、3個目の金メダルに届いた。

 「ミスなくやりきれたことが金メダルにつながった」

 バーを握れているだけで幸せだ。高校時代は手首などの成長痛に悩まされた。「左手で鍵を閉める事もできなかった」と高2の半年間は特に苦しんだ。鉄棒の装具もまともに付けられないほど。「めちゃくちゃ痛かったんで」と振り返る制約の日々だった。15歳で世界ジュニア王者となりながら、一気に世界舞台に駆け上がれない。そんなもどかしい日々を耐えてきた。

 鉄棒の前に行われた平行棒では、もう1つの幸せも感じた。中国の鄒敬園との勝負。東京五輪に続き、この日も世界最高峰の美しさでライバルたちを圧倒する姿を目の当たりにした。自身は15・300点で銅メダル。「さばき方が好き。あそこが理想」とする存在と並んだ表彰台の経験も、今後の成長の糧になる。

 個人総合は、日本勢で12年ロンドン五輪から4大会連続、6人目の王者となった。そしてスペシャリストがそろう種目別でも存在感を見せつけた。「もっと強くなって(内村)航平さんがやってきたように、常に勝ち続けられる選手になりたい」。「日本の宝」と呼ばれた青年は「世界の宝」となり、まだまだ体操を極めていく。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/e3f02e67bb120c9fb0f762eff02e5f59d4020fb0)

 

🥇おめでとう!

団体&個人総合&鉄棒で3冠、すごい!!

本当におめでとうございます!

                          🥇5814号

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岡慎之助、平行棒で銅メダル!日本勢の夏冬五輪通算600個目 「日本の宝」が今大会3個目

2024-08-05 23:00:00 | スポーツ

◆パリ五輪 第11日 ▽体操男子(5日、ベルシー・アリーナ)

 種目別平行棒の決勝が行われ、団体&個人総合2冠で初出場の20歳・岡慎之助(徳洲会)が15・300点をマークし、銅メダルを獲得した。日本のメダル数としては夏冬合わせて通算600個目。同種目の日本勢は、2004年アテネ五輪・冨田洋之氏の銀メダル以来、20年ぶりとなった。1大会で3つのメダル獲得は体操界では21年東京五輪の橋本大輝(セントラルスポーツ)以来。鄒敬園(中国)が驚異の16・200点をマークし金メダル。谷川航(セントラルスポーツ)は14・133点で6位だった。

 岡の美しい平行棒だった。団体予選、決勝、個人決勝ともミスがなかった流れをそのままに、この日の種目別決勝にもつなげた。関門だったE難度の「マクーツ」も足先までぴんと伸び、しっかりと決めた。着地もぴたりと決め15・300点だった。

 鄒敬園が抜けているとはいえ、銀メダルは狙えた。ただ想定外だったのは、銀メダルを獲得したイリヤ・コトゥフン(ウクライナ)。予選では6位と、3位の岡より下位で通過した。しかし、予選で難度を表すDスコアが6・7点だったのを7・0点に上げた。岡はDスコアが6・5点のまま。その時点で0・5点の差がついていた。

 しかし、次世代を担う日本の宝・岡の勢いは止まらなかった。今春には腰に違和感を抱えてきたが、本番までに不安要素は払拭。五輪でついに本領発揮した。

 団体決勝では、自ら任された種目で大きなミスなく演技を完遂。3・267点差で迎えた最後の鉄棒は、中国に大きなミスが出て、一気にチャンスが巡ってきた。日本も失敗すれば、金が遠ざかる緊迫の中、岡は2番手で14・433点と確実につないだ。21年東京五輪2冠の橋本も「何で初代表はこんなに強いんだ。やべえなって思った」。初舞台も堂々の演技を見せた。 絶好調のまま迎えた個人総合決勝では、橋本と張(中国)、世界王者の一騎打ちが予想されたが、両者にミスが出る波乱の展開。そこでも岡は「緊張をかみしめながら楽しんで」と左右されなかった。床運動から着地を止め、好発進。笑顔が絶えない。まさに心から楽しんでいるようだった。出来栄えを示すEスコアは、つり輪を除く5種目で8点後半台。ニッポンの伝統、美しい体操で世界を驚かせた。

 名前の由来は「スーパースターになってほしい」とプロ野球・巨人の阿部慎之助監督から。自身が野球経験者で名付けた父・泰正さんは、個人総合を制した後、五輪で輝く息子に感涙。「(僕の中での)スーパースターは息子ですね」と誇った。自慢の息子は再び、五輪でメダルを手にした。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/5776727d8ae6e86b8ef5a249cfb4256fe073301d)

 

🥉おめでとう!

団体&個人総合2冠に続いてのメダル、がんばりました!

本当におめでとうございます!

                          🥇5813号

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日経平均株価が過去最大の大暴落4451円安の3万1458円42銭で取引終了「市場は極寒だ」

2024-08-05 15:30:00 | 経済ネタ

5日の東京証券取引所・日経平均株価は取引開始直後からほぼ全面安の展開となり、終値は先週末の終値に比べ4451円28銭安い3万1458円42銭と、これまでに最も大きかった終値ベースの下落幅である、世界的に株価が大暴落したいわゆる「ブラックマンデー」の翌日に当たる1987年10月20日に記録した3836円48銭安を上回り、過去最大の下落となった。

株安の背景には先週から続く急激な株安の背景にはアメリカの景気落ち込みへの警戒感から先週末のアメリカ市場の株価が大幅下落したことがあげられる。

また円相場が、アメリカでの利下げ観測が強まった影響で7カ月ぶりに1ドル=142円台の水準をつけていて、この円高進行も株価の重荷となっている。

市場関係者からは、「売りが売りを呼んでる。市場は極寒だ」といった困惑の声や、「アメリカの景気先行き不安からのハイテク株下げと円高進行のトリプルパンチ。それに加えて午後に一段と円高が進行し、これが4つ目の要因でパニック的な売りだ」などといった指摘が相次いだ。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/f90e0312546f82f93aa76b7635b4a93643e045d9)

 

4,451円安

  過去最大の大暴落!

 

恐過ぎ!!

どこまで下がる??

                          🥇5812号

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フェンシング 男子フルーレ、団体初の金メダル! 日本剣士のメダルラッシュが有終の美 メダル5個は国別2位タイの快挙…パリ五輪

2024-08-05 12:30:00 | スポーツ

◆パリ五輪 第10日 ▽フェンシング(4日、グランパレ)

 フェンシングの男子フルーレ団体決勝が行われ、日本(敷根崇裕、飯村一輝、松山恭助、控え=永野雄大)がイタリアを45―36で下して優勝。12年ロンドン五輪2位以来のメダルは、最も輝く史上初の金メダル。日本は今大会メダル5個目で、国別ではフェンシングの母国・フランスに次ぐ2位の快挙を成し遂げた。

 第1ゲームは敷根が登場。最初にポイントを奪い2点をリードした。第2ゲームでも飯村がリードを3点に広げたが第3ゲームで1点差とされ、第4ゲーム途中で15―16と逆転された。第6ゲームで日本は再逆転。第7ゲームは熱戦となり松山が1ポイントをリードして第8ゲームに突入した。今大会初出場の永野が5連続ポイントでリードを広げリードを6点に広げ圧倒的優位を築いた。第9試合は飯村がアンカーを務め、勝利を決めた。勝利の瞬間、マスクを取りピストの上で両手を広げ、仲間と抱き合った。

 日本男子フルーレが、ついに重い扉をこじあけた。08年に太田雄貴氏が個人で銀、そして12年ロンドンは団体で銀。頂点に挑み敗れてきた戦いに、ついに日本が勝った。過去優勝7度のイタリアを破り、フルーレ史上初めて金メダルを獲得。昨年の世界選手権を初めて制し、世界ランク1位で乗り込んだパリで、その強さを見せつけた。

 圧巻だった。準々決勝はカナダに45―26で快勝すると、迎えた準決勝の相手は、21年東京五輪王者のフランス。ピストの左右から、地元チームへ地鳴りのような声援が相手チームにおくられる中、日本は敷根、飯村、松山がかかんに挑んだ。序盤からリードして優位に進めると、主将の松山は1ゲームもマイナスで終えない安定感を発揮。45―37で圧勝し、3大会ぶりのメダルを確定させた。

 前回東京五輪は準決勝でフランス、3位決定戦でアメリカに敗れて4位。五輪後、東京大会で日本を下して優勝したフランス代表のエルワン・ルペシュー氏をコーチに招へいし、強化を図ってきた。松山は言う。「彼が何か特別なことをやって金メダルを取ったのかと思ったけど、細かい所に全力で集中して、高い強度で練習していた」。学んだことは、常に自分の全力に集中すること。メンバーは東京の松山、敷根、永野に加え、新進気鋭の20歳、飯村一輝を加えて盤石。飯村は今大会個人で4位と、チームに勢いをもたらした。

 今大会の最終種目を終え、日本のメダルは5個(男子エペ個人・加納虹輝=金、男子エペ団体=銀、女子フルーレ団体=銅、女子サーブル団体=銅)に到達。団体は出場した4種目全てで表彰台に乗り、メダル5個はフランスに次ぐ2位タイとなった。男子フルーレの“お家芸”復活にとどまらず、フェンシング大国に名乗りを上げた日本。花の都で、日本剣士が躍動した。

 ◇敷根 崇裕(しきね・たかひろ)1997年12月7日、大分市生まれ。東京・東亜学園高、法大を経てネクサス所属。21年東京五輪ではフルーレ個人で4位。団体フルーレでは4位。パリ五輪フルーレ個人は2回戦敗退。184センチ、68キロ。

 ◇飯村 一輝(いいむら・かずき)2003年12月27日、京都府生まれ。五輪銀メダリストの太田雄貴を指導した父・栄彦氏の元、競技を始める。龍谷大平安高を経て慶大在学中。23年世界選手権では男子フルーレ団体優勝。パリ五輪は個人フルーレで4位。169センチ、65キロ。

 ◇松山 恭助(まつやま・きょうすけ)1996年12月19日、東京・台東区生まれ。東亜学園、早大を経てJTB所属。正確な技術、落ち着いた試合運びが特徴。21年東京五輪では主将として臨むもフルーレ個人3回戦、団体が4位。180センチ、74キロ。

 ◇永野 雄大(ながの・ゆうだい)1998年10月15日、水戸市生まれ。東京。帝京高、中大を経てネクサス所属。21年東京五輪は男子フルーレ団体で4位。父の義秀氏はバルセロナ五輪フルーレ個人代表。172センチ、78キロ。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/2c4bed82b83151c3a071fa130135555a82e861b4)

 

🥇おめでとう!

フェンシングがここまでくるとは!

初の金メダル、お見事!!

本当におめでとうございます!

                          🥇5811号

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【ゴルフ】松山英樹が銅!日本男子初のメダル見つめ「うれしい」最終日逆転で4位東京大会の雪辱

2024-08-05 12:00:00 | スポーツ

<パリオリンピック(五輪):ゴルフ>◇4日◇男子最終ラウンド◇ゴルフナショナル(7174ヤード、パー71)

 また1つ、松山英樹(32=LEXUS)が日本ゴルフ界に新たな歴史をつくった。首位と3打差、3位と2打差の4位から、逆転で銅メダルをつかんだ。6バーディー、ボギーなしの65と6つ伸ばし、通算17アンダー、267。日本人男子初のメジャー制覇を果たした21年マスターズに続き、日本人男子初の五輪メダルに輝いた。

    ◇   ◇   ◇

 五輪初出場だった前回の21年東京大会は、わずかにメダルに届かず4位。4年越しの雪辱を果たした。ツアーなら悔しさしか残らない3位に、満面の笑みを見せた。表彰台に立った松山は、歓声に左手を大きく掲げて応えた。首から提げた銅メダルをじっと見つめた後に、堂々と胸を張った。メダルを取った感想を求められると「うれしいです」と、素直に話した。大混戦の中、周囲のスコアが目まぐるしく動いた終盤、パーを並べた。最終18番で3メートル余りのバーディーパットを外し、悔しさを隠さなかった。それでも耐えて、我慢の末につかんだ松山らしい五輪メダルだった。

 4番から3連続バーディーで猛チャージをかけた。いずれもパー4の4番は第2打を2・5メートルにつけ、5番はティーショットを大きく曲げながら、7メートルの長いパットを決めて伸ばした。6番は再びショットで奪うバーディーで、第2打を3メートルにつけて伸ばした。セカンドショットとグリーン上がさえた。この時点で2位浮上。その後は苦しみながらも耐えて着実に伸ばし、表彰台の一角をとらえた。

 メダルの思いは胸に秘め続けていた。21年東京五輪で、松山は銅メダルを争った7人によるプレーオフに敗れて4位。以来、五輪メダルへの思いを口にしたことは、ほとんどなかった。3年前に五輪に初出場し、メダルの重さを痛感したからこそ。21年末に松山は東京五輪を振り返り「僕らは毎年、メジャーが4つあるけど、五輪が1番注目される種目の選手は五輪に懸けている。そこでダメだったとしても、それだけで評価されるのはどうなのか。初めて出たからこそ感じた」と語っていた。長期間懸けて五輪に臨む選手の思いを知ったからこそ安易に「メダル」を口にしなかった。

 それがパリ入り後に「3年前以上の結果を必ず出せるように頑張りたい」と、雪辱のメダル獲得を誓っていた。さらには「東京で、プレーオフで負けてメダルを取れなかった悔しさは今でも覚えている」と力説。オリンピアンとしての決意が固まった。軽々しくは口にできなかった「メダル」を目標に掲げ、退路を断って有言実行を果たした。

 第1ラウンド(R)は、2位に2打差の単独首位発進だった。そこから第3Rを終えて4位後退。それでも最終Rで息を吹き返してメダルを奪った。勝てない時期があっても、4年ぶりの復活優勝が、日本人男子初のメジャー制覇となった21年マスターズ。苦しんだ先に新たな歴史を刻む、松山のゴルフ人生を象徴するような銅メダルとなった。

(https://news.yahoo.co.jp/articles/8e1b2aa5c24f186f64643941952d3bdb89a8a761)

 

🥉おめでとう!

ゴルフ初メダル、お見事です!!

本当におめでとうございます!

                          🥇5810号

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