ぼけ~~~っと人生充電記!

こんな時だから、こんな時だからこそ、色んな事を書き残していきます。

スエズ運河で巨大コンテナ船座礁 航路ふさぎ渋滞発生

2021-03-24 23:59:59 | Weblog
 エジプトのスエズ運河(Suez Canal)で、巨大コンテナ船が砂嵐に巻き込まれて座礁し、運河がふさがれた。周辺ではこれにより大規模な渋滞が発生。24日現在、タグボートによる復旧作業が続いている。  
 座礁したのは、台湾の長栄海運(Evergreen Marine Corp)が運航するパナマ船籍の「エバーギブン(Ever Given)」で、全長は400メートル、幅59メートル。オランダのロッテルダム(Rotterdam)に向かう途中だった。  
 米衛星画像企業プラネット・ラブズ(Planet Labs)が公開した衛星画像には、コンテナ船が斜めになって運河を完全にふさいでいる様子が写されている。  
 エジプトのスエズ運河庁(Suez Canal Authority)によると、同船は突風を伴う砂嵐に巻き込まれ、視界不良に陥った。シナイ半島(Sinai Peninsula)地域ではこの季節、こうした砂嵐が頻繁に発生する。長栄海運は「突風にあおられ、座礁したようだ」と説明。船舶位置情報サイト「marinetraffic.com」によれば、船は少なくとも23日午後から現在の位置で立ち往生している。  
 米ブルームバーグ(Bloomberg)は、この事故で100隻以上が立ち往生したと報道。スエズ運河庁のオサマ・ラビ(Osama Rabie)長官は24日、タグボートなどあらゆる手段を講じて復旧作業を続けていると述べた。  
 スエズ運河は世界で最も重要な交易路の一つで、世界の海上貿易の10%が同運河を利用している。スエズ運河庁によると、昨年は1万9000隻近くの船舶が通過し、総重量は11億7000万トンだった。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/b62496dd61e5a470a2129f9046405f40baee7b97)
 
 
どえらいニュース、こんな姿初めて見た。
早く通れるようになりますように。
                          5248号
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横綱・鶴竜が現役を引退、年寄「鶴竜」を襲名 左足負傷で5場所連続休場中

2021-03-24 23:55:59 | スポーツ
◆大相撲春場所11日目(24日、東京・両国国技館)  
 日本相撲協会は24日、第71代横綱・鶴竜(35)=陸奥=の引退を発表した。横綱は特例で、引退後も5年間、現役時代のしこ名のまま協会に残ることができる。この日の理事会で年寄「鶴竜」の襲名が承認され、鶴竜親方として後進の指導にあたることになる。 
 鶴竜は、2001年九州場所で井筒部屋から初土俵。05年九州で新十両に昇進すると、翌年同場所で新入幕を果たした。12年夏場所で大関に昇進。14勝で初優勝を果たした14年春場所後に、横綱に昇進した。以降、優勝は6度。横綱在位は41場所で、歴代10位だった。  
 最後の優勝は2019年名古屋場所。同年秋場所後には、前井筒親方(元関脇・逆鉾)の死去にともない陸奥部屋に転籍した。6度目の優勝以降は、持病の腰痛などの影響もあり休場が続き、昨年11月場所後には横綱審議委員会で初となる「注意」決議を受けた。  
 昨年12月には、日本国籍を取得。現役引退後も、親方として協会に残ることが可能となっていた。今場所に向けても進退をかける意向で調整をしていたが、場所前の稽古中に左太ももを肉離れ。5場所連続の休場に師匠・陸奥親方(元大関・霧島)から引退を促された際には現役続行を希望していたが、今場所中での引退に至った。20年間の現役生活に終止符を打ち、今後は後進の指導にあたる。  
 ◆鶴竜 力三郎(かくりゅう・りきさぶろう)本名マンガラジャラブ・アナンダ。1985年8月10日、モンゴル・スフバートル生まれ。35歳。陸奥部屋。01年九州場所初土俵。06年九州場所新入幕。12年夏場所で新大関。14年夏場所で新横綱。優勝6回。殊勲賞2回、技能賞7回。得意は突き、押し、もろ差し、寄り、投げ。186センチ、161キロ。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/f4f440f3e3ba6d0244441934fcd4394a297f1e68)
 
 
横綱の責任を果たせないのならさっさとやめろと思っていたけど、引退したと聞くとやはり寂しい。
鶴竜は好きだったのでもう一度強い姿を見たかったような、、。
でもやっぱり休場回数が多かったし仕方ないかな。
今までお疲れさま。
                          5247号
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「平成の三四郎」古賀稔彦氏死去 バルセロナ五輪金

2021-03-24 23:50:59 | スポーツ
 92年バルセロナ五輪柔道男子71キロ級金メダルの「平成の三四郎」こと古賀稔彦氏が24日、死去した。53歳だった。 
 関係者によると、昨年からがんの闘病中で24日朝に亡くなった。 
 福岡県久留米市生まれ。福岡・宮ノ陣小1年で柔道を始めた。名門・講道学舎へ入門し、東京・弦巻中-世田谷学園高と進み、86年に日体大入学。卒業後、同大学院に進学した。 
 弦巻中3年時に全国中学大会で優勝し、世田谷学園高ではインターハイ個人戦2連覇。高校3年の17歳の時に、史上最年少の日本代表(フィンランドオープン)に選ばれた。 
 代名詞ともいえる鮮やかな背負い投げは、弦巻中2年から。兄元博さんのアドバイスがきっかけだった。日体大の卒業論文(90年)のテーマは「背負い投げの魅力を探る」だった。 
 五輪には88年ソウル大会に71キロ級で初出場するも3回戦で敗退。92年のバルセロナ五輪で悲願の金メダルを獲得した。 
 その金メダルへの過程が壮絶だった。24歳、71キロ級代表の古賀は、78キロ級代表の吉田秀彦とのけいこ中に左ひざを負傷。靱帯(じんたい)損傷で全治1カ月の大けがだった。 
 講道学舎の先輩後輩だった2人は、選手村でも同部屋。そんなアクシデントを乗り越え、奇跡の金メダルを獲得した。 
 歩くことさえ満足にできなかった左ひざのけが。だが、畳の上では、一度も足を引きずらなかった。前日、先に後輩の吉田が金メダルを獲得していた。 
 そのことを聞かれ「けがをしたのは吉田との練習だったので、あいつは責任を感じていた。早くけがが治るようにいつも祈っていたという後輩の気持ちを聞いて、今回は本当にいい優勝をしたなと思います」と言った。まさに、奇跡の金メダルリレーだった。 
 96年アトランタ五輪では78キロ級銀メダル。00年に現役引退し、その後は指導者に。全柔連のコーチなどを務めた。自らの道場「古賀塾」でも指導していた。 
 指導者としても、手腕を発揮。04年アテネ五輪女子63キロ級で、指導した谷本歩実が金メダルを獲得した。谷本は、古賀に抱きついて喜んだ。
 07年からは、環太平洋大の体育学部体育学科教授で、女子柔道部総監督を務めていた。
(https://news.yahoo.co.jp/articles/377b4c6491365eaeabe8bee8dc6658de27984c53)
 
 
まだまだ若いのに。
これからもっと指導者として選手を育てていただきたかったのに非常に残念。
 
ご逝去を悼みつつしんでお悔やみ申し上げます。
                          5246号
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今年もこっそりお花見ランチ〜1〜

2021-03-24 15:27:52 | ちょっとそこまで!
今年も恒例のお花見ランチ、おむすび結んで公園で食べました。
日の当たり加減によっては、まだちょっと早い感じでした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一人で食べたので『蜜』ではないから安心。
今年は何回やろうかな。
                          5245号
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