院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

空海と真言密教(1)(徳川幕府のキリシタン弾圧)

2014-02-03 07:01:51 | 歴史
 徳川幕府が激しいキリシタン弾圧を行ったのは、キリスト教が万人の平等を説いているため、幕府による封建的身分制度の維持が危うくされる恐れがあったからだと教わった。

 それに対して、幕府は仏教をとがめないばかりか、むしろ保護していた。だが仏教も元来、平等無碍を説いており、人間は一切衆生(グループとしての人間)の一人に過ぎない。こうした平等感はキリスト教と同じである。仏教の開祖シッダールタは、国王の王子として生まれながら、カースト制度の苛烈さを見て、これではいけないと思い立ったと伝えられている。

 ではなぜ幕府は仏教を受け入れたのか?それは、仏教が日本に入ったそもそもの最初から仏教が変質しており、仏教それ自体が身分制度を内包していたからではないか?「如来」を最上位として、「菩薩」、「明王」と仏尊が階層化されていることからも、飛鳥時代の仏教にすでに身分制度の片鱗がうかがえる。

 飛鳥時代、わが国は古神道の時代で八百万の神が存在していた。「如来」、「菩薩」以下、それぞれの仏は、八百万の神が3、4人増えてもどうということはないというノリで、抵抗なく受け入れられたらしい。(仏教を輸入するのに反対論もあったのだが、議論が錯綜するので、それは置く。)権力者が仏教に積極的に帰依しようとしたのは、徳川時代と同じく、すでに仏教が権力者に都合のよい階級性をもっていたからである。

 だとしたら、仏教が日本に伝来したときには、シッダールタの発想の根源に反してすでに階級性をもっていたのは何故か?それを理解するためには、古代インドにおける仏教の変容にまでさかのぼらなければならない。