院長のへんちき論(豊橋の心療内科より)

毎日、話題が跳びます。テーマは哲学から女性アイドルまで拡散します。たまにはキツいことを言うかもしれません。

「美人」の変遷

2014-02-08 05:33:01 | 文化
 権力者の妻が美人ということにされるのであって、美人が権力者の妻になりやすいわけではないと、むかし書いた。(2006-09-04)

 同時に美人や美人画の美しさは文化に規定されるとも書いた。だから、文化が違えば(国や時代が違えば)美人の種類が変わることは容易に想像できる。

 話は跳ぶようだが、このほど大リーグのヤンキースに入団した田中将大選手の奥さんは、タレント出身の大変な美人である。その美しさがアメリカでも通用するのかどうか疑問に思っていたら、通用したようだ。あるアメリカの雑誌が「美しすぎる田中選手の妻」というような特集を組んだそうだから。

 モデルの佐々木希さんは4年連続、女優の桐谷美玲さんは2年連続、他にも日本人芸能人3人がアメリカの芸能サイトが選んだ「今年の世界の美女100選」(下の動画)に入ったから、彼女らはアメリカにも通用するようだ。美人の基準にもグローバリゼーションが行われている。

The 100 Most Beautiful Faces of 2013



(リブロポート刊。現在では朝日文芸文庫に文庫化。)

 だいぶ前に上の本を読んだ。この本は美人の基準を考察したものではなく、わが国のメディアが美人をどう扱ってきたかを、昔の新聞雑誌記事を総ざらえして調べたものである。

 明治期の出版物に共通するのは、美人をこきおろしていることである。やれ高慢だの、やれ性根が悪いだの、さんざんに書かれている。こう書けばメディアは売れたのだろう。

 女性は高校生くらいから20年以上にわたり美醜で判断され続ける。現代では美人に損になることは何もないから、女性の大多数を占める不美人は立つ瀬がない。マスコミはもう一度、明治時代の美人叩きを復活してはどうか。それがバランス感覚というものである。