窓の外が妙に明るいので玄関から出て夜空を見上げると、玉のような月が雲間に浮かんで輝いていた。
天平19年(747年)4月20日、離任して京へ戻る越中守大伴家持は送別会を催してくれた現地の部下の大目(だいさかん) 秦忌寸八千島(はだのいみきやちしま)との別れを惜しんで歌を詠んだ。
吾が背子は 玉にもがもな 手に巻きて 見つつ行かむを 置きて行かば惜し
(わがせこは たまにもがもな てにまきて みつつゆかむを おきていかばをし)
あなたが玉ででもあってくれれば
それなら手首に巻いて
見ながら行けるのに
別れて置いて行くのは
なんとも残念だ
以前紹介したが、家持は隣国に異動した部下、大伴池主(おおとものいけぬし)にも情の深い歌を贈っている。なんて人たらしな。
「大学生の息子が言っていた―毎年新しいゼミに入るたび自己紹介があって、K市出身だと名乗ると、決まってそのあとクラスの学生さんたちから家は流されなかったか、家族は大丈夫だったか、と気遣いの問いかけをもらうのだそう。ありがたいね、で、それに何と答えるのだ、と尋ねたら、『父親は会社が大きく被災して、ひどく苦労していたようです』だって。楽屋裏をバラすなってね。」
「彼らは大震災当時まだ小学生だったはずだけど、小学生なりに見聞きして、感じたことがあるのだと思う。だから相手を親身に気遣える優しさを身に着けているのだろう。
息子には言ったんだ、我々はあの未曽有の大災害で死ぬ目に遭ったのだから、この一度しかない人生の残りを、死ぬ気で生きなければいけないんじゃないか、薄っぺらなモノはドブに捨て、ほんものだけを探し求めて、と。
また始まったって顔をして、彼はササッーと逃げて行ったよ(笑)」
リバプール生まれの歌手シラ・ブラック(1943年生―2015年没)はリンゴ・スターの幼友達。
大の歌好きで、タイピストとして働きながらキャバーン・クラブのクローク係を務めたり、(のちにビートルズのマネージャーになる)ブライアン・エプスタインが経営するレコード店に通い詰めては試聴だけしてレパートリーを増やしていたという。
キャバーン・クラブではリンゴがドラマーとして在籍していた人気バンド、ロリー&ハリケーンズや初期ビートルズのステージに上げてもらい、歌声を披露することもあった。
その後、エプスタインと契約を結び、レノン/マッカートニー作の「ラブ・オブ・ザ・ラブド」でレコードデビュー、紆余曲折を経ながらも「ビートルズの妹分」という肩書から脱却して人気歌手となって行った。
2014年に製作された映画「シラ」にはロリー&ハリケーンズをバックに歌う「ア・ショット・オブ・リズム&ブルース」やビートルズとの「ボーイズ」の再現シーンもあって、かなり楽しい。
「ボーイズ」は黒人女性ボーカルグループ、シュレルズの、というかゴフィン/キング作の「ウィル・ユー・ラブ・ミー・トゥモロー」のシングルB面曲。
当時のリバプールのバンドはカバーする曲を熱心に探し、そのセンスを競い合ったと言われている。
「ボーイズ」の作者ルーサー・ディクソンは、同じくビートルズがデビューアルバムで取り上げたシュレルズの「ベイビー・イッツ・ユー」にも、名ソングライターチーム、バカラック/デヴィッドとともに共作者としてクレジットされている。
途中から駆け付けるボーイフレンドの高揚感がよく伝わってくる。ドラマーはまだピート・ベスト(役)。
本人が歌う「ラブ・オブ・ザ・ラブド」(1963年)
同期入社の男の子との何度目かの食事の最中に、マナーモードに設定していた彼の携帯電話がポケットの中でブルブルと震え出した。
ゴメン、これだけは出るよ。
待っていた電話なんだ。
まわりの目を気にしながら、口に手を当て、押し殺した声で二言三言応答したあと、電話を切った彼は目を輝かせながら、ううーっと低くうなった。
どうしたの?
大きな商談がまとまったんだ、ああ、よかった。
よほど嬉しかったのか、あるいは安心したのか、彼はたまたまテーブルの上にあった私の手にそっと自分の手を重ねた。
よりによってこんな時に居合わせてくれるなんて、きみは福の神だな。
ふふん、と私は笑い、思った、あなた今ごろ気がついたの?
80歳を過ぎた母親が僕の個人事務所へ来て、今日はテレビで久しぶりに「風と共に去りぬ」を全編観た、昔の映画はドラマがあっていいわよね、やっぱり(レット・バトラー船長役の主演男優)クラーク・ゲーブルは衣裳の燕尾服や丈の長いジャケットもよく似合って素敵だわ、と力説して行った。
ちなみに、母のそのほかのお気に入り映画はOL時代に観たという「深く静かに潜航せよ」、やはりゲーブルとバート・ランカスターが主演した潜水艦が題材の映画だ。
僕はそうだね、ドラマがあるね、ジェラルド・オハラ(スカーレット・オハラの父)もいいよね、と相槌を打った。
でも、バトラー船長が最高に素敵なのは、最愛の一人娘にボニー・ブルーと名づけたことだと思うよ。
北軍との戦争に否定的だった彼があえて旧南軍国旗の別称ボニー・ブルー・フラッグにちなんだその心意気というか、祖国への思い。これにはスカーレットならずとも、胸打たれる。
いつか何かに名づける時、僕もそうありたいと強く思ったものだ。