まだ若かった頃、よく仕事を依頼した士業の方がいた。
僕よりだいぶ年長で、一見、風采の上がらない初老の男性だったが、口が堅く、仕事も丁寧なのが気に入って使っていた。
ある時、なにがきっかけだったか、池の話題になった。
以前僕が池を受注して大失敗した話を披露したところ、彼は目を輝かせながら、自分も作ったことがある、と言う。
へええ、Tさん、日本庭園ですか?
彼はすぐさま首を横に振り、「コイなんです」と答えた。
聞き違えたのかと思い再度尋ねると、鯉の繁殖用の大きな池を作ったらしい。
餌やりの時など寄って来るとやはり可愛いですか?との僕の問いに顔を赤らめながら、人間様よりずっと可愛いですね、と答える。
たまたま自宅の近くに成金の豪邸があり、そこは建物1億、植木1億、錦鯉が1億、との評判だったのを思い出し、ねえ、Tさん、この町で一番鯉に詳しいひとって誰なのですか、と尋ねてみた。
Tさんはあっさり答えた。
「私ですね。」
「あの人(成金)には私が教えたんですよ。」
面くらっている僕と目を合わせないようにしながら彼は毎年、一大産地の新潟県長岡市山古志村へ稚魚の買い付けに行って地元の方々と交流を深めていることなどをとつとつと語った。その村が先年、地震で壊滅的な被害を蒙り、胸を痛めていることも。
その後も僕らは一緒に仕事をしたが、東日本大震災の大津波でTさんは自宅も鯉も、顧客から預かっていた書類もすべて流されてしまった。
その年の暮れに、廃業する旨印刷されたハガキが一枚届いている。
失意のTさんがどうなったのか、わからないままだが、今朝、テレビで新潟中越地震から18年たった山古志村の復興と現状についてのミニドキュメンタリーをたまたま見ていて、ひょっとして、人間様より可愛いと言っていた鯉の故郷で暮らしているかもな、そうだったらいいな、と祈るような気持ちになった。