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③ジュリーがいた「涙がこぼれちゃう」

2021年04月22日 | 新聞・雑誌 記事

緊急事態宣言が、また発令されますね。⇒ 政府は22日、新型コロナウイルスの関係閣僚会合で、東京、大阪、京都、兵庫の4都府県に緊急事態宣言を発令する方針を確認した。期間は25日から5月11日まで。

ジュリーのライブの頃には、少しでも収まって欲しいと思います。ライブの前にはワクチンも接種できているかしら。


今日発売の週刊文春「ジュリーがいた」第三回目。

『沢田研二は、ジェンダーをやすやすと越境したインディペンデントなスーパースターである。』という書き出しに、ジェンダーなどという言葉など全く聞いたことも無かった、ただ若かっただけの私は、ジュリーは男性とも女性とも思えないと、いつも不思議に感じながら若く美しいジュリーに真摯に恋していましたわ。20代から30代のジュリーには、間違いなく性を超越した透明な美しさが有りました。

今回は、前もって予想どうりの加瀬さんとジュリーのお話で、冒頭には石岡瑛子さんのエピソードもありました。1979年のジュリーのパルコのヌード広告など、まだ おぼこいファンがその感想などを述べる暇もなく、矢継ぎ早にジュリーの次の攻めが繰り出されていく感がありました。破天荒な活動をやり続けるジュリーの姿勢に、ジュリー何をしてんの? 世間の評判は気になるが、置いていかれたくない、それは良いか悪いのかわからない。ジュリーに付いていっているだけだったように思います。

加瀬さんがジュリーについて語るエピソードのどれもが、二人の深い結びつきを表していて、まさにお互いに、これ以上ない相棒どうしであったと思いました。それだから、加瀬さんがプロデューサーを降りた時の話が、辛く響いてしまって。。

2010年の、ジュリーとワイルドワンズとのコラボは、このうえなく楽しいものでした。もう11年も前だなんてね。あの時に出したアルバムが大好き!「涙がこぼれちゃう」のジュリーの声ほど、私の心を強く惹きつけ揺さぶる声はない。この声、この声がジュリーが私を離そうとしないの。はぁ~っと、いつも聴くたびに甘いため息が出ます。

そういえば、この曲の作詞作曲の吉田ℚさんは、どうしているのか。あの当時、ℚ氏を応援してジュリー界は大いに盛り上がったものでした。

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4月20日、ジュリーにチェックイン(Playlist of Harborland)

2021年04月21日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)

※大阪フェスのチケットに関して、コメントを頂いた皆様、どうも有難うございました。 一番先にコメントを入れて下さった方に、お譲りすることになりました。ご希望に添えなかった皆様には、大変 申しわけが有りませんでした。m(__)m 今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。



4月20日火曜日の、ラジオ関西、Playlist of Harborland(ジュリーにチェックイン)は、仕事でリアルタイムでは聴けませんでした。

家人がたまたま、番組の最初から聴いていたそうで、私が仕事から帰るなり『今日は番組の初めから、ジュリージュリーとか、サザンオールスターズがどうしたとか、長い事話していたよ。ジュリーの曲は3曲もかかった。』と教えてくれました(^-^) それは楽しみ!

いつもラジコで聴く時には「ジュリーにチェックイン」の部分しか聴きませんが、今日は最初から聴きました。パーソナリティの田名部さん、すでに増山実さんの「ジュリーの世界」をお買い上げになったそうです(^^)


4月20日「ジュリーにチェックイン」

ジュリーのコーナ-は、話題がいっぱいで話す時間が無いので、初めからお話しします。この前の番組の谷五郎さんが、増山実さんの本のお話をされていましたが、奇遇です。増山実さんの最新作タイトルが「ジュリーの世界」、早速購入しました。色んな切り口で読んでいただけます。

ジュリーそのものの話ではないですが、ジュリーの話題も出てきます。ジュリーと百恵さんがトリの紅白歌合戦、あの時の紅白も出てくる。主人公の1人がサザンが好きで、サザンはジュリーを意識していたのでは? ジュリーはサザンのデビューに一役買っている。サザンのデビュー曲は「勝手にシンドバッド」で、サザンのデビューは1978年の 6月25日。それはジュリーの30歳の誕生日です。

そして、本はあの伝説の「河原町のジュリー」のお話で、ある一定の年代の方は知っているのでは?見たことがあるのでは。私は知らない世代だけど、河原町に有名なホームレスがいた、無数の視線にさらされても京の目抜きどうりを歩き、一等地で眠っていた。
あくまでフィクションですが、想像力を膨らまして書いた小説です。おすすめです。

増山実さんは放送作家で、「ビーバップ!ハイヒール」などを担当。木曜日はアカデミックでした。その構成作家でした。
「河原町のジュリー」が生きた時代をリアルでは知らなくても、隔たりを感じさせず、増山さんは冒頭で詳しく説明してくれるので、時代背景や状況がスっと入ってきて、小説の世界に引き込まれる。「河原町のジュリー」を知らない世代や、普段小説を読まない世代にもお勧めしたいです。


(ここから「ジュリーにチェックイン」のコーナー)

今週は3曲お届けします。
先週「君だけに愛を」ザ・タイガースの、前半部分が欠けたんで、それはいけないと一曲目にリベンジさせてください。

今週は昭和50年発売、13枚目のシングル、白いジャケットがお似合い「巴里にひとり」フランス版もリリース(画像はフランス版)

この曲をきっかけにヨーロッパにもジュリー旋風がまきおこる、そんな曲。すごい熱狂だったそうで、フランスに嫁いだ友人がいて、フランス人もご存じで、ジュリーで通じていたと思います。

3曲目は、平成12年発売の37作目のアルバム「来るべき素敵」から「アルシオネ」
プレアデス星雲の最も明るい星、アルシオネがタイトルです。
デビット・ボウイとジュリーをだぶらせて、伊東銀二さんが思いを込めて作った曲です。2016年のライブで披露されて、伊東さんがそのライブを観に行かれて感激して、ブログに長文で書かれていて、読んで胸が熱くなりました。

期せずして沢田研二さんの声の変遷を辿ることになり、聴きごたえがありました。TBSのDVDも買わなあかんなと思いました。

(以上、4月20日、ジュリーにチェックインコーナーより)



 

私も3曲を聴き比べて、タイガース時代、ソロの絶頂期時代から、2000年代の円熟の時代へと、ジュリーの声の変わり方に興味を惹かれ、感慨が深かったです。

まだ洗練されてはいない、幼さと甘さが残るザ・タイガース時代。第一声の歌い出しから、その場の空気を変えるような気品が香り立つ「巴里にひとり」。声に大人の落ち着きと人間的な幅、スケール感を増した「アルシオネ」。どの時代のジュリーも、声に人間的な魅力を感じさせました。

「来るべき素敵」のアルバムは、2000年の発売。wikiでアルバムコンセプトや、収録曲を見ていたら「確信」や「遠い夜明け」、他にも記憶に残る曲が多数収録されたアルバムです。忘れていた、あの「A.C.B」も!

曲目を見るだけで次々に曲への感想や、当時の思いなどが蘇ってきて、懐かしく思いました。アルバムデザインのジュリーも素敵です。

放送内では、『「ジュリーの世界」の作者の増山実さんは放送作家で、「ビーバップ!ハイヒール」などを担当。木曜日はアカデミックでした。その構成作家でした。』・・と有りましたが「ビーバップ!ハイヒール」は教養バラエティといった番組で、毎回が面白くて、しかも為になる、私の好きな番組でした。一昨年に終わってしまい、残念でした。あの構成作家さんだったのかと、身近に感じて嬉しくなりました。


 

緑色の桜の御衣黄が、日がたって緑色からピンク色に色が変わりました。

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京都の古道具店

2021年04月20日 | JULIE

オフィシャルが更新されています。一般発売に関してです。



昨日の「河原町のジュリー」が歩いていた河原町辺り、京都在住のJ友さんにはグレゴリ青山さんのイラストの京都の風景が懐かしかったそうで・・

『名曲喫茶「みゅーず」よくいきました。音楽のかかっている喫茶店で本よんだり友だちと待ち合わせしたり。みゅーずでなんかイベントがあったような。』

『あとは壺中堂の看板。あんな形の看板がずーっとかかってて。まだあるか不要でない用事ができたら行ってきます👍😆』(※文具店だそうです)

いずれも有名店でしたが、ネットで調べてみたら、どちらもすでに閉店したそうです。J友さん、残念でしたね💦



今年は京都の桜を見にいく機会もなく、過ぎてしまいました。京都動物園のカワセミのジュリーはどうしているかしらん?

そういえば京都が話題になったせいで思い出した、あの古道具店は今?

ロームシアターを目指し京都駅前からバスに乗ると、有名な一澤帆布の近所に、古い京町屋が見えます。バスはそのすぐ前を通るので、いやでも必ず目に入る 怪しげで不可思議なその姿は、古道具屋。

古くて雑多な様々なもので店先がビッシリ埋め尽くされた、いかにも怪しげ、でも思わず眼を惹かれずにはいられない この古道具屋に、一昨年のジュリーの京都ライブの前に寄りました。

この店を知ったのは、2018年だったか、京都案内のプロという方が「おはよう朝日です」で、一味違う京都を案内したいと、紹介したお店でした。そこで、店内にあったジュリーの1974年のツアーパンフレットがTV画面に大写しに!

おお~ ジュリーのパンフレット!1974年のロックンツアーが初ジュリーライブ体験だったのに、何故かパンフを買っていません。なんで?今でも不思議だけど、高校生でお金がなかったのかなぁ??もちろん、これ以降は必ず買っています。

それはともかく、どんなものが有るのか、一度行ってみたかった この古道具店。

店先も店内もビッシリと昔のソフビや、アニメグッズ、雑誌におまけ、TVグッズ、ポスター等、年代別、種類別に分けるとか、そういうことは全くおかまいなしに古いものが、ジャンルを全く問わず、カオス、混沌、種種雑多なもんでゴチャゴチャに埋め尽くされ覆い尽くされていました。狭い4畳半程度の店内でヘタに動いたら、商品を落としてしまいそうでした。

で、当然ながらジュリーのパンフはとうに無かったです。TVを見た人からすぐに電話があり、即 売れたとか。私は買いたいというより、高いものには手は出せないので、ただお店を覗いて見たかっただけ(^-^) 1974年のパンフは希少だったと思います。

で、ゴチャゴチャのショーウインドーに浮かび上がるのが。。

アニメキャラクターの真ん中に浮かび上がる、不思議なジュリー。自分で写しておいて、いったいこれはどういう状況?二年も前だからよく覚えてないけど、多分、店の外からガラスのウインドーを写したせいです。あとで店内に入り、眼の前で写しました。値段は聞いたけど、と~っても高かったので買いませんでした。80年代ジュリーでしょう、多分。

他にジュリー関連のものは、タイガースが載った60年代末のマーガレットなどが有りましたが、いずれも高くて手が出ませんでした。その代わり、1970年代初めのNHKの番組「天下御免」や、大河ドラマ「源義経」(1966年)の当時の状態の良いハガキを発見し、大発見✨ととても感動して買いました。「天下御免」のファンが以前にTVを見て買いに来たそうで、同じ思いのファンがいたのね〜(^-^) ハガキは安かったです。

ここは見るだけのヒヤカシはNGですが、買ったので店主と色々と遠慮なく話が出来ました。有名人もよく来るという、このお店、ジュリーが学生時代に付き合っていたという女性も訪れたそうで、へぇ~。何をお買い上げだったんだろう?

そのうちに外国人旅行者もやってきて、鉄腕アトムのとても高価なソフビを買って行きました。わざわざここまで来るなんて、海外のガイドやネットで、お店が紹介されているのかも。置いてある商品が私にはどれもこれも、懐かしいものばっかりで、ついつい熱心に見入ってしまい、店主と1時間も話し込んだすえに、や~っと帰りました。

京都の話から思い出した あの古道具店は、コロナ禍の今、どうなっているんでしょう、気になるところでは有ります。

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「ジュリーの世界」増山実、(ジュリーと河原町のジュリー)

2021年04月19日 | JULIE メモリーズ

昨日の続きです。FM COCOROのラジコで、ゲストは作家の増山実さん。

増山実さんは4月14日に「ジュリーの世界」という本を出されたそうで、ジュリー関連の書籍?!そう思うじゃありませんか。

ところが、本の説明を読むと

『かつて京都に「河原町のジュリー」と呼ばれるホームレスがいた。無数の視線に晒されても悠然と目抜き通りの真ん中を歩き、商店街の一等地で眠る。彼はいったい何者か? 京都の路上に生きた、伝説の男の物語。』

「河原町のジュリー」の話でした。本の目次には「花の首飾り」などと、あった。京都にはもう一人、伝説のジュリーがいた。


以下は、ラジオ・FM COCOROで語った、松山さんの談を簡単に要約しました。

『「河原町のジュリー」は今でゆうホームレス。ひたすら河原町通り、三条通り、新京極通りを歩いていた。一度見たら忘れられない、すごく魅力のある人物で、いつか書きたいと思っていた。彼には色んな噂があり、どれが真実かわからない。

「河原町のジュリー」と、いつ誰がいいだしたかわからない、ジュリー(沢田研二)がすごくロン毛の時があって、見た目から「河原町のジュリー」になったのかもしれない。70年代のジュリー(沢田研二)は今のキムタクよりも10倍も凄い人気だった。髪が長いという共通点と、何かがこの二人にはある。

実際の沢田研二、ジュリーについても色んな噂があって、祇園祭には必ず帰ってくるとか、四条のミンミンが好きとか。神秘的な物、魅力的なものが二人には共通している。

「河原町のジュリー」が亡くなったのは1984年2月、丸山公園で凍死だった。いつも河原町にいたのに、何故 丸山公園に?彼に何があったのか? 不思議だ・・・・

それを、物語にしたのがこの「ジュリーの世界」です。登場人物の名前が城戸で、作品は「太陽を盗んだ男」にも影響を受けています。・・・「太陽を盗んだ男」のジュリーの誠がラストで、新宿の路上を彷徨う場面があるが、「河原町のジュリー」がさまよう場面とダブルものがあった。・・・

本は街にもこだわって書いている。「河原町のジュリー」には、多くの人の思いが託されている。この本を読んだら、必ず河原町、新京極を歩きたくなる。』



「河原町のジュリー」については、このブログでは3度も(2014年と⇒2018年)取り上げました。朝日新聞・大阪版のコラム「関西遺産」に何度も彼が取り上げられたせいもあります。

私も「河原町のジュリー」というホームレスがいたという事は、1980年前後に噂を聞いたことがありますが、増山さんや、京都人のグレゴリ青山さんには、彼は特別な存在のようです。京都人には、70年代から80年代の京都の町や、当時の出来事、その頃の想いを表す、象徴的な人物になっているんでしょうか。

以下は、京都出身のグレゴリ青山さんの描く「河原町のジュリー」。グレゴリさんは、ジュリーと同じ中学で、ジュリーと同じ担任の先生だったそうです。

朝日新聞大阪版「関西遺産」より

グレゴリ青山さんの著作から

朝日新聞大阪版「関西遺産」


その京都では、J友さんによると「河島英五展」だけではなく、「デビットボウイ展」も開催しています、とお知らせを頂きました。

時間~TIME
BOWIE×KYOTO×SUKITA 鋤田正義写真展 美術館「えき」KYOTO 開催期間:2021年4月3日(土)〜2021年5月5日(水・祝) 

増山さんも全く同じく「デビット・ボウイ展」をやっているそうなんで、ついでに新京極も歩いてみてください。とラジオで語っていて、着地点がうちと同じ話題になりました(^-^)

京都人のJ友さんに「河原町のジュリー」を目撃したことは有りますか?とお尋ねしたら。『見たことは無い・・でも、ひげもじゃの人が歩いていたような記憶が・・』ということでした。



 

桜が終わり、バラの季節になりました。J友さんちの、なにわいばら

うちのアンジェリケ、チューリップはそろそろ終わりです。

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FM COCORO「大関 マイスターズチョイス」

2021年04月18日 | TV・ラジオ・CM・映画

twitterで知りました。4月16日放送の大阪のFM COCORO 「大関 マイスターズチョイス」

「音楽を中心に、演劇や舞台などエンタメ情報を現場感たっぷりにご紹介するプログラム。各ジャンルから多彩なゲストをお迎えします。」という番組。

ゲストの作家の増山実さんが「太陽を盗んだ男」について話しているという事で、ラジコで聴きましたが、その説明が ちょいと気にかかる・・

『昭和のスターの筆頭、ジュリーが主演の「太陽を盗んだ男」。公開当時は、客入りはそれほどでもなかったが、キネマ旬報で1970年代の映画でNO.1に選ばれた。
主役の理科教師の木戸誠は、冴えない男。生徒からは完全に浮いていて
ダサイというのがピッタリのオトコ、奇声を上げて金網をよじ登ったり、友達は猫だけ・・』

木戸誠は冴えないオトコかもしれない、
でもちょっと待って、彼が「ダサイ」って?

いまだかつて、木戸誠をダサイと思ったことは一度もない。
間違いなく風変りだけど、変人だけど、風船ガムだけど
あれはダサイんじゃない、変わりもんなの。

あの頃には、まだ無かったジャンルの男、オタクなの。
変わりもんでも、木戸誠はどっから見ても
二枚目です!だからアクションがカッコイイイの
ダサイなんて、と~んでもない(-_-メ)!!

ダサくない役だからこそ、ジュリーに主演が依頼されたと信じております。


その増山さんが新刊本を出されたそうで、題名が「ジュリーの世界」え?ジュリーについて書いてあるの??

長くなるので、続く

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スターどっきり㊙報告

2021年04月17日 | JULIE メモリーズ

一昨日のブログ、Playlist of Harborland「ジュリーにチェックイン」に投稿されたお葉書に

『40年くらい前、京都の会社に勤めていた時、病院に入院、同室のお婆さんのお見舞いに 沢田研二さんが来られました。色白の綺麗なお顔で、真っ赤なコートを着て、女性の方かと思っていたら、おばあさんが紹介してくれました。京都の高島屋近くのお婆さんで、沢田研二さんが若い頃、すごくお世話になった方ということです。
沢田さんの曲を聴くたび、あの綺麗なお顔を思い出します。会社の便せんにサインをしていただき、今も大事にしています。』

これを読まれたJ友さんから、『ジュリーがお見舞いした話をきいて、1978年放送の「どっきり!カメラ」を思い出しました』YOUTUBEに上がっているそうです(^-^) こちら⇒【スターどっきり】ジュリーが見舞ったお婆ちゃんの様子がなんかおかしい・・・

ちなみにJ友さんによると『YOUTUBEでは切れていますが、ジュリーが戻った理由は 大野さんに頼まれたサインを忘れたから』だそうです。

このYOUTUBEの模様は覚えていませんが「スターどっきり」懐かしいですわ〜。あの当時は、人気歌手出演のバラエティ番組が全盛時代でした。でも私的には人を騙すのが あまり好きではなくて、ジュリーが出る時しか見ていません。

そのドッキリ番組に、ジュリーが出ていた記憶はそれほど無いのですが、一番記憶にあるのは、楽屋にコーヒー?を持ってきた女が、それをこぼして、お詫びにと突然服を脱ぎ始めるやつかな。井上バンドの面々はそれを見て笑っているのに、ジュリーは見ようとせずに無視したの。ジュリーの潔癖さが見えたような気がしましたが、タイガース時代から本能的に、そういうヤバイ、物議をかもしそうな場面は避ける習性になったのかもしれません。

YOUTUBEを探したらありました。沢田研二(スターどっきり㊙報告) ⇒こちら

(※上手く飛ばなかったので、修正しました。)

ジュリーは、最初からおかしいと思ってたと言っていたので、騙しきれなかったようです(^^;

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沢田研二に山田監督が感謝

2021年04月16日 | キネマの神様、2021年公開

週刊文春の読者アンケートに投票しなくては、と思いながら先週は何もせずに過ぎてしまいました(^^; 結果は5位。今週は忘れずにします。こちら ⇒週刊文春4月22日号 人気記事アンケート募集中!

今週の締切りは2021年4月22日(木)までです。順位は雑誌の「てこずるパズルの解答ハガキ」と、メルマガの「人気記事アンケート」を合算してつけられているそうです。


 

今日の神戸新聞夕刊に、先日の「キネマの神様」の完成記者会見の模様が載りました。

拡大

山田監督と菅田将暉君のジュリーについての語りに、

ジュリーの演じるゴーを早く見たい!という思いが

ますます強くなりますが

焦らず、8月を待ちたいと思います。

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4月13日、ジュリーにチェックイン(Playlist of Harborland)

2021年04月15日 | ジュリーにチェックイン!(ラジオ関西)

有線放送で⇒沢田研二「夜のヒットスタジオ」出演回を放送 ソロデビュー50周年記念



今日発売の週刊文春、もちろん買いました(^^♪ 

話題沸騰、嬉しいな~ 松山英樹さんの大きな顔の横の若いジュリー、左の女性は誰・・

今回の記事については、また後程。



13日火曜日のラジ関、Playlist of Harborland「ジュリーにチェックイン」は、当日のリアルタイムで聴けず、後から聞きました。ラジコは関西方面は聞き逃しで聴けますが、もう13日の放送は終わりました。

13日の放送では週刊文春についても、パーソナリティの田名部さんはお話をされていました。この「ジュリーにチェックイン」の企画を始められた時には、これほどジュリー関連の話題が膨らむとは思われていなかったと思います。それはもちろん、私も同じです。

2021年は映画の公開以外に、何の楽しみもないんじゃないだろうか、あぁ~ つまんない。ブログも休み休みの更新でいいや(-_-;) ・・そう思っていたのに、今は楽しみがいっぱいです(^-^)

13日の放送は、視聴者からのお葉書が興味深かったです。



(田名部さん)
衛星劇場の「悪魔のようなあいつ」が終わり、ジュリーロスになりかけているときに、色々毎週ある、こんなアーティストなかなかないです。
色々と皆さんから情報を教えてもらっています、週刊文春で連載が始まりました。ノンフィクション・ライターの島崎今日子さんが、連載「ジュリーがいた、沢田研二を愛した男たち」

こういうのは、本屋出身の私としては、立読みはノンノン!!
立読みはダメです、買ってじっくり読まないと。沢田研二さんのことを資料を集めたいと思っても、実は資料が少ないんです。これは資料代だわと思います。
記事は久世さんがどのような思いで「悪魔のようなあいつ」作られたのか、あの当時のスタッフの息遣いが聞こえてくるようです。ジュリーはその時々のお仕事で、新たな挑戦を始めています。
その翌年が、TBSの「セブンスターショー」で、今度発売のTBSのDVDにも納められていて、これも買わねばいけないな、働かないといけないなぁ、と思います。

今日の2曲は、タイガース時代をもうちょっと勉強しなければいけないので、この曲です。

♪「シーサイドバウンド」(リバイバルで「やったぜベイベー」の主題歌)
当時のレコードには、5人のメンバー紹介やコメントがありました。レコードジャケットには「京都出身、一緒に合宿生活を送っています」などと書いてあります。

♪「君だけに愛を」

和歌山県在住の方から、お葉書を頂きました。

『40年くらい前、京都の会社に勤めていた時、病院に入院、同室のお婆さんのお見舞いに 沢田研二さんが来られました。色白の綺麗なお顔で、真っ赤なコートを着て、女性の方かと思っていたら、おばあさんが紹介してくれました。京都の高島屋近くのお婆さんで、沢田研二さんが若い頃、すごくお世話になった方ということです。
沢田さんの曲を聴くたび、あの綺麗なお顔を思い出します。会社の便せんにサインをしていただき、今も大事にしています。』

(以上)



 

40年くらい前なら1980年ごろですが、ジュリーがお世話になったお婆さんとは、どういう関係の方だったんでしょうね。私服が真っ赤なコートとは派手どすなぁ。京都の街中では目立ちますね、パラシュートよりは地味ですけど。(^^;

「実は資料が少ないんです。」には、ジュリーが長くインタビューも受けていないせいかしら?と思いました。70年代後期から80年代は、大宅壮一文庫で検索件数が一位のジュリーだったのに。

「シーサイドバウンド」の紹介に、(リバイバルで「やったぜベイベー」の主題歌)と言われても、そんな番組知りませんが・・、人気番組なんですか?? 番組で調べた資料には、そう書いてあったんやね、きっと。(^-^;


※気になって調べてみたら、「やったぜベイベー」は、ビートたけしさんの原作のドラマでした。

⇒ビートたけし原作の『あの人』をベースに製作された、1986年のドラマである。前番組『新・熱中時代宣言』の打ち切りのため、その穴埋め番組として放送された。本放送当時、出演者の高橋和也がジャニーズ事務所に所属していたため、肖像権の関係から本放送後の再放送もほとんどなく、映像ソフト化もなされていない。

それよりも、ネットでシーサイド・バウンドは「Jリーグ・湘南ベルマーレの応援歌としても知られる」とあって、こっちの情報の方が今は価値がありそうな(^^ゞ GO BOUND!を、湘南!と言い換えるらしいです。


 

チューリップのアンジェリケが満開になりました(^-^)

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魔界転生,初日の舞台挨拶

2021年04月14日 | JULIE メモリーズ

昨日の『読者のページでは、映画「魔界転生」での沢田と真田広之のキスシーンをめぐって、・・熱いやりとりが交わされていた。』を読んだJ友さんから、映画の公開当時の映画館の思い出を伺いました。


以下、J友さんより

『魔界転生の初日の舞台挨拶には客が入りきらなくて、急遽下の映画館でもしました。真田くんとのキスシーンでは、客席あちこちでカメラ📷パチパチ、フラッシュ1杯でした✴😁 音をとってる人もいて、それはタブーじゃなかったです。』

私は姫路の映画館で観ましたが、ジュリーの映画の中では客が入っていました(^^; さすがにカメラでスクリーンを撮るような、熱狂的なファンは私は見ませんでした。

以前にもアップしましたが、舞台挨拶の模様も頂きました。右から角川春樹さん、深作欣二監督、佳那晃子さん。左端は誰かな?と、しばし考え、千葉真一さんですね。

右の細川ガラシャ役の佳那晃子さん、この映画以降は注目されて、よくTVにも見かけるようになりました。日曜日に再放送した武田鉄矢さんの幕末青春グラフティ坂本龍馬にも出演していました。

東映京都撮影所で撮影中のジュリーの天草四郎

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「JUNE」読者のページより、1981年

2021年04月13日 | JULIE メモリーズ

島崎今日子さんの「ジュリーがいた」沢田研二を愛した男たち①の文中にある、「JUNE」「ALANN」は当時買いました。

昨日、見つからないと書いた『読者のページでは、映画「魔界転生」での沢田と真田広之のキスシーンをめぐって、・・熱いやりとりが交わされていた。』の部分が出てきました。(切り取ったあとの本は捨てたのだろうか??)

切り取って、スクラップブックに貼り付けていました。

大きいのでスキャンできず、写メしました。

腐女子ではない・・といいながら、このシーンにはドキドキして、ページを大事に切り取ったのだと思います。ジュリーと真田さんなら、美しいわ〜(^-^) 

真田君の初キッスはジュリーじゃなかった、残念・・(^^;

TVCMで、天草四郎のジュリーが

「エロイムエッサイム エロイムエッサイム 吾は求め 訴えたり」

魔界転生のCMがバンバン流れていた当時を思い出します(^-^)

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