ジュリーライブの一般発売情報が、ぴあに掲載されました。こちら
今日のラジオ関西、Playlist of Harborlandの「ジュリーにチェックイン!」では、パーソナリティの田名部さんが今週も、先週の私の送った「いくつかの場面」のリクエストについて「偶然が起こって嬉しい」と語ってくださりました。
河島さんがジュリーに曲を提供したことを誇りに思われていたことや、「司会者に呼び戻された」苦い実体験を、少しでも多くの方に知ってもらいたくてリクエストしました。若いファンの方はブログなど見ず、twitterしか見ないそうですが、多くの方に知ってもらいたいと思います。
田名部さんは、もちろんジュリーが東京、名古屋、大阪でライブが開催されることをご存じで、少し興奮気味にお話しされていました。たまたま、チケット売り出し日の仕事が無くなりクサクサしていたところ、その日が空いてしまったので12時にはパソコンと電話を用意してスタンバイ。すぐに申し込めて、大阪フェスのチケットが取れたそうです。その日はラジオ関西の紙袋を持ってウロウロしているかも言われていました。お見かけ出来たらいいな(^-^)
そして、ライブが始まるのなら、これからかける曲も、ライブ予想したものにしようかと話されていました。
今日のリクエストは、ザ・タイガースの「モナリザの微笑」と「晴れのちブルーボーイ」でした。ところが田名部さん「モナリザのびしょう」と言ってしまい、もちろん曲がかかった後で、すぐに訂正されていました。
間違いは良くあることで大丈夫です、私なんか中将タカノリさんに「なかじょうさん」と呼んでしまい、すぐさま「ちゅうじょうです」と訂正されました。安田真奈監督には「幸福(しあわせ)のスイッチ」を「こうふくのスイッチ」と言ってしまい、優しい監督は笑顔でスルーしてくださいました💦💦 ほんとにヒエェ~な反省経験ばっかり(・・;)
「晴れのちブルーボーイ」には、家人が曲名を聴いて、横でクスッと笑う声が聞こえました。ジュリーがスヌーピーをぶら下げていた姿が、当時から強烈な印象の曲のようです(^^;
1967年「モナリザの微笑」のジュリーの二十歳前の声は、まだ幼さを残していて、当時 小学生の私は「ぼくは あのこの こころが ほしい~」の「ほしい~」の声が、なんとな~く甘すぎて頼り無くて子供っぽくて、気恥ずかしい(^^; と思いました。私は子供ながら、ジュリーのその声は大人びた洗練とは遠いのではないかと・・。半世紀以上たった今では、あの当時の若いジュリーだからこその声だと、キュンとしますけどね。
1983年の「晴れのちブルーボーイ」は「モナリザの微笑」から16年も後、でも やっぱりジュリーの声が若いな~っ!!と思いました。