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「ジュリーの世界」増山実、(ジュリーと河原町のジュリー)

2021年04月19日 | JULIE メモリーズ

昨日の続きです。FM COCOROのラジコで、ゲストは作家の増山実さん。

増山実さんは4月14日に「ジュリーの世界」という本を出されたそうで、ジュリー関連の書籍?!そう思うじゃありませんか。

ところが、本の説明を読むと

『かつて京都に「河原町のジュリー」と呼ばれるホームレスがいた。無数の視線に晒されても悠然と目抜き通りの真ん中を歩き、商店街の一等地で眠る。彼はいったい何者か? 京都の路上に生きた、伝説の男の物語。』

「河原町のジュリー」の話でした。本の目次には「花の首飾り」などと、あった。京都にはもう一人、伝説のジュリーがいた。


以下は、ラジオ・FM COCOROで語った、松山さんの談を簡単に要約しました。

『「河原町のジュリー」は今でゆうホームレス。ひたすら河原町通り、三条通り、新京極通りを歩いていた。一度見たら忘れられない、すごく魅力のある人物で、いつか書きたいと思っていた。彼には色んな噂があり、どれが真実かわからない。

「河原町のジュリー」と、いつ誰がいいだしたかわからない、ジュリー(沢田研二)がすごくロン毛の時があって、見た目から「河原町のジュリー」になったのかもしれない。70年代のジュリー(沢田研二)は今のキムタクよりも10倍も凄い人気だった。髪が長いという共通点と、何かがこの二人にはある。

実際の沢田研二、ジュリーについても色んな噂があって、祇園祭には必ず帰ってくるとか、四条のミンミンが好きとか。神秘的な物、魅力的なものが二人には共通している。

「河原町のジュリー」が亡くなったのは1984年2月、丸山公園で凍死だった。いつも河原町にいたのに、何故 丸山公園に?彼に何があったのか? 不思議だ・・・・

それを、物語にしたのがこの「ジュリーの世界」です。登場人物の名前が城戸で、作品は「太陽を盗んだ男」にも影響を受けています。・・・「太陽を盗んだ男」のジュリーの誠がラストで、新宿の路上を彷徨う場面があるが、「河原町のジュリー」がさまよう場面とダブルものがあった。・・・

本は街にもこだわって書いている。「河原町のジュリー」には、多くの人の思いが託されている。この本を読んだら、必ず河原町、新京極を歩きたくなる。』



「河原町のジュリー」については、このブログでは3度も(2014年と⇒2018年)取り上げました。朝日新聞・大阪版のコラム「関西遺産」に何度も彼が取り上げられたせいもあります。

私も「河原町のジュリー」というホームレスがいたという事は、1980年前後に噂を聞いたことがありますが、増山さんや、京都人のグレゴリ青山さんには、彼は特別な存在のようです。京都人には、70年代から80年代の京都の町や、当時の出来事、その頃の想いを表す、象徴的な人物になっているんでしょうか。

以下は、京都出身のグレゴリ青山さんの描く「河原町のジュリー」。グレゴリさんは、ジュリーと同じ中学で、ジュリーと同じ担任の先生だったそうです。

朝日新聞大阪版「関西遺産」より

グレゴリ青山さんの著作から

朝日新聞大阪版「関西遺産」


その京都では、J友さんによると「河島英五展」だけではなく、「デビットボウイ展」も開催しています、とお知らせを頂きました。

時間~TIME
BOWIE×KYOTO×SUKITA 鋤田正義写真展 美術館「えき」KYOTO 開催期間:2021年4月3日(土)〜2021年5月5日(水・祝) 

増山さんも全く同じく「デビット・ボウイ展」をやっているそうなんで、ついでに新京極も歩いてみてください。とラジオで語っていて、着地点がうちと同じ話題になりました(^-^)

京都人のJ友さんに「河原町のジュリー」を目撃したことは有りますか?とお尋ねしたら。『見たことは無い・・でも、ひげもじゃの人が歩いていたような記憶が・・』ということでした。



 

桜が終わり、バラの季節になりました。J友さんちの、なにわいばら

うちのアンジェリケ、チューリップはそろそろ終わりです。

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