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②神戸国際会館 こくさいホール「こっちの水苦いぞ」

2015年09月23日 | ライブ・公演・舞台

神戸国際会館 こくさいホール、「こっちの水苦いぞ」の続きです。

書き忘れていましたが、昨日のジュリーの指笛も音だしは なかなか苦しそうでした。頑張れ~!と祈るような思いで、聞いていたんですけどね。(^^ゞ

それはともかく、新曲の聞けば脳裏に現実の映像が浮かんだり、詞の意味を考えてしまう、重めの4曲の後に、思いっきり あっけらかんとした「ウインクでさよなら」。女の事しか考えていないような、中身のない軽そうなあんちゃんの歌にクルっと180°回転。 ジュリーはどういう考えで、こういう曲順にしているのかな~?? 沈んだ空気を変えたいとか?どれもこれもがジュリーなのさ。

「バイバイジェラシー」のジュリーの高速足踏みは神戸でも健在 !客席のドォ~ッ!!と異常な盛り上がりは、自分が参加しているにも関わらず、他人事のように凄いな~!と思ってしまいます。もちろん、ジュリーが凄いんですけどね。

「きわどい季節」は、神戸で聴いていたら 1987年の薬師丸ひろこちゃんのビールのCMを思いだしました。(大阪広島のライブでは思い出さなかったのか?それは、忘れた・・) お酒のCMに出ることによって、少女のイメージの薬師丸さんが大人に脱皮しようとしているのかな?と、当時そう思いながら聞いていました。CMソングになりましたが「きわどい季節」それほどヒットはしませんでした(´ε` )  ジュリーも薬師丸さんも二人共、過渡期だったんだろうな。

 ちなみに私の印象が強いのは、二番目のCM。「ふり~む~けば 乙女が~♪」このフレーズが印象的。

3番目のヤクルトの外国人選手、誰だっけ??と調べたら、阪神がさんざん打たれた 大リーグからやって来たホーナーでした。阪神、優勝は今年もなし、終わりました(;_;)


MCで、加瀬さんが亡くなって もう10年たちました・・(と笑わせ)世間では自死といわれていますが、加瀬さんは生きてステージに上がりたかったと信じています。僕に沢山の曲を残してくれて、共に若かった頃 歩んだ先輩で、プロデューサー。一緒に歩んだ月日が愛おしい。

亡くなったと、携帯に鳥塚さんから「僕の勤めだと思うから」と。2人で電話で泣いた。(涙声に)ごめんね。僕は知らなかったけど40才の頃、胃を全摘して、再発して闘病。知らせてくれなくて、僕には寝ている姿を見せたくなかったんだろう。近いうちにあいましょうと、年賀状に後出しで書いていた。

「加瀬さん最近どうなの?」「元気ないのよ」僕も忙しくしている内に亡くなった。母が亡くなった時は、僕は30代。高血圧の薬を飲んだり飲まなかったりしていたらしい。離れて暮らしていたし、泣きはしなかった。加瀬さんときは泣きました。今、熱がある。いや、熱がないと死ぬやん。トリさんと2人で「よっぽど辛かったんだろうな」と泣いてしまいました。

ワイルドワンズには明るい健康的な歌を、僕の方はやると言われたら その気になる。誇れると思っています。僕の気持ちひとつで(曲目が)こうなったのは申し訳がない。最後までありがとうございました。

 


 「熱がある」と冗談めかして言っていましたが、本当に熱があったんじゃないのかと 思います。連日の公演ですものね、声が少しガラっとしていたのも、そのせいかしらん?でもジュリーが、そう口にしなければ、全く気がつきませんでした。心を込めた歌声、どうも有難う☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆.。.:*・°☆

 

         ライブが終わった、6時過ぎの国際会館の前。

          

 

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①神戸国際会館 こくさいホール

2015年09月23日 | ライブ・公演・舞台

ジュリーが地元、神戸に来てくれました(´▽`) 

席は5列、実質は4列目の左側という、ステージに近い良い席です。が、前の席の女性達が縦横ともガタイの良い方が並んで、隙間から見る感じ・・ですが、それは贅沢というものですね。とにかく、勘違いではない光線は、受け取れませんでした~(´ε` )  

登場したジュリーの声は、昨日の河内長野からの連チャンのせいか 少しガラっとした感じでしたが、いつものように元気なジュリーでした。(河内長野でも、少しガラっとしていたそうです)

ジュリーの腕に黄色いリストバンドがない、お忘れですか?という私も、忘れて行ってた。 大阪フェスの時に、1着目の衣装のズボンが大きくないかい?だんだんズリズリ ずり落ちて股かみが下がってる・・と思っていた、あのズボンが、今日はピシっとセンタープレスも鮮やかに決まっております!生地までシャキっと 見えました~(変えた?)

70年代初めのソロデビュー以降の頃の曲たち「危険なふたり」「恋は邪魔者」などは、昔昔の若い頃の私なら 若いジュリーが歌ってこその曲と、そう思っていた。歳をとったら似合わないんじゃないか・・ もちろん、今はそんな事は思わない。ジュリーのために加瀬さんが書かれた愛しい曲たちは、いつの時代も これからも、永遠にジュリーのための曲だ。

「追憶」でジュリーが間奏の間に、ステージから会場を見渡した時、その目が遠くを見るように切なげでドキっとした。何か感じるものがあったんだろうか?

「あなたへの愛」「 胸いっぱいの悲しみ」これらはイントロを聴いただけで、私にも想い出が有り過ぎて。一瞬にしてあの当時の自分、学生時代、夏の日、自分の部屋が浮かんできて胸がいっぱいになる。そして「夕なぎ」の、目の前に歌の情景が浮かぶような明るい爽やかさ、これもジュリーの世界。

(MC)歩くと疲れる、足、レッグじゃなくて外反(がいはん)歩くのをサボったら快適です。携帯の万歩計で1万歩は大変。新神戸まで駅まで歩く、北野の方へいったりして、コンビニで買い物をしようとして、ひとつ買うと他を忘れる。ウロウロしてコンビニを探して、道を出られなくなって、徘徊おじさん、徘徊ジジー、5本指靴下を履くと分厚くなって、靴が窮屈で疲れる。この頃は千歩も歩いていない。

 


 ※新神戸の新幹線の駅から、三宮駅前辺りまでは、ゆるい坂道で歩けば15~20分ほどです。私も昔は新神戸オリエンタル劇場で、ジュリーがACTアクトをやっていた時は歩いていました。さほどの距離でもないですが、今は地下鉄で楽チンです。

※ここは関西なのにジュリーが標準語で、なんで?と思いました。やっぱり関西弁で話すジュリーの方が親しみやすくて、ジュリーらしくて好き。

 


  MCを挟んでの新曲は、スムーズに加瀬さんの世界から 今の現実の世界に入っていきます。今日は大阪で感じた「慟哭、熱唱」というほどの激しさを感じなかったのは、聴き手の私の受け止め方かもしれない。しかしそんな中で「臨海限界」の歌詞は、今の現実の世界をまざまざと感じさせられて、非常に重く受け取りました。

 

※明日は仕事なので、今夜はこのへんで、・・続きます

 

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