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大阪フェスティバルホール・9月2日 「こっちの水苦いぞ」

2015年09月03日 | ライブ・公演・舞台

本来なら7月の予定だった、大阪フェスティバルホールでのジュリーのライブ、9月に延期になって やっとその日が来ました。

ジュリーのファンになってから、もう半世紀近く、加瀬さんがジュリーをプロデュースしてからは40数年。

ジュリーはいつも私の側にいて、私はそのあとを一緒に付いて歩いてきたと言えるけれど、そのジュリーをずーっと支え続けてきた加瀬さんとも、本当は一緒だったんだな、と思えたライブになりました。

         

 

席は18列のセンター、前方席ではないけどジュリーの真正面、前の座席の人が欠席したので、遮るものがなく、とても見やすい席でした。

「危険なふたり」から始まったジュリーの歌声。「美しすぎる♪」と歌いながらも、女性を指差す先に悩み 頭を抱えるジュリー。お互い様ですよ~('◇')ゞ 

『ほんとはツアーが始まって、すぐ来る予定だったのに今日になった。来られなくなった人もいると思うと申し訳ない。』と、片膝ついてご挨拶。『グレースも参加しています。』  おいど、まいど~!嗚呼、これぞ大阪よね!

ここからは昨日、印象に残った曲のみ

実は「恋は邪魔者」は苦手な曲でした。当時この曲を歌うジュリーのパフォーマンスは、あまりに過剰に見えて。あま~い声と、挑むような目線と表情で「コッイ~は邪魔さ~♪」と大きく足を広げ手を付く、ほかの誰もやらないジュリーなりの自信に満ちた派手なアクションが「それ頑張りすぎでは」(-_-;) と当時の私には思えたの。目はTV画面のジュリーから目を離すことができないのに、でも心の中では この曲を好きとは思えなかった。

それが40年超の年月がこの曲の上に流れた結果、67歳のジュリーの歌う「恋は邪魔者」は、若さの勢いで歌っていた頃と違い「もう頑張らない」。軽る~く歌っているのにも関わらず、決して「軽いあんちゃん」ではない。アッハァ~という声にも、大人の余裕を感じる熟成された「恋は邪魔者」でした。昨日、初めてこの曲が好きになりました、昔と一番違って聞こえた曲でした。

この後は「許されない愛」や「死んでもいい」「白い部屋」「追憶」など、繰り返し繰り返し聴いたので歌詞は今でも忘れない、70年代中期のヒット曲が続く。ジュリーの歌唱は、眉をきつく寄せ 顔をゆがめるほどに激しく深く強く、まさに絶唱。

20代半ばの美青年ジュリーが、恋人にかきくどくように歌う これらの曲は、ジュリーの一途なイメージをさらに増幅させていたように思う。

加瀬さんの作った曲を歌うジュリーに私は・・ いや、ここでは「私達」と言わせて。まだ少女で純だった「私達」は、若くて誰よりも綺麗で清新で、まさに天界から降りて来たようなジュリーに、曲のイメージをそのまま重ね、自分勝手に様々な物語を作り上げ、その中に入り込み、ジュリーの姿を見ては毎日ため息をついていたのでした。

そのジュリーのイメージを作り上げたのが、まさに加瀬さんだったんだと、加瀬さんがいなくなった今にして思います。

この辺の曲を聴いているだけで、当時の自分の事が思いだされます。「学校から家に帰ったらすぐに部屋で、毎日ジュリーのLPレコードと、4時からのラジオ(歌声は風に乗って)を聴いていた」とか「ほんとに切ないほどジュリーが大好きで、まだ子供だった」と、昔の自分を思い出すと、胸の奥からジーンとしてきて・・ 早くも2~3曲目にして涙がジワっ ほんとに近頃は涙もろくなりました。ジュリーだけです、歌で私を泣かせることができる人は。

私が初めて買ったジュリーのシングル盤は「あなたへの愛」。母にレコードプレーヤーを買って!とねだって、姫路の街まで汽車(田舎だからまだ煙を吐いていた!ほんとに古き良き昔)で行きました。そのプレーヤーのメーカーの三洋電機も今は消滅。

「追憶」といえばニーナ!(ローラってのもいたな)衣装がとてもオシャレ何気ない木綿のブラウスで、私もあんなブラウスが着たいと思いました。私の思い出の場面にはいつもジュリーと、ジュリーの楽曲があります。長くなるので曲についてはこの辺で、続きは広島のライブに行ってからにします。

初日はあまり話はしなかったというジュリーですが、記者が来ているのであまり喋らなかったそうですね。昨日は、あれこれ話してくれました。順番はいい加減だけど・・初めのMC(多分)


『15分たったら水を飲みなさいと言われるけど、水を飲むタイミングが難しい。ペットボトルをおいていたら、水の味が変わっている。部屋は冷房が22度に設定してあるのに暑い、ステージは22度でもヒヤッコイ。

マイクとペットボトルを間違えて持ったりして、喋りながら休憩している。いつ飲もうかと考えると歌詞を忘れる。(皆を紹介して)グレースも帰ってきてくれました。』と優雅に、片膝をついてお辞儀。

『散髪に行って髪が短くなりました。短いと汗がしたたると 汗がツーーと流れるのがわかる、パンツまで入っていった』

『後ろから座れの声はないですか。立っていないとダメという事はありません。それは自己責任ですが心配します。いつまでも若いと思っているとちゃんとケアしとケア。』とダジャレ(^^ゞ

アンコール前『加瀬さんからワイルドワンズと一緒にやろう、オリコンで一位を取ろうと誘われた。最初は歌うのはジュリー1人でいいよ。でも僕は植田さんがいるのに? 加瀬さんが1曲だけ歌うことになって、レコーディングの日、加瀬さんがブースから出てきて「聴かせて」と、いいね、いいね!OKだね! そんな簡単な人です。

加瀬さんが亡くなったのは、九州でお芝居をやっている時で、加瀬さんは交友範囲が広いから、僕は行かなくてもいいよね。加瀬さんに僕は どういう位置を占めていたのか知らない。 今度のコンサートではあれもこれも 歌おうと思っていた時に、加瀬さんが亡くなった。ZUZUや阿久さんの次は加瀬さんだな。

阿久さんの時は正月の初日あけで、簡単なことしかできなかった。加瀬さんは準備期間を与えてくれたのかな。世間は自死だというが、僕は事故だと思いたい。加瀬さんは楽しいことを自分で思いついてやる人。

今回は加瀬さんの曲で全部やろう。こんなにいい曲を僕にいっぱい書いてくれた。こんなに沢山のいい曲を書いてくれました。感謝しても足りない。皆さんにはお付き合いいただいて、有難うございます。』

アンコールの衣装は、実際はもっとブラウスの色はパープルで綺麗な色で、細く見えて素敵でした。

           

野田さんや千田さんも見にこられていたそうです。千田さん、私のお気に入りの俳優さんだから、お姿を見たかったわ~ 

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行ってきました!

2015年09月03日 | ライブ・公演・舞台

お正月以来の大阪フェス、久しぶりのコンサートでした。

今回は亡くなった加瀬さんを追悼するコンサートだという噂は耳に入っていましたが、初めから往年の大ヒット曲がズラーっと続きました。これも加瀬さん、あの曲もそうか・・・ジュリーが歌った当時を思い出し、その時の自分の姿も鮮やかに蘇って、もう2~3曲目からジンワリと涙が・・・ 今回のライブは、とても平静ではいられない、胸に迫るライブでした。

が、もう深夜

眠たくて眠たくて・・もうパソコンの画面がボヤケテ見えません。あすの朝も起きるのが早いので、寝ます。

まさか、山口組の分裂の話題に出てくるとは思いもよりませんでした。今朝の神戸新聞の一面に載った、ジュリーの「勝手にしやがれ」

私の住むお隣の、神戸市灘区には山口組の総本部があるの。

では、今夜はおやすみなさ~い(-_-)zzz

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