nabe語録-スペシャルティコーヒー専門ショップ サーカスコーヒー

京都北山にオープンしたスペシャルティコーヒーショップ「サーカスコーヒー」の熱い日常をご案内します!

東ティモールの歴史を出来るだけわかりやすく?

2018年08月02日 09時20分34秒 | サステイナブルコーヒー
今朝のサーカス家のコーヒーは

ブレンドの試作サンプルです。

ふむふむ。良い感じです。




ラジオ体操の後にある
久我神社さんで航空安全を願っておきました。







東ティモールにおけるコーヒー産業の位置づけとして

東ティモール国内で約4万5000世帯がコーヒー生産を主な収入源にしていると言われています。

1世帯平均6名としておおよそ27万人の人が

直接コーヒー生産を生業に生活をされていることになります。

東ティモールの人口が約118万人と言われていますから

約23%の人口割合です。かなり高い割合ですね。

1世帯当たりの所得は年間127ドル~200ドルということで

1ドルが114円として、年間14478円~22800円ほどになります。

日本からすると衝撃的な金額です。

もちろん基本的な生活物価が違うと思いますので

実際にどのような生活をされているかを

感じてこようと思います。

コーヒー農家といっても

実際の作業は年間平均して55日ほどで

あとは、食料である野菜、イモ類、とうもろこし、豆類などを植えて

育てているケースが多いという事です。

想像するに自給自足が成り立っていて

子育てや医療などのお金をコーヒーなどの

収入でやりくりされているのではないかと思います。

そのあたりも実際のところを見てきたいと思います。

日本との関係は

1930年代のポルトガル植民地時代から

コーヒー、カカオ、ゴムなどの農園の経営に関わっていたようです。

もともとは、

1859年に

植民地政策の中で、インドネシアを植民地支配していたオランダと

白檀を求めて侵攻してきたポルトガルが衝突した結果

リスボン条約で、西はオランダ領インドネシア、東はポルトガル領として

分断されてそれぞれの歴史を歩むことになったようです。

1つの島が他国の利害によって、分断されるという、なんとも悲しい歴史だと感じました。

第二次世界大戦中に

ティモール島時代が日本の占領下になりましたが

終戦後は、西はインドネシア東はポルトガルの支配下になったのですが

ポルトガル国内のクーデターで混乱し

東ティモールの統治を放棄して

そのタイミングでインドネシアが侵攻し支配することになりました。

ただ、東ティモールの方々の独立心は強く

当時独裁政権で、軍部の力のあったインドネシアには

押さえつけられていていましたが

スハルト政権崩壊後、再び独立の道が開け

住民投票ののち独立がきまりました。

ただ、独立が決まってから

反独立勢力の破壊、暴動が悪化して

大混乱し、

国連からの多国籍軍が介入し

沈静化しました。

いろいろな混乱があったのですが

オーストラリア、ポルトガル、アメリカ、日本を中心に

復興の援助を続けていて

東ティモールと日本は強い信頼関係があるということです。

今日は、ちょっと詳しく深く

東ティモールのことを書いてみました。

このブログを書きながら

私が一番勉強したかもしれません(笑)

知らない事ばかりです。

少し前の資料ですが

こちらはとても理解しやすかったので

こちらでもどうぞ

まだまだ準備ができていませんが

いよいよ明日出発なので

今日一日頑張ります!