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猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

戦争のことを考え、高崎頼政神社にある内村鑑三の詩碑を訪ねてきました。もちろん運動を兼ねて自転車で…

2022-08-08 07:24:07 | あんじゃあない毎日

内村鑑三の「上州人」の詩碑です。高崎市の烏川の畔にある頼政神社の境内にあります。

  上州無智亦無才 剛毅木訥易被欺
  唯以正直接萬人 至誠依神期勝利

「上州人はものを知らんし、才覚もあんましない。簡単に挫けない根性はあるけど、口下手なもんだからよく人に騙されたり裏切られたりするんだいね。ただ、誰とでも正直に付き合ってさ、真心を尽くして暮らして、自分の力で相手をやっつけて勝つんじゃなくて、神さまから勝利を許されるのを待っているんさね」、少々べらんめえに訳すとこんな感じなんですかね。


詩「上州人の」が刻まれた石の上に、茶色の石が載せられて横文字が刻まれています。

  I for Japan
  Japan in The  World
  The World for Christ
      And All for God

鑑三が自らの墓碑に刻んでもらおうと用意しておいた言葉だと聞いています。彼は敬虔なキリスト教徒でした。この碑の除幕式に、何故か16歳の私がいました。なぜいたのか、誰に連れられて行ったのかは覚えていません。この英文の意味も、さっぱり理解できませんでした。

 甘い香りです。碑の脇でクサギの花が咲いていました。鑑三が日露戦争開戦時に、幸徳秋水の影響を受けて「非戦論」を唱えたことは良く知られています。「余は日露戦争非開戦論者であるばかりでない、戦争絶対的廃止論者である。戦争は人を殺すことである。そうして人を殺すことは大罪悪である。大罪悪を犯して、個人も国家も永久に利益を収め得ようはずはない」、1903年に発表した「戦争廃止論」に書かれている言葉です。

 
戦争を絶対的に廃止すること、それは夢想なのですかね。戦争について考えるために、運動を兼ねて自転車でここまで走ってきました。眼下には烏川、聖石橋が見えます。対岸の丘陵には白衣観音像があります。16歳の時にはほとんど何もわかりませんでした。今、77歳になって少し分かったのかというとそうでなくて、内村鑑三の「非戦論」「戦争廃止論」と大きく異なる考えを唱える皆さんが「嘘つき」だということに気づくようになってきています。戦争ができないWorld、きっとあります。

 


なぜか北海道新聞を眺めているCOCOに「行ってくるよ」をして家を出たのは10時15分ごろでした。

 
高崎に向かうのに、上越線沿いの道を走って行きました。ずっと一本道で繋がってるわけではないので、集落道や住宅地の道を巡りながらの遠回りになりますが、幹線道路よりも安全ですし風景も楽しいです。


新島学園短期大学の前を通りました。懐かしい旧高崎市立女子高校の円形校舎が今も活用されています。1950年代に、建築家の坂本鹿名夫が「最も経済的な建築物」として提案したロタンダ(円形建物)の学校版です。全国的に流行ったのですが残っているものは少ないようです。群馬県内では高崎市立女子高校と伊勢崎市立女子高校でつくられました。建物中央に螺旋階段があって、階段周りに円形の廊下、そして扇型の教室が並んでいました。

 高崎市立女子高校の跡地を取得した新島学園は、円形校舎をしっかり手入れして、教室としてではなく研究棟として活用してくれています。そして、2018年に国の有形登録文化財として登録されました。こちらをご覧ください。懐かしい建物に出会うと嬉しくなります。

 

 
古い家並みが残る上和田町から歌川町を抜けて行きました。坂のある町は大好きです。このあたりには懐かしいところがいくつも残っています。坂を下ると…

 
美峰酒類の本社工場前に出ます。まだ20歳代の駆け出しのころに、当時社長だった小山長四郎さんに呼ばれました。今は残っていない木造の洋館の一室でお話を伺い、ドイツの労働法制に関する著書をいただきました。私の仕事とも、大好きな酒とも全く関係ない話でした。


門から覗いたら新しい本社の玄関前に見覚えのある彫像が立っていました。「猩々」です、人の言葉を解し、赤い顔をした人間のごとき容姿で、酒を好む、中国の架空の生き物です。能や日本舞踊の演目にも登場します。初めて訪ねた50年前にも本社前で見た記憶があります。

 
その先に、「山田文庫」があります。こちらも何度かお訪ねした記憶があります。私設図書館「山田文庫」の何たるかは、こちらをご覧いただきたいと思います。

 
みどり市(大間々)の岡直三郎商店の高崎店も並びにあります。この通りは旧中山道でしたんで、そこに大間々の岡醤油が支店を出したらしいです。煉瓦づくりの煙突も残っています。こんな風景を見ながら、市役所の先にある高崎公園を目指したんです。

 

 
高崎公園です。公園に入るとすぐに岡田刀水士(とみじ)の詩碑があります。萩原朔太郎に師事し、朔太郎を敬愛してやまなかった詩人です。

     桃李の路
   野ずらの 雲の陰に 
   桃李の花咲く路がかくれてゐた。 
   ぼくがそこの座にうずくまると 
   涅槃にゐるような心地の眠りをもよほす。
   ひとびとは 噴上げの瓦斯のけむりに紛れ
   しきりと杖をふつて この花の雲を越えてゆく。

 
そして、公園の隣の頼政神社の境内の内村鑑三詩碑を訪ね、戦争について考えていたんです。蝉の声が絶え間なく聞こえていました。そいで、高崎城址の濠を除いて、帰って来たんです。往復約28㎞走りました。家に着いたのは午後1時過ぎでした。

 

 
遅い昼食を2時過ぎに作って食べて、後はCOCOを相手に休息です。ゆっくり休みました。

 

 
夕食は中華料理風、スープはモロヘイヤの冷たいスープにしました。冷たいギョウザと野菜6種の盛り合わせ、ゴマダレでいただきました。餃子はゼンフーズの冷凍の「かかあの餃子」を茹でて冷やしました。

 それから、カオルさんが送ってくれたニンニクを効かせたから揚げです。鶏のモモ肉、エリンギ、万願寺唐辛子をしっかり下味をつけてから揚げました。ニンニクのきいたエリンギの唐揚げおいしいですよ。

 

 三代目若柳吉駒でございます。1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。来年は4月9日に第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい


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