利根橋で利根川を渡って石倉町へ入りました。間もなく10時だというのに、家を出たときの気温は5℃、朝の最低気温は2.6℃だったんで。
そんな日、ユキ子さんは雪国へ旅立ち、私は自転車で高崎まで出かけました。冬の日差しに光る利根川の水は冷たそうでした。
橋の上から見た子持山と小野子山です。その向こうは雪雲、上越国境の山並みは雲の中でした。
今日は、私がどんなコースで高崎まで行くのかを、途中何を眺めているのかご覧に入れます。
旧国道17号線、通称「新前橋街道」を高崎に向かって走っていくと、滝川を渡ります。それから、新前橋駅前を抜けて江田町までは、歩道をゆっくりと走らせてもらいます。
江田町に入ると、鏡神社という珍しい名前の社があります。ここからは集落道を辿ります。鏡神社って、奈良県の田原本町にある「鏡作神社」を勧進して創建されたのだそうです。
古代の江田町あたりには、上毛野国の国司が鏡作りの技能者集団を住まわせていたと伝えられていて、鏡作り関わる人々によってこの社は祀られたんだと、地元の人から聞いています。
そんな江田町の集落道は、なぜか懐かしさを感じさせてくれます。養蚕が盛んだったみたいで、大きな養蚕農家の建物も残っています。
集落のはずれに染谷川が流れています。橋の向こうもまだ江田町、その先は高崎市日高町になります。
この橋、高欄が外側に傾けてつけられているでしょ、これってね、荷車いっぱいに桑枝を積んで渡るときに、高欄が邪魔にならないよう上に開いた形にしたんだそうです。養蚕が盛んだったところで見られる橋の形です。
川岸のノブドウはすっかり枯れて、白い実がカラカラと音を立てていました。
江田町の集落を抜けると上越線の線路に出ます。もう高崎市、日高町です。
ちょうど上りの電車が走ってきました。遠くに赤城山です。
前夜の山頂付近は、雪だったみたいです。
日高町からは出来る限り線路沿いの道を走って行きます。最初に出会う駅は井野駅です。赤っぽい色のスレート瓦を載せた、木造の小さな駅舎です。かわいいです。
井野の住宅団地です。今はほとんどが建て替えられて昔の面影はないですが、古い住宅団地です。
高校に入って間もなく、担任の教師が私を家に招いてくれました。このあたりの戸建ての小さな家でした。散歩をしようということになって、井野川の堤防の上を歩いたことを覚えています。教師は謡曲を詠いながら歩いていました。平家物語の忠度だったと後で聞かされたことだけを記憶しています。変な散歩でした。なぜ招かれ、何を言われたのかは記憶にないです。
橋の上から下流を見ると上越線の鉄道橋が見えます。
井野川を渡ってしばらく走ったら、道路脇にブルーシートが敷かれ、脱穀された稲のモミが干されていました。自転車を停めて眺めていると爺さんが出てきました。
「どうしたい?」
「やあ、懐かしいんでつい足を止めちゃいました」
「ちっせえ田んぼだからさ、昔のままにやってるんさね…」
しばらく、もみを見ながらあれこれと話をしてました。天日乾燥しているもみの上に、他愛のないおしゃべりをする老人二人の影が映ってました。
それから、問屋町駅前を通って、線路伝いに走って行くと、「新前橋街道踏切」に出ます。現在の国道17号線ができるまでは、前橋から高崎へのバスはすべてこの踏切を渡って、田町通りへ出てたんです。
踏切を過ぎると一貫掘川の橋に出ます。その先に新幹線の高架が見えます。その高架をくぐると、長野堰の流れに出会います。自転車で走っていると、川をよく覚えます。
長野堰を渡り、青果市場のところに出ると、中心市街地はもう直ぐです。
青果市場の近くに木材の木端をあちこちに積み上げた家があります。
こんな具合です。なかなか観賞に耐えます。面白いです。材木屋です。たくさんの木端は、どうやら小さなまな板やなんかに加工しているみたいです。薪ではないようです。
そいで、「お江戸見たけりゃ高崎田町」と唄われた田町通りを走って…、日曜日だというのに通行人は少ないです。
高崎駅の西口です。ちょうどお昼ごろでしたけど、人出はそれほどもありませんでした。
そうなんです、こんなコースを走って高崎までやってきたんです。自動車がたくさん走っている道が苦手なんです。
で、私は、高崎に来た目的を果たすために、もう少し走りました。
帰りは別なルートで戻ってきました。
井野川です。今度は、上流側に鉄道橋を見ています。線路の反対側を辿って戻ってきたんです。
あれ、井野川に何かいます。
水にさっと潜って、水際の木材の上に飛びあがりました、コガモです。
<おひげはさ、カワセミではないかなって思ったみたいなんです。でも、違ってたんで、少しがっかりしちゃったみたいです。前に、同じあたりで、カワセミに出会っているんです>
<2013年2月に撮った井野川のカワセミです。きれいですね…
井野川は小魚がたくさんいますし、カワセミが巣づくりするのに都合の良い土手や崖もあるみたいです。
今回は出会えなくて残念でした…>
<ユキ子さんがいないので、オヒゲは独りで晩酌してました。肴は小松菜の醤油漬けです。そいで、冷凍庫で保存していたカレーを温めて食べてました>
<足元見たらさ、新兵器を使ってるんです。帰りに買ってきたみたいです。足温器です。夜はだいぶ冷え込んでいましたから…>
そうなんです、深夜の気温は3℃を下回って、今朝の最低気温は1.2℃まで下がりまし。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。
4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれます。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
なつかしい言葉です。
祖母が高崎田町の生まれで、ゑびす講のときなどはそれはそれは賑やかだったと言っていたのを思い出しました。
私が子どもの頃でも高崎田町は賑やかでした。
あの藤五が姿を消すなんて思っても見なかったです。
まちは変わります。