おヒゲの記憶の断片は整理されないままごちゃごちゃなんです。このあたりの路地に置かれてる古いゴミ箱の中みたいです。
70年という時の流れのあちこちの記憶が、前後に関係なく出てきますんで、分かりにくいこともあろうかと思います。お許しください。
今度書くときは、もう少しわかりやすく書くように言います。早く帰ってくると良いのですが…
『「冬の赤城山」 東宮七男 佐久間川 第15回』(2013年9月25日)
東宮七男(とうみやかずお)さんと言う詩人がいました。1897年(明治30年)に旧宮城村で生まれました。萩原恭次郎よりも二つ上でした。
東宮七男さんは、萩原朔太郎に師事した後、恭次郎の影響でアナーキズム運動に加わります。恭次郎が詩を発表していた詩誌に、小野十三郎、草野心平、伊藤信吉などとともに、その名前が登場しています。恭次郎と一緒の時間を過ごした人です。
冬の赤城山
老衰したと他は嘲うが
私は冬の赤城山が好きだ
ぼろ家のわたしの家を
はげしい風がひき裂いてゆく
そんな朝でも
鼻汁をたらして
まばゆい日の光を浴びて
つぎはぎだらけの長い裾を
とおくひきづりながら
カスリーンやアイオン、キティーを
恨まず
頭の白髪や禿げ上がりを
気にもとめず
颯爽ととぼけているではないか (『魚鷹』1954年)
東宮さんが赤城山を描いた詩です。
戦争に負け、傷ついた心を、赤城山に託したのかもしれません。颯爽ととぼけた赤城山…
みたくに生きられりゃ、あんじゃあないやいね
『厩橋劇場』跡の西、佐久間川を渡って国道17号へ向かいます。東和銀行の支店のある方へです。
市営国領団地があります。昔は、「国領の市営住宅」って呼んでました。今は立て替えられ、前とはすっかり変わっています。 私が30歳そこそこの頃、ここへ東宮さんを訪ねた記憶があります。たぶん、朔太郎のことかなんかで、教えていただきたいことがあったんだと思います。
東宮七男さんの詩碑は、中央前橋駅前の車橋の少し上流にあります。
詩碑のために書いた詩は『花なればこそ』です。
第16回 吉野川と合流 コチラです
第16回は再掲載しません。
実はね、おひげはこの「佐久間川」のシリーズを書き終えたらブログ止めようかなって考えていたらしいんです。
どうしてかってのは聞いてないんで分かりません。でも、そうだったんです…
直派若柳流の三代目若柳吉駒でございます。 4月7日に、二代目吉駒の三回忌追善と三代目吉駒襲名披露を兼ねて第76回美登利会を開催いたしましたところ、たくさんの皆さまにお運びいただき、大変ありがたく、心より御礼申し上げます。 また、三代目襲名リサイタルに特別出演していただいた三代目花柳寿楽様、葛西聖司様をはじめ、美登利会の開催に一方ならぬご支援をいただいた皆さま方に伏して御礼申し上げす。 来春の美登利会は、4月12日開催予定で準備を進めます。これからも、初代と二代目の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命精進してまいりますので、末永くご贔屓いただきますよう伏してお願い申し上げます。
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台の様子はコチラでご覧になれます。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
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