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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

東京のイベント力 

2009-10-01 | 文化政策
 今週発売の週刊「東洋経済」の特集は「大解剖!東京の実力」である。
 今週末にも決定する2016年のオリンピック・パラリンピックの招致に絡めながら、東京の実力をさまざまな観点から評価している。

 その中の記事「東京マラソンを成功させた東京のイベント力」は、「東京マラソン」、「熱狂の日音楽祭~ラ・フォル・ジュルネ」、「東京国際映画祭」を取り上げ、それぞれの仕掛け人たちのインタビューを織り交ぜ、他都市でのイベントと比較しながら査定するものだ。

 「東京マラソン」はこれからのビジネスモデルを考えるうえでの事例として神田昌典著「全脳思考」の中でも取り上げられているほどの成功事例といえるだろう。
 「熱狂の日音楽祭~ラ・フォル・ジュルネ」はクラシック音楽を人々に身近なものとすることを目標として、100万人規模の集客に成功している。
 これらに比べて今年22回目を迎える「東京国際映画祭」はやや旗色が悪いかもしれない。
 世界の名だたる映画祭と比較すると、これといった特色がなく、集客の面からも見本市的な意味合いからも後発の韓国・釜山映画祭にすらすでに後塵を拝しているという論調である。
 
 集客が評価の全てでないことは当然のことと認識されているとは思うのだが、それはそれとして気になる新聞記事があった。
 映画祭の出品作の一つに日本のイルカ漁をとらえた米国の記録映画「ザ・コーヴ」が決まったのだが、本作は、動物愛護者等の声を喚起し、物議を醸した作品でもある。
 その上映にあたって、東京国際映画祭側が「何かことが起きても映画祭には責任がない、制作者側が責任を持つ」という文書を取り交わしたというのだ。
 トラブルを怖れたとしても、映画祭の主催者がそのような取り決めをするようなことで、本当に信頼される映画祭たり得るのかというのがこの記事の主張である。
 リスクを負わないことは多額の資金を扱う制作者サイドから言えば当然のことなのかも知れない。しかし、それにしてもあまりに信念や理念がなさ過ぎやしませんかというのだ。

 さて、演劇はあまりにもマイナーなようで、東洋経済誌には取り上げられていなかったのだが、上記と比較してみた場合、我らが「フェスティバル/トーキョー」の制作者の姿勢はあらゆるリスクを引き受けてアーティストの表現を守るという姿勢に貫かれている。深く敬意を表する所以だ。

 別の新聞記事では、横浜開港150周年記念イベント「開国博Y150」が閉幕したが、157億円をかけたイベントは有料入場者数が目標の4分の1にとどまったことが紹介されている。
 入場券は金券ショップで半額、主要テナントが会期途中で撤退、ステージショーの観客がたった数人・・・。
 「目標500万人」だけが独り歩きし、目標の達成可能性や収益性を適切に判断するリーダーが不在のまま走り続けてしまった、とその記事は締めくくっている。
 副市長が責任をとって退任したとか、前市長の責任論が浮上しているとかいろいろに言われているけれど、巨大イベントというものの怖ろしさが垣間見える。
 文化イベントやフェスティバルの本当の意義は何なのか、私たちはしっかりと見据えなければならない。

 新型インフルエンザが猛威をふるい、東京ではついに「流行注意報」が発令された。
 さまざまなリスクが存在する。それらを回避できればそれに越したことはないのだが、人間の力には限界がある。
 それでもやるべきことを全力でやり遂げるのが私たちの使命である。
 冷静さと熱気をともに保ちながら、とにかく前に向かって歩くしかない。


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