seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

標的家族

2010-02-13 | 演劇
 10日、Space早稲田にて「標的家族」を観た。
 作:佃典彦、演出:小林七緒、音楽:諏訪創、美術:小林岳郎、芸術監督:流山児祥、制作:流山児事務所。
 社団法人日本劇団協議会が主催する次世代を担う演劇人育成公演である。

 現代においてイジメの標的となった「家族」とそれを取り巻く状況をシニカルな視点で描いた好作品だ。
 小林七緒の演出は、Space早稲田という天井の低い限られた空間をうまく使い、他者=外部=社会から理由も意味もなく圧迫される人間の心理を乾いた視点で抉り出す。
 決して感傷に堕することなく、悲惨を通り越してもう笑うしかないという滑稽味すら醸し出しながら、イジメられる側、イジメる側、それを傍観する側の三者をそれぞれ等間隔に見つめる演出家の眼差しは冷静でいながらも温かさを感じさせる。観終わって、絶望的状況の中にもそれとなく希望を感じるのはそのためだろう。

 今回の育成対象者は俳優の小暮拓矢と音楽、美術の3人なのだが、この集団において、次世代の演出家もまた着実に育っていると感じさせられた。

 さて、現代のイジメを格差社会がもたらした人間関係のヒズミと言ってしまうのは簡単だが、問題はそれが社会のあらゆる層に降り積もる塵となってどのように腑分けしようとも排除できない病根となっていることだ。
 その根本を絶ち、治療するのはすでに不可能であるようにさえ思えてしまう。
 最近の子どもの自殺にはある種ゲーム感覚に似たところがあり、負けが決まった途端にリセットするようなものだという意見を聞いたことがある。リセットすることでやり直せると考えるのはゲーム感覚としても、その手段が自殺でしかないというのはやはりやりきれない。
 
 本作の登場人物たちもまたイジメの標的という状況をゲーム感覚のものとして受容しているように思われる。
 どうせ逃れようのない状況であるのなら、いっそゲームとしてででも受け容れるしかないという絶望である。
 演劇の効用は、そうした状況を俯瞰しながら、イジメられる者の痴れものめいた無表情、イジメる側に立った者のことさらに賢しらな表情、傍観する者の残忍さといった三者の顔を具体的に描き出すことだ。
 そのうえで絶望的な状況を笑い飛ばし、それでも明日はあるということを信じさせる力が演劇という表現には備わっているのだと思う。これはあまりに楽観=ナイーブに過ぎる感覚だろうか。

 この舞台を観ながら、私は安部公房の一連の家族の物語や別役実の初期作品の味わいを感じていたが、そうした先行作品へのオマージュが本作には秘められているのだろうか。

 安部公房は「明日のない希望よりも、絶望の明日を」と書いた。
 リセットするのはゲームや芝居の世界でシミュレーションすればよいことだ。
 とにかく明日のあることを演劇=表現=アートを通して伝えたい。考えたい。
 いま切実にそう思う。

感想

2010-02-04 | 演劇
 私がお付き合いさせていただいているM先生から舞台の感想を頂戴した。
私の演技に対する評価は身贔屓の過大なものとしても、全体を語るうえでことさら私があれこれ話すよりも芝居の本質を捉えているように思うので紹介させていただくことにする。
 先生には了解を得ていないのだけれど、お許しいただけるものと思う。
 以下、引用。

 鄙見ですが、この劇で流野さんの家老腹心役は、ホンの展開に応じて、主役にもなり、脇役にもなり、解説者にもなる難しいキーパースン、作者佐藤伸之さんの苦心の人物造型で、流野さんの才知と演技力に頼ってセリフをつくり、本読みや立稽古、ゲネプロ各段階で、流野さんと話し合いを続け、セリフ回しや仕草など細かく打ち合わせて役づくりを高め深めていたのではないかと存じます。殺し確認の合図手についてお尋ねしましたのはその思いからです。

 当時庄内藩は会津と並んで官軍の標的化し刻々情勢変化する危機状況のなかで、家老腹心は、戦上手の猛将酒井主水(現実には酒井玄蕃がモデル?)の出先砦突出の危険性や厄介者化する元新選組二人の存在、跳ね上がろうとする玄武隊士衆、それを廻る民衆の気分の総体を正確に把握し、藩にとって何が状況的に最善かを考え抜く。作者演出家はその複雑な性格を描き、孤独にして苦悩し時に冷徹な智謀者の存在を造型し、劇の要所要所で独り舞台演技をさせた。そのこと自体、佐藤さんの鋭い才覚であるし、役のうえでそれを実現した流野さんの演技力共々高く評価致します。

 流野さんの腹心役は、声が良く通り、或る時は緊迫感を盛り上げ、或る時はゆっくりと冷厳なセリフ回しで、家老への進言、部下への指示と恫喝、人間としてのモノローグ、観客への政治状況の説明と、四つの局面を見事に表現しました。動きの少ない役柄でセリフが命の難役でしたが、実にドラマティックでユニークな存在感を表出しました。佐藤さんは立ち回り役、主水之介の動きの激しさと対比して、「動」の主役と「静」の主役と好一対となり、ドラマの立体感を盛りたてました。

 劇の発端で、原田左之助は、日露戦争前線に出兵、大陸で馬賊になったとの設定は、巷間に実しやかの噂から、敗者義経のジンギスカン伝説の小型バリアントとも思えました。謡曲「安宅」・歌舞伎狂言「勧進帳」での義経、弁慶、冨樫左衛門のトライアングル・ドラマが、日本海岸を北上し変形しながら、幕末庄内藩日和見砦で再発したかのごとく想像できました。酒井主水之介が弁慶役、左之助が義経役、全てを判っている冨樫は家老腹心の役、如何に義経を咎めず逃がすのか、そのようなアナロジー劇として読みとれ、娯楽劇ながら大人の観る重厚な伝統劇の深みが出ていました。史実的には原田と永倉は、京都から脱出、東北路を一時同行していましたが、この劇では永倉の個性と役回りの表現が曖昧で、食事の場面などは長すぎた嫌いがあり、中だるみになったと思えます。永倉は強すぎる剣士であり、追われる長旅の惶惑を漂わせながら、明日はどこで勢力を再興するのか、焦燥感がもっと強く表現されてもいいと思いました。それが加わると、左之助像にももっと陰翳深い存在感が出たのではと思えます。

 舞台の場面転換は実にテンポ良く、座長のホンづくりの妙、この劇団芝居の得意の技のようです。プロローグ、日露戦争戦場の場面、エピローグで留守妻まさの幻を追うセリフ顛末は好い。殺陣はイマイチでしたが、概して女優陣には着物の舞台栄えがあり声が通っておりました。役割人数の少ない劇団キャスト、スタッフの皆さん、投入時間はままならずとも、芝居好きな心情熱く創意工夫努力に溢れ、可なりの場面で劇的興趣がひしひしと伝わり、観劇後の充実感を得ました。


千秋楽

2010-02-04 | 演劇
 私が客演した劇団パラノイアエイジの睦月公演「幕末異聞 夢想敗軍記」が1月31日に千秋楽を迎えた。
 この間の経緯についてまめに記録しておけばそれなりの読み物になったとは思うのだけれど、生来のものぐさから結局正月以来この日記から遠ざかってしまった。(それだけ芝居のために使える時間はすべて注ぎ込んだということなのだ)
 11月22日の顔合わせから足掛け3か月、1年の6分の1以上をともに過ごした「仲間たち」とは深い絆が生まれたように思う。楽しい日々であった。
 残念だったのは、楽日の翌日に午前中から会議が設定されていたため、深夜からの打ち上げにほんの少ししか顔を出せなかったことか。もっともっと語り合いたいことがあったという悔いが残る。

 とはいえ、最初の頃はほとんど自分の子ども世代といってよい若いメンバーとどう接したらいいのか手探りの状態でもあった。もっともそんなことは日常生活のなかでいくらでも経験することだ。会社だろうが、商店街だろうが、あらゆる組織は多種多様な人の集合体だ。それをいかに機能させていくかというのは、あらゆる社会の普遍的課題だろう。演劇の効用はそうした課題にどう向き合うかというシミュレーションにもなり得るということだ。
 そしてその課題を劇団主宰で演出の佐藤氏は見事にクリアした。オーディション参加の大半の役者が殺陣にも和服の着付けにも所作にも素人同然であったのをそれなりの見え方に仕立てていくある種強引ともいえる力業には目を瞠らされる。
 結果、この舞台を観た人は幸運、見損なった人には「ザンネンでしたネ」と胸を張っていえる作品になったのではないだろうか。

 もっともこの芝居は私が普段接することの多い斬新なスタイルのアート作品でもなければ、社会的課題を浮き彫りにするような芸術作品でもない。あくまで娯楽活劇であることを謳った時代劇なのだが、そこには日本人の心性に根底から訴えかけるような何かがある。
 このことについてはいつかちゃんと考察してみたいと思うのだが、掛け値なしに終演後、号泣しながら帰っていったお客様が何人もいたし、多くの観客が涙をこらえたことだろう。
 私も出番の終わった楽屋のモニターで舞台の様子を見ながら、毎回胸を熱くしたものだ。こんな経験は初めてである。私の30年来の友人も開口一番「新撰組ってやっぱりいいよねえ」と叫んでいたが、こうしたことは日本人論を考えるうえで興味深い視点を与えてくれているような気がする。
 いつか機会があればちゃんと考えてみたいものだ。

「ろじ式」の夢

2009-11-04 | 演劇
 「フェスティバル/トーキョー09秋」が10月23日から開幕した。
 そのオープニング公演となる、松本雄吉率いる維新派の「ろじ式~とおくから、呼び声が、きこえる~」を先月24日と千秋楽の11月3日、2回にわたって観る機会があった。(作・演出:松本雄吉、音楽:内橋和久)
 会場は廃校校舎を文化創造拠点へと転用し、アートNPOが運営する「にしすがも創造舎」の体育館特設劇場。
 校庭には屋台村が出現、さまざまな料理とともに開演前には音楽ライブが繰り広げられる。観客は、屋台村の「路地」を通って劇場へと誘われるのだ。

 維新派の東京公演は6年ぶりとのことだが、恥ずかしながら私にとっては今回が初見なのである。その高名は以前から聞き及び、テレビ放映された舞台の映像も観てはいたのだったが、実際の舞台に接する機会がなかった。こうした機会を多くの観客に提供するというのもフェスティバルならではの意義なのだろう。
 期待値の高い公演ということで多くの観客を呼び、開演前には当日券を求める行列ができていたが、どうしても入場できず涙を呑んだ人も多かったと聞いた。

 さて、「ろじ式」というタイトルからどうしても連想するのが、つげ義春の漫画作品「ねじ式」だろう。両者に直接的な関連性はないように思われるが、「ねじ式」が「ねじ」を方程式として展開するつげ義春の悪夢であるとするならば、「ろじ式」はまさに「ろじ」という方程式を通して覗き見る松本雄吉の夢想なのだ。
 その「夢」とそれを解きほぐし展開する「式」のありようにおいて両者は通低しているといえるのではないだろうか。
 作品の一場面、「鍍金工」に登場する少年工たちの姿はまさにつげ作品へのオマージュにほかならない。

 「ろじ」とは何だろう。中上健次の小説における「路地」との関連はあるのか、ないのか、と考える。両者を結びつけて考えるのは無理があるように思えるけれど、中上作品における「路地」がやがて「世界」に向かって披かれていったように、「ろじ」もまた、松本自身の少年の「時」を基点としながら何万年もの時間を遡り、さらにはアジアへ、地球の裏側へと披かれ、繋がっていく。それを仲立ちするのが「海」である。その点において両者は共通しているのではないか。
 
 それにしても舞台上に何百個と並ぶ木枠で縁取られた立方体の標本箱は圧巻である。それを出演者たちが自在に移動させ、並べ替えながら様々な情景を創り出していく。
 立方体のなかに浮かぶ標本は古代魚や鳥類、さらには原人と思われる骨の化石である。(そのほとんどが役者たちの手作りだと聞いた)
 冒頭、深海のイメージの中からアメーバ状の生命の始原の姿が浮かび上がり、二足歩行をはじめた猿人類の誕生を経て、人類の歴史をたどりながら戦後の焼け跡の「路地」、作者の松本雄吉自身の少年の夢の時間へと至る。そのことはぼんやりとではあるけれど、(私の見間違いかもしれないのだが)いつの間にか標本箱の中身が入れ替わり、焼け跡で見つかったような不発弾であったり、兵士のヘルメットであったり焼け落ちた家の水道管であったりすることで示される。
 (そうした場面で連想したのは、松本とほぼ同世代といえる天児牛大が主宰する山海塾の舞台「金柑少年」の冒頭シーンだった。そこにも何がしかの共通する鍵があるのかも知れない。)
 その旅はやがて、やはり海を媒介としながらアジアへと向かっていくようだ。

 劇全体は、内橋和久の圧倒的な音楽にのせて役者たちの発する言葉=大阪弁特有のイントネーションやリズム、語尾の面白さを活用した「遊び」によって綴られる「詩」の世界である。
 その豊かなリズムに身を浸しながら、私もまた夢を見る。
 それは本当に得がたい「体験」というしかない時間なのだった。

千里眼の女

2009-10-31 | 演劇
 もう2週間も前のことになるけれど、劇団青年座の「千里眼の女」を紀伊国屋ホールで観た。
 作:齋藤雅文、演出:宮田慶子。装置をにしすがも創造舎のさまざまな舞台でおなじみの伊藤雅子が担当している。
 約100年前に起きたいわゆる「千里眼事件」を描いた作品であるが、プログラムから一部引用しつつ紹介するとそのあらすじはおおよそ次のようなものだ。

 明治43年熊本県、有明海に臨む小さな町の医家に生まれた御船千鶴子(勝島乙江)は幼いころから不思議な透視能力があり、「千里眼」と言われていた。
 実際、石炭鉱脈を発見するに及び千鶴子の噂は広まり、東京帝国大学で心理学の研究をしていた福来友吉(檀臣幸)にもこの話がもたらされた。
 科学という全能の力による千里眼の解明。
 気難しく人見知りの千鶴子だったが、科学者としても、人間としても誠実な福来の情熱に心を動かされ、東京での実験に同意する。
 一方、新聞各社は競い合ってこの話題をスキャンダラスに取り上げ、大衆を熱狂へと導いていった。
 新聞が競うように千里眼を報じるなか、新たな超能力者が全国に現れ始める。「千里眼の幼児」(名古屋新聞)、「岡崎にも千里眼」(新愛知)、「千葉にも千里眼」(報知)・・・。
 しかし、千里眼に否定的なメディアと好意的なメディアの報道合戦は次第に過熱し、論争・反目へと発展。カネ目当てのニセ千里眼の横行などもあって、ブームは次第に醜聞にまみれた事件へと化していく。
 千里眼を否定する決定的な新聞報道が出たその翌日、御船千鶴子は服毒自殺する・・・。

 以上はこの芝居の単なる沿革でしかないが、複雑かつ奥行きのある舞台の案内人であり語り部としての役回りを演じるのが、福来と千鶴子の近くにあって二人を公正かつ好意的に見続けた万朝報社の記者・橘四郎(蟹江一平)である、という設定になっている。
 この芝居のテーマは、おおよそこの橘四郎が発する台詞のなかに込められていると言ってよいのだろう。
 作者の齋藤雅文氏はこの作品の題材について「科学と宗教、真実とは、報道とは、国家による教育とは・・・」と書いており、この舞台が創られるうえでの問題意識がそこにあったことをうかがわせる。

 盛り沢山の内容で、通常その筋書きの紹介に終始しそうなこの舞台を演出の宮田慶子は丁寧に処理しながら、たっぷりとした見せ場を作っている。
 その第一が、千鶴子が福来に寄せる恋情の表出場面であるが、その淡い気持ちは伝わるようで伝わらない。そのもどかしさが「劇」的な表現となっているところが腕の見せ所であり、青年座という新劇の劇団の実力を示したといえるように思う。
 それは実に微妙で微細な表現によって緻密に構築された世界なのだ。それはあまりにはかなく幽かであるがゆえに、暴力的な報道の力や世の中の大きな声によってかき消されてしまう真実の弱さを際立たせるようだ。
 この場面、千鶴子と福来を演じる二人の俳優はほとんどささやくような声で語り合うのだが、小劇場とはいえ、400人規模のホールの奥にまで芝居を伝えるその技術は、アングラ俳優の私にとって新鮮な驚きでもある。

 それにしても、何もかもを見透かすかと思える「千里眼」を題材とした芝居のテーマが、人の気持ちの伝わらなさであったり、過熱報道の挙句に真実が見えなくなったりするというパラドックスは極めて皮肉である。
 そこにこそこの作品の面白さはあるように思える。
 そしてそのテーマは、この数十年の間に繰り返し現れた超能力ブームなるもの、オウム真理教に代表される科学と宗教の相克がうみだした奇怪な暴力、あの戦争へと人々を駆り立てた理不尽な力や迷妄、そして昨今の政治状況にもそのまま直結しているようだ。

「遊びの杜」に遊ぶ

2009-10-20 | 演劇
 映画「ヴィヨンの妻」を観たその日の夜、オフィスパラノイアの今昔舞踊劇「遊びの杜」を観劇。(作・演出:佐藤伸之。於:靖国神社特設舞台)
 古事記をはじめ、日本書紀、今昔物語、宇治拾遺物語、御伽草子、さらには小泉八雲、太宰治などの作品から、「貧乏神と福の神」「幽霊滝」「博打うちの息子の婿入りの譚」「ろくろ首」「大井光遠の妹の強力の譚」「鳴釜」という6つの物語を舞台化、これに序として創作舞踊「三番叟」を加えた構成である。

 ジャパニーズエンターテイメントというフレーズがパンフレットにあるように、日本的なものにこだわった舞台づくりを続ける主宰の佐藤氏とこの集団のコンセプトは、昨今の比較的若い演劇人のなかでは極めて異例ともいえる特徴と明解さを有しているといえるだろう。
 その舞台の出来も高い水準を示していると評価できるものだった。振り、殺陣、所作、工夫を凝らした演出、セリフ術など、どれも長年の集団としての積み重ねが実を結びつつあると感じる。今後の方向性が何だか妙に気になりながらも、楽しみな集団なのである。

 役者陣の中で、とりわけ秋葉千鶴子さんの語りはいつもながらに端整な佇まいと相まって美しく、観客を劇世界に引き込む力を持っていた。
 ゲスト参加の「ひげ太夫」の2人の女優は私にとって初見ながら、舞台の床を跳ねるそのしなやかな音を聞けば力量のあることは十分に感じられる。

 そうしたなか、今回私が特筆したいのは伊藤貴子の存在感である。
 これまで10年以上関わって、断続的に見続けてきた彼女の舞台の中で、今回ほどはじけて、たくましく、可愛く、お茶目に遊ぶ彼女を観たことはないように思えるほどだ。
 これが代表作というにはまだまだ早いのかも知れないけれど、これからが本当に楽しみな成長ぶりである。

 さて、以上述べたように全体的に高いレベルにあることは間違いないのだが、さらに欲を言うならディティールをもっと大事にすることだろう。神は細部に宿るのである。
 ちょっとした言い間違いや気の抜けた部分が全てを台無しにしかねない。
 三番叟では扇の扱いでちょっとしたアクシデントがあったようだし、アンサンブルの乱れもあった。
 以前、和泉流狂言師の野村万蔵がコンドルズの近藤良平と三番叟を競演した話を書いたが、劇場パンフの対談のなかで、近藤氏が「振りを間違うことはないのですか?」と訊いたのに対し、万蔵氏は笑いながらではあるが「間違っちゃいけないんです」と答えている。
 当たり前のことではあるが、これは実は相当に厳しいことを言っているのである。
 その昔、貴人方の前で舞った演能者に間違いは決して許されなかったであろう。それはすなわち死を意味していた。
 そうした厳しさを自然のものとして身に着けた時、本当の役者が生まれ、芸術としての舞台が顕現するのだろう。
 (大げさな物言いはお許しいただきたい。ひとのことはいくらでも言えるのだ。わが身を振り返れば恥ずかしくてならないのだけれど。太宰だったら少しはハニカメと言って怒ったかも知れない)

 さて、今回は台風が舞台設営の日を襲い、設営と撤去を繰り返したのだと聞く。そんな苦労を経て創り上げた舞台は本当に美しいものだった。
 ライトアップされて浮かび上がる神池と庭園の木々を借景とした舞台は、古来私たちの精神に深く眠る物語と感応しながら、忘れがたい記憶を観客の心に刻んだに違いない。

旅の仲間

2009-09-23 | 演劇
 22日、子どもたちのために世界各国で美しく幻想的な作品を創り続けているイタリアの演出家テレーサ・ルドヴィコの脚本・演出による舞台「旅とあいつとお姫さま」を東池袋の劇場「あうるすぽっと」で観た。
 原作:アンデルセン作「旅の道づれ」、ノルウェーの昔話「旅の仲間」、台本:佐藤信、美術:ルカ・ルッツァ、出演:高田恵篤、KONTA、楠原竜也、辻田暁、逢笠恵祐。
 本作は「あうるすぽっと+座・高円寺プロデュース企画」と銘打ってあるとおり、池袋と高円寺という比較的至近な場所に立地する2つの公共劇場が共同でひとつの舞台を製作するという試みの成果である。

 同時期に距離の近い2つの劇場で上演するという興行上の冒険が観客動員という面でどう評価されるかは別にして、舞台そのものは高い緊張感と躍動感、そして美しさに満ちた素晴らしいものだったと思う。
 こうした舞台に出会えるからこそ、時にはがっかりし、絶望を通り越して怒りに震えるような思いをしながらも、劇場に通い続ける甲斐があるというものだ。

 この数日、必要があってある地域の演劇祭に参加している若手劇団の舞台を3本ほど観て回ったのだが、実はそのレベルや志の低さに落胆していたのだ。
 そのことはわが身にも当然跳ね返る。おそらく自分のやってきたことは彼らと比べて同等以上とは到底言えないのではないか。私は役者であることが恥ずかしくて堪らなくなっていた。

 「旅とあいつとお姫さま」は芝居を観ることの至福、観た芝居を語り合うことの楽しさを教えてくれるだろう。
 1時間の舞台を客席の子どもたちも集中力をもって観続けていた。
 そのことには劇場の特質もまた要素の一つとして挙げられるように思う。「あうるすぽっと」は固定席のあまり自由度が高いとは言えない半プロセニアム形式の舞台なのだが、役者の声をよく響かせ、沈黙の瞬間には役者の息遣いまで聞こえるような底知れない静寂を空間全体に作り出すことのできるブラックボックスの劇場である。観客の集中力を高めるように作られているのだ。
 その要素がよい創り手と出会った時、言い知れぬほどの高度な劇空間を出現させるのである。
 役者は誰もが素晴らしかったが、特に旅仲間とネコを演じた楠原竜也はダンサーとしての技量を存分に活かしながら、緻密な動きで観る者を幻惑するようだ。
 お姫さま役の辻田暁も無垢なるものがたちまち魔に魅入られることの官能性を示して強烈な印象を残す。
 
 芝居は、この世界に満ちた「悪意」や「邪悪」なものが、「善」なるもの、「愛」によって駆逐される物語であると言えるが、子どもたちはどのような感想を持っただろう。
 お姫さまや高田恵篤が演じた魔物が魅力的であったように、「邪悪」なることの誘惑性をしっかり描いているからこそ、この物語は心に楔となって届いたとも言えるのである。
 悪意を知らぬ無垢なばかりの善や愛ほどやっかいなものはないとも言えるのだから、これは物語の効用と言ってよいのかも知れない。

 さて、劇場ロビーでは、「WORLD STAGE DESIGN2009~DIGITAL EXHIBITION in TOKYO」が同時開催されている。
 OISTAT(劇場芸術国際組織)日本センターが主催し、あうるすぽっとと(社)劇場演出空間技術協会(JATET)が共催するもので、WORLD STAGE DESIGN2009が韓国のソウルで開催されるのに合わせ、優秀作品をデジタル映像方式で紹介するほか、日本のデザイナーによる海外における創作活動を模型展示するなど多面的に紹介している。
 舞台芸術の国際化の進展の一端を知ることのできる興味深い催しである。その美しさは芝居そのものに関心のない人にも理解してもらえるのではないだろうか。併せて記録しておく。

ザ・ダイバー

2009-09-01 | 演劇
 29日、野田秀樹作・演出の「ザ・ダイバー 日本バージョン」を東京芸術劇場小ホール1で観た。
 開演の1時間半ほど前からホールの入り口に並んで当日券を求めたのだが、こうした観劇は本当に久しぶりのことで、こうやって沢山の人と一緒に並びながら発券までのヒマをつぶすという時間の費やし方もひっくるめて芝居を観る醍醐味なのだなあと改めて感じた。それは心躍る体験なのだ。
 はからずもこの日は政権交代がキーワードとなった選挙戦の最終日。与野党の党首は池袋駅の東西に分かれて最後の演説に声を張り上げ、何万人もの人が耳を傾けたはずである。
 そうした世の中の潮目が変わりつつあることからあえて背を向け、たかだか250人ほどの小劇場の暗闇にそっと身を潜ませ、劇世界にダイバーとなって惑溺するという距離感もまた一つの体験ではあるだろう。

 さて、芝居は、源氏物語「葵」「夕顔」と謡曲「海人」「葵上」を中心的なモチーフとしつつ、現代に起こった多重人格と思われる女性による放火殺人事件を絡めた物語として描かれる。
 私はロンドン・バージョンを観ていないので比較はできないのだけれど、主人公の女を演じた大竹しのぶは、絶妙な切り返しで瞬時に転移する人格や女の感情を表出して実に見事だ。
 また、多重人格でありながら一人の人物を演じる大竹しのぶと、様々な役柄を演じ分ける野田秀樹、渡辺いっけい、北村有起哉といった3人の男優のアンサンブルが素晴らしい。
 もっとも野田が演じるのは精神科医のひと役であり、彼が途中で源氏の妻・葵になるのは別のひと役を演じるのではなく、葵の霊が精神科医に憑依したということなのだろう。
 極めてノーマルな第三者的立場で患者を観察するようで、かつ気弱なふうでもある精神科医を演じる野田が葵となってから徐々に病的な残忍さを滲ませるようで、その果てに突如垣間見せる暴力性は観客を震撼させずにはおかない。
 役者・野田秀樹はこうしたものという私の勝手な先入見を打ち破る演技だった。

 大竹しのぶに関して付け加えれば、以前テレビドラマで多重人格者を演じていたことからも、おおよそ予測できる役の造形ではあるのだけれど、直感型あるいは本能的な女優という印象を払拭する緻密な演技であったと思う。
 発声や呼吸法、切り返しのタイミング、叫び声をあげる時の抑制など、駆使されるテクニックは若い俳優のお手本にしたいほどだ。

 さらに加えて特筆しておきたいのが、ソファや椅子といった簡素な装置や扇などの小道具、衣装を様々に工夫して使い、あるいは別のものに見立てながら、現在と過去、場所など、時間軸や空間軸を自在に転換させる演出である。
 これは能をよく観る人であれば当たり前と思われることかも知れないのだが、このスピード感は、三島由紀夫が「能ほどスピーディな演劇はない」と言ったことをも想起させながら極めて新鮮なものに思える。
 おそらくは4人の俳優たちがワークショップのようにアイデアを出し合いながら組み立てていったのであろうそうした遊びの要素や稽古の積み重ねの様子までもが目に浮かぶようで実に面白い。
 
 その一方、この舞台が能の様式を取り入れることで成り立っていることは十分理解しつつも、俳優の演技における能を思わせる所作が少しばかり中途半端な表現に終わっているのではないかとの感想がないわけではない。
 そうした点も含めつつ、これからの私自身の人生の時々に折に触れて思い出すに違いない、実に見応えのある刺激的な舞台だったと思う。

にしすがものドリトル先生

2009-08-16 | 演劇
 今月4日と12日の2回、にしすがも創造舎恒例、「アート夏まつり」の一環として行われた演劇公演「ドリトル先生と動物達」を観たのでメモしておきたい。
 原作はご存知、ヒュー・ロフティングの「ドリトル先生航海記」。これをOrt-d.dの倉迫康史氏が台本化し演出した。
 この演劇公演は「子どもに見せたい舞台」というコンセプトで創られているもので、豊島区及び同教育委員会、NPO法人アートネットワーク・ジャパン、NPO法人芸術家と子どもたちの4者で構成する実行委員会が主催、制作をアートネットワーク・ジャパンが担当している。
 一昨年の「オズの魔法使い」、昨年の「怪人二十面相と少年探偵団」に引き続く舞台である。
 今回もそうだが、いつも丁寧に創りこまれた作品で、特に舞台づくりにかけるスタッフの愛情や情熱、意気込み、本気度といったものが観ている者にもひしひしと伝わってくる。こうした舞台に触れ、観ることは、子どもたちにとってとても意味のあることに違いないと私は確信する。
 特に今回の舞台では、舞台美術の伊藤雅子氏、衣装の竹内陽子氏、照明の佐々木真喜子氏の仕事を特筆したい。元体育館の特設劇場に日常とはまったく異なる世界を構築したのはまったく彼女らの功績である。

 校庭から劇場に入り、受付を通って薄暗いロビーに出る。そこから階段状の客席の間の狭い通路を抜けるとそこが舞台である。不思議の国のアリスが「うさぎ穴」を通って別世界に行ったように、観客は「ドリトル先生」の世界に導かれるのだ。
 開演までの間、動物達(衣装をまとった俳優)が舞台とロビーを自由に行き来しながら観客を誘導するのも楽しい仕掛けだ。

 個人的な思い出として、私は「ドリトル先生」シリーズを小学校四、五年生の頃に読んだような気がする。
 すっかりドリトル先生に憧れて、いくつか贋作を書こうと原稿用紙に向かったくらいだから、相当に影響されたはずである。
 翻訳が井伏鱒二という人だということを認識してはいたが、痩せ型の学者さんというイメージを勝手に思い描いていて、あんなにまん丸で釣り好きの小父さん、あるいは高名な作家だとは思いもしなかった。
 うかつにも私はドリトルが「Dolittle」のことで「甲斐性なし」あるいは「やぶ先生」を意味することを最近まで気がつかずにいた。
 これを「ドゥーリトル」ではなく「ドリトル」と表記したことや、「Pushmi-Pullyu」を「オシツオサレツ」と訳したことなど、井伏鱒二のセンスが光る。
 井伏に翻訳を勧めたのが児童文学者の石井桃子であり、石井の設立した「白林少年館」から第1作の「ドリトル先生アフリカゆき」の刊行されたのが、太平洋戦争開戦の年である1941年であったことも今回初めて知った。
 戦時下の子どもたちはこの本をどのような気持ちで読んだのだろう。改めて考えてみたい。

 さて、舞台である。
 この舞台では音楽も重要な要素である。舞台の正面奥にバンドのセットが組まれていて、俳優達が交互に演奏するのが楽しくも素晴らしい。
 私はこの舞台シリーズのバンドを使った劇音楽が大好きなのだが、難を言えば今回はリズムがいささか平板な印象を受けた。 
 音楽だけの問題ではなく、それが芝居全体のリズムに影響していたのではないかと気になったのである。
 これはあくまで感覚の問題ではあるが、ワンシーンごとにこれがあと1秒か2秒短縮できていればと思うことが多かった。それが積もり積もれば全体で5分程度は引き締めることができたはずである。
 おそらくここを「見せたい」という象徴的なシーンがあったはずで、それをより効果的に見せるための演出があってもよかったのではないかと思うのだ。技術論として、すべてを「たっぷり」演じる必要はないのではないか。
 私のような「アングラ」出身のがさつな役者と違い、舞台の俳優達は言葉を実に大切にしているのが分かる。私なら観客の注意を惹き付けるために声を張り上げたり、スピードを上げたりするところで、逆に声を低めてしっかり伝えようとする。
 それはおそらく正解だし、上品な演技なのだが、それが全般に及ぶとリズムが平板になり、観ている子どもの集中力が持たないという気がするのだ。
 ストーリーの取捨選択や何をこの舞台で一番見せたかったか、あるいは伝えようとしたかったか、台本上の課題もあったのではないかと思える。

 話したいことは尽きないほどあるけれど、いずれにせよ、稀有なほど誠実な舞台づくりを続けているこのシリーズがさらに豊かな実を結ぶことを私は心から期待している。

演劇祭 予告編・CM大会

2009-08-13 | 演劇
 10日、第21回目を迎えた池袋演劇祭の前夜祭である「予告編・CM大会」を観る機会があった。(会場:あうるすぽっと)
 1989年にスタートしたこの演劇祭の特徴は、手作り感覚で若手の登竜門としてあたたかく彼らを見守ってやろうという意識が主催者の側にあるということだろうか。
 演劇祭としての小難しい理念やテーマ、プログラム選定はなく、肩の力がぬけて心地よい代わりに、何でもありの雑多な印象は拭えない。
 専門家が観てこれらの舞台を批評の対象にするかというと、殆どそんなことはないのだが、市民から選ばれたいわば素人の審査員が投票して賞を授与するという方式も、草の根的な地域発の演劇祭としてはふさわしいのではないかと思える。

 さて、今回の「予告編・CM大会」には30劇団ほどが参加していたのだが、ハダカ舞台で地の照明のもと、2分間で自分たちの舞台をアピールするというこの試みはしかし相当に過酷な試練を出演者たちに強いるものである。
 とにかく、その力量がもろに舞台にあらわれるのであって、否応なく相対化された身体を観客の目に晒しながら役者たちは舞台上を右往左往することになる。
 この形式はお笑いにこそふさわしいのか、舞台上の彼らは何だか皆、コント集団か欣ちゃんのかくし芸大会の出場者のように見えなくもない。それがシリアスな内容の演目であったりした場合、私としてはただ同情するしかない。

 それにしてもそうした状況設定を見事に活かして、2分間の舞台作品として創り上げた劇団が2つほどあったという点は発見であった。特に劇団名はここには書かないけれど、これからの彼らに注目していきたいと思う。

 「予告編・CM大会」の終了後、劇場ロビーいっぱいに集まった彼らとともに、これからの舞台の成功を祈って乾杯した。
 その若々しいエネルギーの発散はうらやましいばかりだ。すっかり忘れてしまった昔の自分をその喧騒の中に探しながら、彼らの声にただ耳を傾けていた。

ユーリンタウンはどこにある

2009-06-09 | 演劇
 6月5日、高円寺に新しく出来た劇場「座・高円寺1」にて流山児★事務所公演「ユーリンタウン」を観た。
 オフ・ブロードウェイのアングラ小劇場で爆発的なヒットとなり、2001年にブロードウェイ進出、2002年トニー賞を脚本・楽曲・演出の主要3部門で受賞したミュージカルの名作を坂手洋二の上演台本、流山児祥の演出により、小劇場の役者、ミュージカル俳優50名が入り交じって創り上げた「オレタチのブロードウェイミュージカル」である。
 脚本・詞:グレッグ・コティス、音楽・詞:マーク・ホルマン、翻訳:吉原豊司、音楽監督:荻野清子、訳詞・演出補:浅井さやか他。

 「ユーリンタウン」とは、直訳すると「ションベンタウン」なのだそうである。
 舞台は近未来の架空都市。地球が旱魃に襲われ、水飢饉のなか節水のために水洗トイレが廃止され、誰もが有料公衆トイレの使用を義務付けられた監視社会。それを変革しようとするホームレスたちが自由を求めて立ち上がる。
 すべてのトイレを管理しているのはUGC社。そしてこの恐ろしい監視システムを賄賂によって作り上げたのがUGC社長クラッドウェルその人である。
 貧民街では、金がないためにトイレを使用できないホームレスたちが大騒ぎ。そんな彼らを管理人ペニーは容赦なく取り締まる。そんななか、ペニーの助手ボビーの父親が立ちションをして逮捕され、「ユーリンタウン」に送り込まれてしまう。失意のなか、ボビーは美しい娘ホープに出会い、「革命」に目覚めるのだが、ホープはクラッドウェルの愛娘なのだった・・・。

 率直に言って、この舞台は傑作であると断言してよいと思う。
 実はフレッド・アステアをはじめとする往年のミュージカル映画大好きの私なのだけれど、日本のミュージカル、とりわけいかにも音楽大学で正規の発声を学んできましたという感じの個性もなにもないのっぺりした舞台には辟易していた。
 この作品はそんなモヤモヤ感を吹き飛ばしてくれる舞台である。踊れない俳優、歌えない俳優がいたっていいのだ。このミュージカルには熱い志が横溢している。
 好演者の多い流山児組の俳優たちだが、なかでもクラッドウェルを演じた塩野谷正幸が奇怪な存在感を発揮して出色である。決して器用な俳優ではないのだが、最近の彼の舞台のなかでも得がたい役どころだったと思われる。

 実はこの作品にはいくつもの先行する作品のパロディーが楽曲に潜んでいるようなのだが、それを読み取る、あるいは聴き取る力が私にはない。
 けれど、ミュージカルという形式そのものをひっくり返すような仕掛けがこの作品には仕組まれているのだ。メタ・ミュージカルとでも言えるような、ミュージカルの常識を裏切った構造が露呈するエンディングは爽快ですらある。
 それでいて、ちゃんとミュージカルとしての見せ場もしっかりと作りこまれている。50人の俳優の群集劇として成立させた演出の手腕、舞台上の俳優たちがいくつかのパートに分かれながら同時にさまざまな感情を表出させるシーンのハーモニーの美しさはミュージカル=音楽劇ならではのものだ。

 私が訪れた日は平日だったので観られなかったのだが、週末には開演前、劇場の内外で高円寺阿波踊りや中野エイサー、大道芸人、パフォーマー、ダンサーたちの繰り広げる「祭り」も同時開催されているそうだ。
 「劇場は市民のための広場であり空き地である」と言い切る流山児祥の志と仕掛けにも拍手を送りたい。
 青白いアート至上主義に引き籠もるのではなく、大衆受けに迎合するのでもない、聖も俗も併せ呑みながら、あらゆるものを巻き込む熱としたたかな戦略がそこにはある。

転校生

2009-04-06 | 演劇
 年度の変わり目というのは何だか妙にソワソワしてしまう。引越のシーズンでもある。
 かくいうこの私もこれまで棲みついた劇場の舞台裏から別の穴蔵へと引越すこととなった。
 そんなこんなでこの1週間、メモを書き付ける余裕さえなかったのだ。なぜこんなにも不用な紙くずに囲まれていたのかと我ながら不思議に思うほど、いやあ捨てた、捨てた。いっそ自虐を通り越して気持ちよいほど書類や雑誌の類を捨てまくった。
 こんなに要らんものばかり・・・とは思うものの、なかなか捨てられないものですよ、紙だって、過去だって。
 そうかと思えば、後になってどうしてあの貴重な本やレコードを捨ててしまったのだろうと、今さら手に入らない書籍の背表紙やレコードジャケットを思い浮かべながら悔やむこともあるのだから、ホンにこの世はままならないのである。

 これまでそう大して引越をしたわけではない。この歳になるまでに10回の転居というのはそれほどの回数でもないだろう。
 思い出深いのは、まだ小学生だった頃、四国の瀬戸内海沿いの町から海のない埼玉の地方都市に事情があって引っ越した時のことである。
 いわゆる転校生だったわけだ。物珍しさもあって、皆興味津々で自分を見るクラスメイトの視線が面映く感じられたものだが、次の学期になって別の転校生がやって来たりすると、たちまち皆の興味はそちらに移ってしまう。
 その転校生がカワイイ女の子だったりするとことさら気を惹くようにイジワルなんかしながら、落ち目となった人気スターの悲哀を独り噛み締めたものだ。

 転校生という言葉にはなんとなく甘い切なさが込められている。

 さて気がつけばすでに先月のことである。3月26日、そんな移ろいゆくものの切なさを感じさせる舞台作品「転校生」を東京芸術劇場中ホールで観た。
 平田オリザの15年前の戯曲を飴屋法水が演出し、07年に静岡舞台芸術センターで上演された作品の再演である。製作:SPAC・静岡舞台芸術センター、主催:フェスティバル/トーキョー。

 19人の現役女子高生が舞台には登場する。彼女たちの「いま」がそのままに提示されたような作品である。そしてもう一人・・・。
 「ただいま、○時、○分、○秒をお知らせします」という時報のアナウンスが開演待ちの会場には流れ、オンタイムで舞台は始まる。まさにこれは「いま」「この瞬間」でなければ出会う事のない時間、彼女たちが生きる「いま」と観客との稀有な邂逅なのだ。
 彼女たちが語る課題図書の「風の又三郎」やカフカの「変身」が巧みに劇に取り入れられ、ある日目覚めたら「転校生」になっていた、と言うオカモトさんとの出会いと別れが描かれる。
 オカモトさんの出現に戸惑いながらもそれを自然に受け入れる女子高生たち。それがあまりに自然なだけに、それこそ「風の又三郎」のようにある日突然いなくなってしまった転校生オカモトさんの「不在」は私たちの胸を打つ。
 喪失してしまった何ものか、その重みに耐えるように「せーの」という掛け声とともに虚空にジャンプを繰り返す終幕の彼女たちの姿は、この瞬間に存在することの比類のない美しさに満ちている。

 まさに奇跡のような傑作である、と思う。

ユートピア?

2009-03-27 | 演劇
 3月23日、ブザンソン国立演劇センターとフェスティバル/トーキョーの共同製作作品「ユートピア?」を東池袋の劇場「あうるすぽっと」で観た。
 いわゆるオムニバス形式の作品で、3か国の俳優が4つの言語(日本語・ペルシャ語・英語・フランス語)で演じ、作・演出は、プロローグとエピローグをシルヴァン・モーリス、2部構成の前半にあたる「クリスマス・イン・テヘラン」を平田オリザ、後半の「サン・ミゲルの魚」をアミール・レザ・コヘスタニが担当している。
 
 前半は、テヘラン郊外のアメリカ資本が残したスキー場のホテルで、3か国の人々がクリスマス・イブを過ごす、というもの。短編小説のような味わいがある。
 現に私はこの場面を観ながら、堀江敏幸の小説集「おぱらばん」に出てくる、パリ郊外の宿舎でネイティブのフランス人たちに片言の言い回しを冷笑されるマイノリティの登場人物たちのことを思い出していた。
 後半では、その「クリスマス・イン・テヘラン」のまさに上演中の楽屋裏という設定で俳優たち自身の別の物語が進行する。紗幕をはさんで手前に楽屋、奥に上演中の舞台が見える。俳優たちは奥の舞台でもう1回同じ芝居を演じながら手前の楽屋に出入りするのだ。

 通常のバックステージ物の場合、舞台上では夢の世界を演じながら、楽屋では現実的な人間模様が展開するというのがパターンであるが、本作ではそうした構図を逆転させ、舞台裏のほうが幻想的で超現実的な作りとなっている。
 出番待ちの俳優のいる楽屋に突然電話がかかり、イランの俳優が「お前はイラン・イラク戦争に行って、何人殺したか」と聞かれたり、日本人俳優のもとに日本にいるはずの妻の声が聞こえたり・・・。
 楽屋での情景のほうがより演劇じみた不条理性や幻想をまとうことで、相対的に前半の舞台をよりリアルなものと感じさせる。

 しかし、そこで描かれるのはユートピアではない。
 不条理な現実世界に生きる俳優たちが、ディスコミュニケーションを主題とした芝居を演じている俳優を演じるという二重の構図によって、より《リアル》で冷徹な世界を描き出すことにこの作品は成功していると言えるだろう。

声紋都市

2009-03-22 | 演劇
 3月19日、東京芸術劇場小ホール1で松田正隆作・演出作品「声紋都市―父への手紙」を観た。製作:マレビトの会、共同製作・主催:フェスティバル/トーキョー。

 「95kgと97kgのあいだ」が戦中から戦後にかけて生まれ、70年安保闘争の渦中にあった世代と現代の若者世代との幻想と戦いの演劇であるとすれば、「声紋都市」は、おそらく大正末期に生まれ従軍した経験のある世代と、東京オリンピック前後に生まれ、あの戦争を逡巡なく侵略戦争であったと断じる世代との距離感そのものが主題の作品である、とは言えないだろうか。

 「父」なる存在は大きな謎として作者の前にあり、大いなる沈黙を保ったまま自らを語ろうとはしない。
 父は殺され、乗り越えられるべき存在なのだが、その本当の姿は見えないままであり、息子はその前でただ手紙を書くしかないのだろう。

 あからさまに語れば、すべてが瓦解しそうな関係性を危うく保ちながら父と息子は向かい合うしかないのだ。

 作者は舞台に映し出される映像と、多声を導入し、都市そのものが孕んだ歴史や土地の記憶が語りかける重層的な声によって構成されたともいえる舞台上の俳優の演技によって、痛々しくも韜晦に満ちた舞台を作り上げた。
 歴史のなかに埋もれていった様々な時間や多くの人々が個人史を語る声によって織り成される都市の姿がそこに浮かび上がる。

 観客はそれを凝視するしかない。

「95kgと97kgのあいだ」の重さ

2009-03-22 | 演劇
  3月18日、にしすがも創造舎にて「95kgと97kgのあいだ」を観た。作:清水邦夫、演出:蜷川幸雄、出演:さいたまゴールド・シアターほか。
 本作は、昨年6月、彩の国さいたま芸術劇場において、さいたまゴールド・シアターの第2回公演演目として上演された作品であり、劇団初の再演・県外公演となるもの。
 さいたまゴールド・シアターは周知のとおり、彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督蜷川幸雄が提唱した「年齢を重ねた人々が、その個人史をベースにした身体表現によって新しい自分に出会う場を提供する」との理念のもと、オーディションを経て2006年4月に発足した55歳以上の団員による演劇集団である。現在、団員数は42名、平均年齢70歳とのこと。

 蜷川幸雄は1969年9月に新宿文化で上演された現代人劇場の公演「真情あふるる軽薄さ」(作:清水邦夫)によって鮮烈な演出家デビューを果たしたが、「95kgと97kgのあいだ」は、まさにその「行列」の芝居の稽古をしている若者たちの前にかつて「行列」の芝居に出演していたという「一群」が現れ、彼らを率いる「青年」の号令のもと、目には見えない架空の砂袋を背に担ぎ、歩き始めるというものだ。

 「真情あふるる軽薄さ」は、私の世代にとっては伝説の舞台である。
 当時、田舎の少年だった私には新宿の騒乱ぶりはまさに遠い世界の出来事でしかなかったが、数年後、同じ新宿文化で唐十郎作の「盲導犬」や清水邦夫作の「泣かないのか泣かないのか1973年のために」といった蜷川演出作品を観て衝撃を受けた私は、ほんの少しばかり時代に「遅れてしまった」ことに切歯扼腕したものだ。

 さて、本作は、そうした蜷川幸雄の原点ともいうべき群集の演出そのものが見どころと言えるけれど、かつてその芝居に出ていたであろう、あるいはそれを観ていたであろう世代の人々が実際に舞台に現れること(それはまさに地の底からたち現れた幻影のようでもあったが)によって、時代と演劇との出会いというものを深く問い直すものになっていたように思う。

 さて、もう一つの見どころが、「さいたまゴールド・シアター」といういわば素人の集団をいかにプロの演劇集団に生まれ変わらせるかという戦いの記録でもあるということだ。
 「95kgと97kgのあいだ」というタイトルはよく考えられたものと思うけれど、号令をかける青年によって「30キロ!」「50キロ!」「95キロ!」「97キロ!」と次々に課題を与えられながらひたすら歩き続ける彼らは、そうした架空の「重さ」を想像力によって埋めながら身体に刻み付けることによって真の俳優集団に近づいていく。
 「95kgと97kgのあいだ」にある重さの違いを想像し、身体的に表現することがまさに俳優の仕事だからである。

 凡百の市民参加演劇との明確な差はそこにある。