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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

転校生

2009-04-06 | 演劇
 年度の変わり目というのは何だか妙にソワソワしてしまう。引越のシーズンでもある。
 かくいうこの私もこれまで棲みついた劇場の舞台裏から別の穴蔵へと引越すこととなった。
 そんなこんなでこの1週間、メモを書き付ける余裕さえなかったのだ。なぜこんなにも不用な紙くずに囲まれていたのかと我ながら不思議に思うほど、いやあ捨てた、捨てた。いっそ自虐を通り越して気持ちよいほど書類や雑誌の類を捨てまくった。
 こんなに要らんものばかり・・・とは思うものの、なかなか捨てられないものですよ、紙だって、過去だって。
 そうかと思えば、後になってどうしてあの貴重な本やレコードを捨ててしまったのだろうと、今さら手に入らない書籍の背表紙やレコードジャケットを思い浮かべながら悔やむこともあるのだから、ホンにこの世はままならないのである。

 これまでそう大して引越をしたわけではない。この歳になるまでに10回の転居というのはそれほどの回数でもないだろう。
 思い出深いのは、まだ小学生だった頃、四国の瀬戸内海沿いの町から海のない埼玉の地方都市に事情があって引っ越した時のことである。
 いわゆる転校生だったわけだ。物珍しさもあって、皆興味津々で自分を見るクラスメイトの視線が面映く感じられたものだが、次の学期になって別の転校生がやって来たりすると、たちまち皆の興味はそちらに移ってしまう。
 その転校生がカワイイ女の子だったりするとことさら気を惹くようにイジワルなんかしながら、落ち目となった人気スターの悲哀を独り噛み締めたものだ。

 転校生という言葉にはなんとなく甘い切なさが込められている。

 さて気がつけばすでに先月のことである。3月26日、そんな移ろいゆくものの切なさを感じさせる舞台作品「転校生」を東京芸術劇場中ホールで観た。
 平田オリザの15年前の戯曲を飴屋法水が演出し、07年に静岡舞台芸術センターで上演された作品の再演である。製作:SPAC・静岡舞台芸術センター、主催:フェスティバル/トーキョー。

 19人の現役女子高生が舞台には登場する。彼女たちの「いま」がそのままに提示されたような作品である。そしてもう一人・・・。
 「ただいま、○時、○分、○秒をお知らせします」という時報のアナウンスが開演待ちの会場には流れ、オンタイムで舞台は始まる。まさにこれは「いま」「この瞬間」でなければ出会う事のない時間、彼女たちが生きる「いま」と観客との稀有な邂逅なのだ。
 彼女たちが語る課題図書の「風の又三郎」やカフカの「変身」が巧みに劇に取り入れられ、ある日目覚めたら「転校生」になっていた、と言うオカモトさんとの出会いと別れが描かれる。
 オカモトさんの出現に戸惑いながらもそれを自然に受け入れる女子高生たち。それがあまりに自然なだけに、それこそ「風の又三郎」のようにある日突然いなくなってしまった転校生オカモトさんの「不在」は私たちの胸を打つ。
 喪失してしまった何ものか、その重みに耐えるように「せーの」という掛け声とともに虚空にジャンプを繰り返す終幕の彼女たちの姿は、この瞬間に存在することの比類のない美しさに満ちている。

 まさに奇跡のような傑作である、と思う。


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