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seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

火の顔

2009-03-10 | 演劇
 3月8日、マリウス・フォン・マイエンブルグ作「火の顔」を東京芸術劇場小ホール1で観た。演出:松井周、翻訳:新野守広、主催・製作:フェスティバル/トーキョー。

 この作品をどのように紹介するか、あらすじを紹介することに果たして意味があるのか迷うところだが、簡単にいってしまえば次のようなものだろう。
 「火の顔」は父母姉弟の4人で構成される家族が崩壊する様を描いたもので、反抗期にある弟が、姉との近親相姦的な愛に依存・惑溺しながら両親や学校など、自分たちの外部にある世界を切り捨て、あるいはそこから脱落し、ついには両親を殺害して自分も自殺するという作品・・・。

 子どもたちに理解を示すかに見える優しい両親は、姉弟からすれば、幸せな家族という類型化された風俗画における背景に過ぎず、親という役割=システムを放棄した存在だ。
 彼らは親という役割を演じているかに見せながら、そこから一歩も踏み出そうとしない。子どもたちに影響を及ぼさないばかりか、実は子どもの存在にすら気づいていないかのようだ。彼らはそのことに十分自足しきっているのである。

 作者や演出家の年代から考えて、この作品は子どもたちの視点で観ることが順当なのだろうが、見方を替えて両親の側からこの世界を観るとまったく違った顔が現れてくるように思える。
 新野守広氏は特別寄稿の文章の中で「癒しも希望もなく、ただお互いに依存しあって生きている人々を描く彼(マイエンブルグ)の世界は、大きな物語が失われた90年代以降の不安定なドイツ社会を浮かび上がらせる。」と書いているが、世界全体のタガがゆるみ、旧来の制度が壊れ、社会的責任を担おうにも立脚すべき価値観のひっくり返った世界で、ただ親であるというポーズに寄りすがるしかなかった彼らの困惑が痛いように伝わってくると言えなくもないのではないか。
 政治家がただ政治家であることにしがみ付いて、何ら影響を及ぼそうとしない今の日本の政治状況と似ていなくもないのだ。
 新野氏は、この作品をジャン・コクトーの「恐るべき子供たち」の現代版となぞらえているが、私には、それとは別に家族全員がグレーゴル・ザムザのような怪物に変身してしまった21世紀のカフカ的世界に思えた。

 さて、「恐るべき子供たち」であるが、コクトーが阿片中毒の治療中にわずか17日間で書き上げたことはよく知られている。
 この作品について、「阿片」のなかで彼は次のように言っている。以下、堀口大學訳を引用。

 「『怖るべき子供たち』を愛していると信じている人々が、よく僕に告げる、「おわりの数頁以外は」と。ところが、終わりの数頁こそ、或る夜、最初に、僕の頭の中に記されたものだ。その時僕は呼吸さえ出来なかった。僕は身じろぎも出来なかった。僕はノートさえもとれなかった。僕は、それ等の頁を失うことと、それ等の頁にふさわしい本を書き上げることの二つの恐怖にとらわれていた。」

 「火の顔」はコクトーのいう「終わりの数頁」のみで描かれた世界なのである。

 コクトーが阿片に親しむきっかけとなったのは、愛弟子レーモン・ラディゲの死がもたらした孤独地獄であり、あらゆるものへの興味の喪失であった。
 コクトーは次のように回想している。「僕は二つの自殺のうち、手軽な方を選んだ」と。
 彼は阿片に溺れ、そこから回復することで「恐るべき子供たち」を生み出したのだ。

 「火の顔」を観ることは、観客にとって、いわば「手軽な方の自殺」であると言えなくはないだろうか。私たちは、この舞台を通過することで回復し、新たな「生」を獲得するのだ。
 どんなに悲惨な物語であろうと、表現されたものにはそうした力がある。芸術には、そうした阿片からの解毒治療のように人々を回復へと向かわせる力があるのだ。

 演出の松井周をはじめ出演者たちは、この作品世界をよく創り上げた。現代口語的演技がマイエンブルグの世界をぞくりとするようなリアル感で描き出すものとして極めて有効であるということに私は瞠目した。
 コクトーがジャン=ピエール・メルヴィルとともに監督した映画版「恐るべき子供たち」では、バッハのヴァイオリン協奏曲が終始鳴り響いていたが、無音の「火の顔」の舞台では、登場人物たちの感情が救いを求めて逆巻き、充満していたのである。

4丁目のワーニャ

2009-03-02 | 演劇
 2月28日、東池袋4丁目の劇場「あうるすぽっと」でチェーホフの「ワーニャ伯父さん」を観た。演出:山崎清介、出演は木場勝巳、小須田康人、柴田義之、伊沢磨紀、松本紀保、楠侑子ほか。
 マイケル・フレインの英訳をもとに小田島雄志が翻訳したものを、さらに設定に手を加え、マリーナとテレーギンの役を合体させたりしているから、きちんとテキストにあたっていない私には演出意図の詳細は分からないのだが、ことさらに奇を衒わず正攻法での舞台化という印象だ。
 しかし、翻訳はある種の批評行為であるから、二重に翻訳というフィルターを経た原作との距離感にはそれなりの意味があるはずなのである。これについてはいつかじっくり考えてみたいと思う。

 これまでそれほど多くのチェーホフ劇を観ているわけではないのだが、いつも日本語による上演の難しさというものを感じてしまう。それはなぜなのだろう。

 チェーホフ劇のエッセンスを感じようとすれば、映画になってしまうけれど、ニキータ・ミハルコフが監督した「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」に勝るものはない。
 初公開は1980年だったと思うが、三百人劇場で観た衝撃はいまも記憶に残っている。
 チェーホフの大学時代の戯曲「プラトーノフ」に「地主屋敷で」「文学教師」「三年」「わが人生」などの短篇のモチーフを加えて映画化したものだが、いまやチェーホフの小説を読むときはもちろん、戯曲を読むときもあの映画の雰囲気がいつも甦ってしまい、逆に困ってしまうくらいだが、すでに30年も昔の映画を凌駕する作品が生まれないことのほうが問題だろう。
 それくらい当時32歳のミハルコフの視点=演出は現代的だったのだ。
 プラトーノフを演じたのはモスクワ芸術座のアレクサンドル・カリャーギンだが、彼のワーニャをぜひ観てみたいとも思う。

 一方、ワーニャの映画で忘れられないのが、ルイ・マル監督の遺作となった「42丁目のワーニャ」である。
 アンドレ・グレゴリー演出によるチェーホフの『ワーニャ伯父さん』の通し稽古を、稽古のままフィルムに納めた一種の演劇ドキュメンタリーである。
 劇作家で映画監督のデイヴィッド・マメットが脚色した台本を用いて、89年から延べ4年にもわたってリハーサルが続けられたものだが、正式の舞台公演はされていない。
 マルは91年にこの通し稽古を見て映画化を思い立ち、94年5月に実現したと記録にある。
 この映画で特筆すべきは、演技者たちの自然さである。稽古場にやってきた俳優たちが挨拶を交わし、雑談をしている。ふと気がつくといつの間にか芝居は始まっていて、映画の中で通し稽古を観ている観客と同様に、映画を観ている私たちもワーニャの世界にいる。
 この自然さ、演技の自在で自由であるさまはマジックのようでさえあるが、劇は損なわれていない。これこそがチェーホフが望んでいた演技であるように思えてしまう。

 さて、今回のワーニャであるが、配役のバランスがとれていないという印象が残ってしまう。木場勝巳の演技が強すぎる、あるいは相対的に周りが弱いとも言えるだろう。
 松本紀保のエレーナは端整すぎて、屈折した部分が見えないために喜劇にも悲劇にもなりえていない。
 エレーナはソーニャがアーストロフを好いていることを知りながら彼に近づき、アーストロフもワーニャがエレーナに恋していることを知りながら彼女に言い寄る。
 しかも二人は愛などというものを本気では信じていないはずなのだ。しかし、舞台上の演技はあまりに真っ直ぐであり過ぎる。
 言い表された言葉と内面の劇は異なっているというチェーホフの意図は達成されないままだ。

 「42丁目のワーニャ」でエレーナを演じたジュリアン・ムーアは、ワーニャに言い寄られ、それをやさしく乱れて受け入れると見せながら一線を越えそうな瞬間に激しく拒絶するという演技が印象に強く残る。説得力のある芝居だった。

 「42丁目のワーニャ」はビデオでも持っていたのだが、ある人に貸したまま返ってこない。いまは誰の手元にあるのだろうか。
 そんなことを考えていたら、今月のWOWOWで放映されるようだ。興味のある方には是非ご覧いただきたい。


オセロー/イ・ユンテク

2009-03-01 | 演劇
 2月27日、韓国の李潤澤(イ・ユンテク)演出作品「オセロー」を東京芸術劇場中ホールで観た。製作・主催:フェスティバル/トーキョー。
 原案は、ク・ナウカ シアターカンパニーの宮城聰の委嘱を受けて比較文学者の平川祐弘が、シェイクスピアの「オセロー」を旅の僧が殺されたデズデモーナの霊と出会うという様式夢幻能の手法で書き換えたもの。イ・ユンテクは、その「夢幻能オセロー」にさらにシャーマニズム舞踏「招魂クッ」などを取り入れ、日韓の伝統をシェイクスピア劇の中で融合させて新たな舞台を創造した。
 間狂言として、原作の「オセロー」の場面が演じられる。
 
 舞台上で生演奏される元一(作曲・音楽監督)の音楽がまず素晴らしい。基礎知識なしに書いてしまうけれど、和太鼓、笛、笙、琵琶、琴、パーカッションなど様々な楽器のつむぎ出すその音は、能楽の伝統を思わせながら、深くアジア大陸から伝わった原初の音色であり、私たちのルーツが一つながりのものであることを感覚的に示しているようだ。
 私は、舞台を観ながら、以前チェリストのヨーヨー・マがテレビ番組のために広く中央アジアや中東にまで取材した「シルク・ロード・アンサンブル」の音楽を思い出したりしていた。

 古代日本の卑弥呼を持ち出すまでもなく、シャーマニズムはわが国にも受け継がれたDNAなのかも知れない。ク・ナウカ シアターカンパニーの場合、個人的には何となく理知的に過ぎると感じるきらいがなくもなかったのだが、今回の舞台は心の奥底から揺さぶられる感動を覚えた。

 演劇における言葉=台詞の扱いで難しいのは、その音楽的処理であろう。
 オペラであれば、重なり合う異なる人物の台詞もポリフォニーとして処理できるものが、演劇の場合はともすれば混濁して耳にうるさいだけだ。
 この舞台では、謡曲的な発声、台詞回し、さらにおそらくは韓国伝統の音楽的要素も加わって、役者の台詞が実に素晴らしい音楽的リズムで処理されていたように感じられた。

 エンディング近く、劇場全体を揺るがすような祝祭的舞踏はデズデモーナの霊はもとより、観客の私たちをも慰撫し、浄化する。
 
 申楽延年は仏の在所たる天竺に起こり、あるいは神代より伝わる、と書き残した世阿弥の言葉を思い起こし、11世紀半ばに著された「新猿楽記」でその人気の程を示した「猿楽の態、嗚呼の詞、腸(はらわた)を断ち頤を解かずといふことなし」というくだりを想起しながら、この舞台のラスト、祝祭的な舞踏のうねりに身をまかせていると、何千年の時と空間をまたぎながら脈々と連なる芸能の来し方、現在における在り様というものに新たな感慨を覚えずにはいられない。
 西洋古典劇を題材にしながら、アジア的伝統が溶け合い、新たな表現の可能性を示す場に立ち会うという幸せを感じた舞台であった。

 追記:「資本論」「オセロー」とオープニングの2作品を続けてみた興奮が今も身体のなかで息づいている。これだけでフェスティバル/トーキョーの成功を十分に予見させるではないかと気の早い老俳優は思うのだ。
 短期間に14作品を創り、次々と展開しなければならないスタッフは本当に大変だけれど、プログラム・ディレクターの相馬千秋さんをはじめ、それを支える制作陣の努力に心からの拍手を送りたい。

書棚を抜け出した資本論

2009-02-28 | 演劇
 《フェスティバル/トーキョー09春》のオープニング作品である、ドイツのアートプロジェクト・ユニット、リミニ・プロトコルによる「カール・マルクス:資本論、第一巻」を「にしすがも創造舎」で観た。
 作品紹介の詳細はフェスティバル/トーキョーのホームページに載っているので省略するとして、ここでは感想だけを簡単に書いておくことにする。

 リミニ・プロトコルの「ムネモ・パーク」を昨年の《東京国際芸術祭2008》で初めて観て、その素晴らしさに驚いたものだが、今回もその卓抜な視点、作品コンセプトと独特のユーモアのまぶし方に魅了されてしまった。
 リミニ・プロトコルの作品の特長は、何と言ってもプロの俳優が出演していないことで、舞台上で演じるのは、その作品のテーマに関して特別な知識や経験を持っている一般の人たちなのである。
 「ムネモ・パーク」では、鉄道模型マニアの老人たちが、舞台全面に設えた巨大なジオラマの間を走る鉄道模型について嬉々として説明し、自分の人生を語り、歌い、踊る。小型カメラや映像技術を駆使しながらスイスの山中を走る列車を老人たちとともに追ううちに、観客は出演者たちの人生をともに振り返りながら、まるで世界全体をも俯瞰して見ているような不思議な感覚に捉われる。私には、その老人たちが空の高みから人間世界を見下ろす天使たちのようにも思えたものだった。
 
 今回の「カール・マルクス:資本論、第一巻」は、文字どおり資本論というテキストそのものがテーマとなった舞台である。
 開演20分前の客入れとともに、客席に入った私たちは、舞台正面全体に造り込まれた巨大な書棚に鎮座して観客を見下ろす登場人物たちにまず驚かされる。この舞台美術を見た瞬間に私たちはその世界に引き込まれてしまうのだ。
 舞台上の人々は、元大学教授や経済史家、大学院生、経営コンサルタント、あるいは歴史家、映画作家、翻訳家、通訳、革命家、元ギャンブラーなどなど、いずれもその実人生においてマルクスの資本論と関わりのあった人たちである。
 その一人ひとりの人生や思想が、時代時代の出来事や映像、音楽とともに語られていくのだが、そのコラージュや編集のセンスがなんとも言えず魅力的だ。
 途中、書棚から引き出された文庫本サイズで3分冊の資本論が次々と観客全員に手渡される。出演者の指示によって、ページを繰り、マークされた箇所を読み解くという作業が観客に課せられる。
 現在の世界的な経済状況を予見したような言葉もあって客席からは「おー!」という感嘆の声も上がるが、いつの間にか、劇場全体が資本論というテキストに包み込まれてしまったような錯覚に捉われた瞬間でもあった。
 
 「新しいリアルへ」というのがフェスティバル全体を貫くコンセプトであるが、プロの俳優ではない人々が現実のこととして語る歴史や人生を通して、この舞台は、異なる視点から見つめ直した世界=新たな現実感を私たちに提示する。
 おそらくこの舞台を見たすべての人がそれぞれの感想を持つだろう。そうしてテキストは世界へと増殖していくのである。

 追記すると、今回のこの舞台では何人かの日本人が登場する。リミニ・プロトコルはフェスティバル参加にあたって日本バージョンを創ったということなのだろうが、そうした創造という作業がこのフェスティバルに組み込まれていることが本当に素晴らしい。
 スタッフの努力に敬意を表したい。

パラダイス一座を観る

2009-02-16 | 演劇
 下北沢本多劇場でパラダイス一座最終公演「続々オールド・バンチ~カルメン戦場に帰る」を観た。(作・山元清多、演出・流山児祥、音楽・林光、美術・妹尾河童)
 演劇界の最長老・92歳の戌井市郎を筆頭に、瓜生正美、中村哮夫、本多一夫、肝付兼太、岩淵達治(映像出演)、ふじたあさや、二瓶鮫一など、出演人の平均年齢が80歳にもなろうという、まさに後期高齢者軍団が、捨て身の傾(かぶ)き方で歌い、踊り、芝居する楽しくも痛切かつ痛烈な祝祭の場を創り上げた。

 確かにその表現は脂の乗り切った「時代の花」には程遠いかも知れないが、老いたるがゆえの「時分の花」「真の花」が舞台には見える。それは美しい花である。
 そして何より伝わるのだ。彼らの息遣いが。気持ちが。

 このパラダイス一座を企画し、演出した流山児祥は、「いつまでも演劇の原点である《運動》=出会いにこそこだわりたい」と書いているが、まさにそれぞれ活動のジャンルを超えて出会った表現者たちがその生き様を曝しながら演劇という「解放区」を現出させる場に立ち会うということは私たち観客にとっても一つの「事件」であるのに違いない。

 私は遅れてきたアングラ世代の俳優であり、ある種の固定観念に縛られて物事をよく見ようとしなかったという反省があるのだが、アングラが一種の《運動》である以上、そこには運動体相互のぶつかり合いや出会いがあったはずで、反作用もあれば融合や同調もあったであろうし、化学反応も拒否反応もあったのである。
 アングラであろうが、アンチ新劇であろうが、新劇そのものであろうが構わないが、そうした運動の中で様々な交流が行われ醸成されたものが時代を創っていったはずなのである。私はその点を見落としていたのではないか。
 パラダイス一座の舞台を観て、私はそのことを学び直さなければならないと思った。

 流山児祥が取り組もうとしているのは、そうした《運動》を意図的に引き起こす仕掛けであり、万人に伝えようとする熱いメッセージであり、ダイナミズムなのだ。
 60歳を超えたわが師匠、《運動》する流山児祥からいま目が離せない。

遮那王と弁慶

2009-02-08 | 演劇
 パラノイアエイジの公演「義経記異聞―遮那王と弁慶」を観た。すでに先月末のことであるが記録しておきたい。何せ、私はこの集団の座友に名を連ねているのだ。すでに舞台裏に隠棲して何年も経った身ではあるのだけれど・・・。
 作品は司馬遼太郎の原作「義経」を佐藤伸之が脚色・演出、義経は女だったという設定で物語を再構築し、美しい舞台を作り上げた。新宿モリエールにて1月28日から2月1日まで上演。

 思えば「勧進帳」である。面白くないわけがない。義経と弁慶をめぐる物語には日本人の心を熱くする要素がごった煮のように詰め込まれている。
 「勧進帳」は歌舞伎十八番の人気投票でも常にトップを争う人気演目である。
 今回の舞台でも、勧進帳読み上げ、富樫との山伏問答、義経と弁慶の主従の絆など、見所は外さずに盛り込まれている。
 古典には珍しいともいえる心理描写の見せ所が満載の作品でもあるのだが、佐藤氏の演出はそうした心理の掘り下げに拘泥しない。むしろ、一筆書きのようなスピード感で場面を次から次へと展開する。

 以前は、こうした演出手法について、場の掘り下げや劇の掘り下げが足りないのではないかと不満に思わないでもなかった。しかし今回は違った感想を持った、というか気がついたのだ。下手な心理描写などと現代的視点に囚われない、歴史的時間軸を駆け抜けるドラマトゥルギーの中にこそ美はひそんでいる。
 パラノイアエイジの舞台はあたかも絵巻物を繰り広げるように展開し、歴史のなかに「疾走する悲しみ」を表現することで、私たち観客の心を震わせるのだ。私は観客として、途中3回は涙に胸を熱くした。
 もう一つの美質は殺陣のシーンに顕われる。佐藤氏はあんなにまん丸な身体で舞踊のような美しさで殺陣を操り、集団を統率する。これは特筆すべき才能なのだ。狭い舞台に兵士たちが入り乱れるなか、長刀を華麗にふるう弁慶の舞は必見である。
 コアな劇団員と若い客演陣の演技力の差が目立つほどに集団の力は際立って感じるが、舞台は総合力で評価される。この落差はアンバランスでもある。これからの大きな課題だろう。
 北条政子を演じた秋葉千鶴子さんは静謐な深みと凄みをもった悪女という新境地を見せた。思わず彼女と一緒にマクベスを演じたいと感じたほどである。

 さて、今回の眼目は義経が女である、ということなのだが、そのことの意味については十全に表現しきれていないようにも感じた。
 弁慶の遮那王への純粋な愛情は、別に彼女が「彼」であったとしても同様に描かれたであろう、と思うのだ。この主従の関係はそうしたものだからだ。
 佐藤氏は倫理性の高い演出家だから性愛を想起させる描写は極力排除しているが、例の疑いを晴らすために金剛杖で遮那王を打ち据える有名なシーンなど、ほとんど私の妄想だけれど、相当に淫靡な被虐と加虐、愛憎のねじれた美の極致と映る。
 純粋なだけでなく、一筋縄ではいかない愛の表現があの場には潜んでいたはずなのだ。
 また、女であればこそ、兄頼朝との関係も違って見えたはずだし、政子が彼女に抱く感情もまた嫉妬という衣をまとい、異なる展開を見せたかも知れないとも思う。

 この設定にはそんな深層心理をくすぐる仕掛けがあるように感じるのだが、そんな妄想もケレンも振り払い、物語は劇的時間をひたすらに疾駆する。

理性の策略と鉄球

2009-01-11 | 演劇
 「ウルリーケ メアリー スチュアート」(エルフリーデ・イェリネク/作、川村毅/台本・演出)を観た。出演は大沼百合子、濱崎茜、石村みか、植野葉子、小林勝也(手塚とおるとダブルキャスト)ほか。公演は1月10日まで。
 ベニサン・ピットという数々の名舞台を生みだしてきた劇場でのTPTの最終公演である。
 
 エルフリーデ・イェリネク(2004年度ノーベル賞受賞)の作品「ウルリーケ・メアリー・スチュアート」は、シラーの悲劇「メアリー・スチュアート」でのスコットランド女王メアリー・スチュアートvsイギリス女王エリザベスⅠ世という構図が、ドイツ赤軍派の主要メンバー、ウルリーケ・マインホーフvsグードルン・エンスリーンという構図に重ね合わされたもの。
 川村毅の創り出した舞台は、この原作を援用あるいは換骨奪胎しながら、日本の連合赤軍による1971年から翌年にかけての「山岳ベース事件」や「あさま山荘事件」を絡めて再構成したものだ。
 これらの陰惨な事件については、おそらく40歳台半ば以上の人であれば、それぞれの立場で感想や意見は異なるにせよ、強烈かつ痛切な記憶を刻み込んだ事件であるに違いない。

 この舞台で川村毅が目論んだのは、この極めて特異な事件に対する多様な視点の導入と徹底的な客観化の試みだと私は読んだ。
 読んだ、と言うのは誤読ということをあらかじめ自認してのことであるが、そうしないと芝居の文脈が読み取れないという意味でもある。理解できないのだ。
 「山岳ベース事件」の再現と思われるシーンで、女兵士が自ら総括することを求められ、自分自身を殴打する、あるいは回りの兵士が総括補助する。その演技の児戯めいた迫力のなさ、リアリティの欠如は演出上の処置なのか。もちろんそんなことはないはずなのだが、結果としてそう見えることが逆にこの事件に対する批評性を獲得していると見えなくはない、ということが私にはむしろ面白かったのだ。
 舞台上で提示されるリアリティとは何だろう、ということに私はいつも思い悩んでいるのだけれど、まともに演じてしまうことで失われる現実感というのが確かにあって、殺人シーンやセックス、殴り合いの場面など、真実の行為ではないという諒解のもとに目の前でいくら大真面目に演技されたところで、それはただ白けるばかりの話なのだ。
 そのうえであえて白日の下に晒すかのように置かれたこのシーンは、歴史のなかで蠢く人間の卑小さを露わにしてやまない。

 その意味では、別のシーンで元赤軍の人間や映画監督を模した登場人物がパネルディスカッションする場面では、バラエティ仕立てでルーシー・ショーまがいの観客の笑い声まで入れながら徹底的に彼らの発言を矮小化する仕掛けが用いられている。

 こうした仕掛けを幾重にも導入することで、川村毅はヘーゲルの「個人は、一般理念のための犠牲者となる。理念は、存在税や変化税を支払うのに自分の財布から支払うのではなく、個人の情熱をもって支払いにあてる」(歴史哲学講義)という、理性の狡知あるいは策略を端的に焙り出そうとしたのかも知れない。

 最後、あさま山荘を破砕したとおぼしき鉄球が、舞台の中空に現れる。それは舞台の空気を切り裂き、それまで構築された劇世界ばかりか劇場をも破壊し、ご破算にするような禍禍しいばかりの実在感をもって揺れ動く。
 その鉄球を操っているのが、小林勝也演じるホームレスだったのか、あるいは「ヒロヒト」だったのか、私はもう覚えていない。

「シャケと軍手」と魚服記

2008-11-25 | 演劇
 新転位・21の公演「シャケと軍手―秋田児童連続殺害事件―」を中野光座で観た。作・演出:山崎哲、出演:石川真希、佐野史朗、飴屋法水、杉祐三、おかのみか他劇団員のほか、元・状況劇場の十貫寺梅軒が客演している。(11月18日から28日まで)
 正直言って、私はこの劇団の決してよい観客ではない。旧転位・21の旗揚げから観ていながら、その素晴らしさを見抜くことができなかったし、新転位になってからはまだ数本しか観ていないのだ。とは言え、4年前に同じ光座で観た「齧る女」は今も記憶にはっきり残る傑作だと断言できる。口当たりのいい芝居ばかりに観客の集まる風潮の演劇界に楔を打ち込むような存在感を新転位・21は持っているのだ。私があまり熱心な観客でないのは、単にこちらが歳を取りすぎて体力的に敵わないと思わせるほどのパワーをこの劇団の舞台が放っているからに違いない。
 今回の「シャケと軍手」もまた、期待に違わぬ衝撃をもって迫る舞台だった。休憩なしの2時間半と聞いて、思わず腰が引けてしまったけれど、窮屈な元映画館の底冷えする座椅子に座って、ゆるむことのない劇的緊張に私は心地よく身をゆだねた。
 話は言うまでもなく、秋田の同じ小学校に通う4年生の畠山彩香ちゃんと米山豪憲くんが相次いで行方不明になり、遺体で発見されたのち、彩香ちゃんの母親の鈴香容疑者が逮捕されたあの事件である。
 山崎哲はこの事件にフィクションを持ち込みながら巧みに神話化することに成功している。その成功の大きな要因となっているのが、彩香ちゃんが好きでよく読み聞かせてもらっていたという設定で語られる太宰治の「魚服記」である。この物語を飴屋法水演じるスズカの弟ユウがアヤカに読み聞かせてやるシーンはこの舞台の白眉だ。(飴屋は自在な演技で独特の存在感を発揮していた)
 「・・・スワは起きあがって肩であらく息をしながら、むしむし歩き出した。着物が烈風で揉みくちゃにされていた。どこまでも歩いた。
 滝の音がだんだんと大きく聞こえてきた。ずんずん歩いた。てのひらで水洟を何度も拭った。ほとんど足の真下で滝の音がした。
 狂い唸る冬木立の、細いすきまから、
 『おど!』
 とひくく言って飛び込んだ。・・・」
 陰惨極まりない事件ではあるけれど、芝居には救いがある。舞台がアヤカちゃんたちへの鎮魂の祈りに充ちていると思うからである。
 
 また、スズカが語る印象的な話が記憶に残る。それはスズカの子供時代の話で、ぐずったか何かで、父親にダンボール箱の中に閉じ込められたスズカを可哀想だと、母親が箱にすがり付くようにして抱きしめる。その光景を箱の中にいるはずのスズカが、母親の肩越しにじっと見ていたというのだ。
 分裂的な解離性の人格障害を想起させる話には違いないのだが、これを聞いていて、先日観たピランデルロの「山の巨人たち」の中で魔術師コトローネの別荘にやって来た旅の一座の役者達が体験する夢のことを思い出した。これはもしかしたら役者というものが共通に抱える病理なのではないだろうか。たしかに役者は一歩間違えば何をしでかすか分からないところがないとはいえず、それを演技として意識化することでかろうじて正気を保っていられるに過ぎないのかも知れないのだ。
 話が逸れてしまったが、スズカ被告の言動には、あるべき自分とこうありたい自分の境界が曖昧になり、混濁したことで生じるワカラナサ・コワサがあるように思えて仕方がない。それは単にクスリのせいだろうか。別の自分=存在でいたいと希求する切なるココロの叫びがもたらした自己分裂のためだろうか。

 それはそうと私は秋田訛りというものをよく知らないのだが、太宰の小説を使ったせいだろうか、登場者たちの言葉が津軽訛りになっていたような気がする。芝居の中で唐突に寺山修司の話が引用されたりすることからも、これは意図的な演出なのかとも思うのだが、本当のところは分からない。

山の巨人は現れたか

2008-11-16 | 演劇
 ジョルジュ・ラヴォ-ダン演出の舞台、「山の巨人たち」を観た。イタリアのノーベル賞作家ルイジ・ピランデルロの遺作にして未完の戯曲の舞台化である。出演は平幹二朗、麻実れい、手塚とおる、田中美里、綾田俊樹、田根楽子、大鷹明良他。新国立劇場で10月23日から11月9日まで上演。
 世間から隔絶した山間の別荘「ラ・スカローニャ(不運)」で隠遁生活を送る魔術師コトローネのもとに、伯爵夫人と名乗る女優イルセを中心とした旅の一座がやって来る。彼らは世間の観客に見放され、興行に失敗して落魄した劇団員たちである。
 その夜、彼らは別荘に宿を借り、夢の中に引きずり込まれて幻想的な体験をする。
 コトローネは、「山の巨人」と呼ばれる二家族の結婚式の余興に彼らの芝居「取り替えられた息子の物語」を演じることを提案するのだが・・・。
 最終幕が未完のままということもあって難解な芝居という印象は拭えないが、それだけに実に多様な読み方、誤読、錯覚を私たちに許してくれているようにも思える。
 言うまでもなくこれは、演劇のための演劇なのだが、卓抜な観客論でもある、というように私には思える。役者にとって、これは切実な芝居なのだ。
 舞台上に架かる、途中で切れて切断面が剥き出しになった巨大な橋のセットの上で役者達は演劇論を戦わせる。舞台奥から弧を描いて観客席に向かって傾斜する橋は、その上で演じる役者が一歩バランスを失えば転げ落ちかねない危うさを表わし、その切断面は、そこから先には行くことのできない彼らの運命を暗示しているようだ。どこにも行き場がないとなれば、彼らは、私たちは、そこで死ぬまで演じ続けるしかないのだ。
 コトローネは、世間から見放された劇団員たちを幻想の魔術で癒し、導く演劇の守護者であり、最後まで姿を現わすことのない「山の巨人」とは、神のごとき「唯一の観客」の謂いであるというのはあまりに単純な読みだろうか。

 冒頭近く、橋の向こうから劇団員たちが姿を現わすシーンは実に印象的だ。その佇まいは、テオ・アンゲロプロスの映画に出てくる旅芸人たちを彷彿させる。舞台にはたくさんの役者が登場するけれど、その配置の妙に私はわくわくした。様々の立ち位置で、ただ立っている役者たちの姿がこれほど美しい舞台を久々に観た気がする。
 平幹二朗は、年齢を感じさせない、美しく伸びやかな鍛えられた声と姿で巨大な存在感を示し、麻実れいは、ベニサン・ピットのような小さな空間とはまるで異なる大ステージで、彼女ならではの稀有な輝きを存分に表現していた。
 また、舞台では、楽器演奏や歌唱、ダンス、仮面劇、人形劇が取り込まれ、繰り広げられるのだが、多くの観客が「シルク・ド・ソレイユ」を観てしまった今となってはいささか控えめな印象を受けたのではないかと思う。個人的な趣味を言えば、もっとふんだんにサーカスの要素を取り入れた、フェリーニ的世界が展開されてもよかったのになあ、と思ったりもする。

 この芝居は観客論だと先ほど言ったのだけれど、コトローネの台詞に「芝居は観客に理解されない」という言葉がある。これは作者ピランデルロの真意だろうか。
 これが書かれた時代背景から、「山の巨人」はファシズムの台頭を暗示したものという説もあるようだけれど、確かにヒトラーは映画やオリンピックを通じてドイツ民族の優位性を世界に知らしめようとした。文化政策は彼の道具だったのだ。そこから類推して、「観客に理解されない芝居」とは、作者による抵抗を暗喩したものと言えるのではないかとも思えるのだが、どうだろう。

醒めた眼の「瀕死の王」

2008-10-24 | 演劇
 10月3日に東池袋の「あうるすぽっと」(豊島区立舞台芸術交流センター)でウジェーヌ・イヨネスコ作、佐藤信演出の「瀕死の王」を観た。
 これについては東京芸術劇場名誉館長の小田島雄志氏による申し分なく目配りの利いた劇評が18日付けの読売新聞夕刊に載っている。それ以上なにも言うことはないとも思えるが、観客としての感想を一つ。
 主人公の王たるベランジェ1世(柄本明)は、2つの価値観によって引き裂かれた存在であり、その狭間で瀕死の時を迎えようとしている。何百年の時間を生き延び、長大な時間と国家を支配しながら、縮みゆく国家を持て余しつつ、老いの中で死への恐怖におののいている。二人の妻、第1王妃(佐藤オリエ)と第2王妃(高田聖子)もまた冷たく残酷なリアリズムと愚かしく無邪気なファンタジーによって王を引き裂こうとする。
 医者役の斎藤歩、衛兵の谷川昭一朗も含め、これら力量のある役者陣によってその作品世界は明確に構築されていたが、なかでも柄本明の存在感は圧倒的である。彼の演技態そのものが、演ずる自分自身を冷徹に見つめる醒めた眼差しと身体の深奥から発散される狂気によって支えられていると思え、その振幅の中で描き出される王の造形は比類のないリアリティを獲得している。
 もっとも私自身の好みで言えば、全体としてこの舞台をよりスラップスティックな色付けで不条理性をもう少し際立たせたいという感想を持つ。では日本人俳優が演じるスラップスティックとはどういうものなのかと問われれば答える術もないのだが。

 この舞台で特筆すべきは、照明デザインの美しさである。ほとんど裸舞台といってよい空間に置かれた舞台装置や道具、役者個々の存在感をくっきりと浮かび上がらせながら、主人公たる王が支配し、妄想と混濁した意識の中で見失っていく「世界」を明確な輪郭のもとに描き出すのに大きな力を持つものだった。
 とりわけ、終幕近く、舞台上に吊り下げられていた丸い大時計がゆっくりと引き上げられていったその後にぽっかりと口をあけた闇の深さは、王の人生や王国の歴史が刻んできた時間の空虚さを私たちに突きつける。

 余談であるが、この劇場の舞台は、通常プロセニアム形式でありながら、その額縁部分を取り外すと、固定席ながらいわゆるオープン形式に近い舞台にすることができる造りとなっている。
 今回の「瀕死の王」はこのオープン形式を生かした演出によって、この劇場の新しい魅力を観客に示し得たのではないかと思う。見慣れた空間が、さまざまな演出によって、まったく違った顔を見せるという発見は、芝居を観るうえでの一つの楽しみである。
 これからも「あうるすぽっと」の制作者の皆さんには野心的な舞台づくりに挑み続けてもらいたいと思う。

にしすがも少年探偵団

2008-10-24 | 演劇
 先日、「にしすがも創造舎」での観劇について書いたので、すでに2ヶ月も前のことなのだけれど、同じ特設劇場で観た江戸川乱歩・原作、倉迫康史・構成演出作品「少年探偵団 怪人二十面相を追え!!」(8月20日~26日、制作:NPO法人アートネットワーク・ジャパン)についても少しばかり感想を書いておきたい。
 フランスの演出家ジョルジュ・ラヴォーダンの言葉ではないが、まさに「演劇の難しさは保存できないこと」にあるのだ。たとえ断片であれ、演劇作品について観客の側から記憶を留めようとする行為にもそれなりの意味はあるだろうと思う。
 さて、今回の舞台は、夏休み期間中の8月いっぱい、「にしすがも創造舎」(旧朝日中学校)の校舎・体育館の全部を使って展開された「にしすがもアート夏まつり‘08『江戸川乱歩とにしすがも少年探偵団』」の一環として上演された演劇公演で、昨年の「オズの魔法使い」に引き続き、「子どもに見せたい舞台シリーズ第2弾」として制作された作品である。
 私は短期間に2回も観に行ったくらいだから、この舞台にとても愛着を感じたのだが、問題は、来場した子どもたちの何割くらいが少年探偵団や怪人二十面相のことを知っていたかということである。ちなみに初日に私と同行した仕事仲間の20歳代の連中はそのいずれも知らないとのことであった。(隔世の感!)明智小五郎といえば、有名なのは天知茂だなあ、「黒蜥蜴」の初演はたしか芥川比呂志がやったよねえ、などと言ってかえって皆から無視される羽目になってしまった。
 そうした状況で、この舞台は子どもたちに何を見せようとしたのか、何を見せたかったのか。
 ちなみに、「子どもに見せたい舞台」というコンセプトは、どうも大人の視点からの押し付けのような気がしてならないのだが、これはまた別の問題である。
 冒頭、ウサギならぬ小林少年の後を追ってウサギ穴に落ちた子どもたちがレトロな昭和の東京・池袋、立教大学近くにある乱歩邸の幻影城と呼ばれた土蔵の前にワープして・・・、という具合に「不思議の国のアリス」のパロディで芝居は始まり、怪人二十面相と明智小五郎、そして少年探偵団による知恵くらべと追いかけっこの物語が展開する・・・。
 はじめ、私が勝手に期待したのは、子どもの頃、夢中になって読んだ「少年探偵団」やテレビドラマの「怪人二十面相」を見て感じたであろうワクワク感である。なぜ、当時の子どもたちはあんなにも夢中になったのか。その秘密が解き明かせるかと思ったのだが、それを創り手たちはどのように分析していたのだろう、聞いてみたい気がする。
 多分それは、自分ではない何ものかへの変身願望の体現であり、犯罪という秘儀へのあこがれや宝飾と虚飾に彩られた豊かさへの復讐であり、少年探偵団に選ばれし者の恍惚と不安への密やかな嫉妬のようなものであったのかも知れない。
今回の私にとっての新発見は、怪人二十面相と明智小五郎という二人の人格あるいは存在そのものが、裏返しの自己同一性を内包しているということであった。そんなこと当たり前といわれるかも知れないのだが、そんな発見に内心ニヤニヤ、ワクワクしていたのである。
 犯罪者を追うものが最も犯罪に魅せられている。二人は同じ夢を見る裏返しの仮面を被った暗夜の道化師なのである。
 このことは、途中、舞台中央の階段を降りてくる明智と、下から上がって行く怪人二十面相がスローモーションですれ違いざまにお互いを振り返るというシーンに象徴的に表れている。二人は鏡を間にそれぞれ自分を見つめているようにも見えるのだが、二十面相の顔は仮面に覆われており、それはまさに明智自身の自己投影された姿にほかならないのだと思える。だからこそ明智の妻である文代さんは、同時に二人を憎みながら愛したのではないだろうか。
 今回の舞台は、低予算のなか、制作者の方たちが苦労したことは十分想像できるが、その舞台美術、照明、音響、もちろん子役をはじめとする演技陣も含めて、いずれも舞台づくりへの強い思いと愛情によって支えられ、大きな成果を上げた作品だったと評価できる。

西巣鴨でロミオとジュリエットを観る

2008-10-20 | 演劇
 10月16日、豊島区西巣鴨にある「にしすがも創造舎」特設劇場で10日から19日まで上演された劇団山の手事情社の公演、安田雅弘構成・演出作品「YAMANOTE ROMEOandJULIET」を観る。
 にしすがも創造舎は廃校になった中学校を転用して演劇の稽古場や各種ワークショップの場、子どもたちがアートにじかに触れる場、創造発信のための芸術拠点として活用されている施設である。この施設のことについてはまた改めて別稿として書いてみたい。
 さて、旧中学校の体育館を改造した特設劇場での公演は、自由度の高い空間がどのように生まれ変わるのかと毎回楽しみなのだが、今回の舞台は演劇を創造することや表現することの楽しさ、醍醐味に溢れたもので、それらを観客として存分に味わうことができた作品であった。
 役者たちも劇団ならではの統一された演技態のなかで楽しんでいることが伝わってきたし、ラスト近くのシーンの美しさは出色のものだったと思う。心に残る舞台である。
 芝居は3本立ての構成となっており、原作を独断と偏見をまじえ、一人の俳優が、他の俳優たちを道具に語る1本目の「抄本 ロミオとジュリエット」、原作をヒントに発展させた4つのシーンを各ブースに分け、美術館を巡るように観客がそれを観て歩く形式の2本目「妄想 ロミオとジュリエット」、セリフを生かしつつ「恋愛の誕生から消滅まで」をテーマに、原作とはちがった流れで「詩的」に再構成した3本目の「印象 ロミオとジュリエット」、これらの舞台を私たちは劇場内を漂流しながら鑑賞し、体感するのである。
 実は2本目の妄想篇がどういう位置づけのものなのか、観た直後は自分の中で整理ができなかったのだが、一晩経って、あのブースが実は旅芝居の一座の街頭での舞台のように思えてから、そうだったのかと腑に落ちた気がした。シェイクスピアの時代の芝居を当時の民衆はあんなふうに観たのではなかろうか。
 殊に、ブースの一つ、「ジュリエットの墓」は秀逸で、中に水をたたえたビニール袋に包まれたジュリエットの墓に次々と詣でる親族たちとジュリエットの様子がナンセンスな笑いの中で描かれる。まさに3本目の印象篇に直接つながるものであるとともに、滑稽なものがシリアスな静謐に転調する驚きを私たちに与えてくれる卓抜な伏線である。
 そのビニール袋のアイデアはつくづく素晴らしいと思わせられたのだが、人は死んだらゴミになるという即物性を感じさせつつ、視覚的に実に美しいというそのパラドックスの痛快さは記憶に残るものだ。
 印象篇は求愛のエネルギー、あるいは人を突き動かす欲望のエネルギーというものが荒唐無稽なばかばかしい演技によって相対化され、その究極に死があるということの不条理さを感じさせて終わる。
 この印象篇の冒頭、切り刻んだフィルムをばらばらにつなげたような映画的シーンが断続するのだが、にも関わらずこれが「ロミオとジュリエット」の物語であることを観客が感得するとはどういうことなのかと考えさせられた。
 ことほどさように強力なシェイクスピアの物語の力を無化させるべく役者陣は奮闘し、そうして解体した物語の再構築によって舞台は新たな美を獲得していく、その過程を私たち観客は凝視し続けることで次第に心を癒されていくのである。
 舞台美術の美しさ、衣装のデザインも含め、劇団ならではのまとまりを見せつけた好舞台だった。