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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

こんな芝居を観た

2011-06-25 | 演劇
 6月11日、銀座8丁目の博品館劇場で私の知人・友人である伊藤貴子、長縄龍郎、花風みらいの3人が出演している舞台「天切り松闇がたり~衣紋坂から」を観た。原作:浅田次郎、なぎプロ・草薙良一プロデュース公演。
 原作の人気シリーズの第1巻所収の作品のいくつかをつなぎ合わせた内容で、原作のエッセンスをうまく台本にまとめて舞台化した作品と言えなくはないが、正直に言って、どうにも底が浅く見えて仕方がない。
 こういうお芝居が好きな方はいるだろうし、事実、前列のおばちゃんたちはもちろん(この私まで!)涙を流して観ていたのだが、浅田次郎の原作に溢れる今の時代へのアンチテーゼであったり、権力を振りかざすものへの言いようのない怒りであったりというものが何とも希薄に思えるのだ。
 それに、目細の安吉親分をはじめとする一家の面々が矮小化されて描かれているように思えるのもつらい。
 私の友人たちが3人とも脇ながらしっかりと存在感を出していたのが救いと言えば言えるのだが、商業演劇でもなく小劇場演劇でもない中途半端さのなか、恐らくは稽古時間も不十分だったのだろうなという裏の事情ばかりが透けて、舞台に立つことの動機を欠いていたように見えたのは、果たして私の目が曇っていたのか・・・。

 6月17日、東池袋の劇場「あうるすぽっと」で「NOISES OFFノイゼス オフ」を観た。 作:マイケル・フレイン、翻訳:小田島恒志、演出:千葉哲也。
 これは紛れもない傑作舞台である、と言ってしまっても良いだろう。これぞ演劇、これぞコメディ、という素晴らしい舞台だった。
 作品は、1982年に書かれたシチュエーション・コメディー。作者マイケル・フレインが書いた別の喜劇を、彼自身が舞台袖から見ていた際、客席から舞台を観るより、舞台裏から観た方がより面白いと感じたことがきっかけで作られたという。
 1幕と2幕では舞台セットが反転し、舞台の表と裏における役者たちの姿を観客は覗き見ることになる。
 場面は時間軸としては大きく3つに分かれていて、「NOTHING ON何事もなし」という芝居の本番初日を控えた舞台稽古の一日、それから1カ月を経た地方公演のある日、さらに2カ月後の千秋楽という時の流れのなかで変貌する俳優たちの姿がコミカルなうえにも残酷に描かれる。
 役者というものは、たとえ裏ではどれほどいがみ合ったり、三角関係にあったり、破局したりといろいろ込み合った人間関係にあろうと、舞台上にはそれをおくびにも出さないよう取り繕うものだが、この芝居の見どころは、それがちょっとしたきっかけでその暗黙のルールが破れてしまい、裏の顔が次第に表の顔に取って代わってしまうというそのプロセスにあるといえるかも知れない。その壊れようはまさに世界の屋台骨が崩れたかと思えるほどの衝撃なのだが、それを観客はもう笑って観ることしかできないのである。
 私はこれを観ながら、今の政権のごたごたをしきりに思い起こしていたのだが、この芝居には確かにそんな批評性もあるのに違いない。
 出演する俳優には、体力をはじめ神経的にも相当過酷を強いる芝居だが、それを補うだけの稽古の時間の積み重ねがあったはずと思えて何とも羨ましい舞台なのでもあった。
 ケネス・ブラナーがかつて監督した映画「世にも憂鬱なハムレットたち」について語った「俳優とは、誰もが感じている自己妄想を強調した実例であるということがどんなに面白いかということをこの映画は描いている」という言葉を思い出す。

 6月21日、王子小劇場にて、ひげ太夫の第31回公演「崑崙クジャク」を観た。
 「天切り松闇がたり」に出ていた伊藤貴子ちゃんがあれから1週間ほど過ぎたばかりでもうこちらの舞台に出ている。今の私にはもうとても望み得ないバイタリティだ。これまた羨ましい。
 ところで、お馴染みのひげ太夫は今回もいつものパターンで暴れまくる・・・のだが、今回はいささか元気がないようにも感じられたのは何故なのか。
 黄金の公式とも思えたこのワンパターンも、震災後の疲れた眼には退屈にしか映らない。
 この手法は両刃の剣なのだと気づかされる。
 私は、この劇団の主宰で作・演出の吉村やよひさんの大ファンなのではあるけれど、作者あるいは演出家の世界観に他の役者たちが奉仕するだけの舞台、と感じた瞬間にその芝居の魅力はたちまち色褪せてしまう。
 それはわが身を振り返って、まさに自分自身の胸先に突きつけられた剣なのでもある。


演劇を語ること

2011-05-24 | 演劇
 5月18日と19日の日本経済新聞夕刊に、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、宮城聰という2人の演劇人のインタビューが続けて掲載されていた。
 誤解を怖れずに言うならば、端的に、震災後2カ月経ってようやくそれぞれの表現領域に立脚したアーティストらしい発言が出てきたという感想を持った。
 何かのためにする芸術というもの、被災者の人々を元気づけ、あるいはその傷ついた心を癒やそうという芸術のあり方は素晴らしいし、そういった要素を芸術は本来的に持っているのだから、そうしたあり様は十分に尊重され、活用されなければならないと思うけれど、その一方で、アートが有する別の側面があまりに捨象されているのではないかとの危惧を感じていたのだ。

 ケラリーノ・サンドロヴィッチは、原発問題に潜む不条理劇的構造に言及し、我々が日に日にカフカの登場人物のような状況に追い込まれているようだと語る。
 今回の震災から原発問題まで、実に様々な人が様々な立場で情報を流し、あるいは論評し、あるいは批判し、ときに謝罪し、とめどもなく言葉を発し続けているのだが、それがいかほどに真実であり、言葉が言葉通りの意味を持っているのかどうか分からない状況のなかで不安ばかりが増幅されている。
 それは芝居で描かれる世界以上に不条理化してしまっている現実の表われにほかならないのだろう。

 一方、宮城聰は、震災後、人々の思考が狭まっていくなかで、演劇の役割は観客が自分の頭で考え、心身を外に開いていく場を提供することだと規定する。
 そのうえで、「最もうち捨てられている人に詩が降りてきて、みずみずしい言葉に変わらないか。俳優が一番弱い存在として舞台に立ちうるか」と自らに問いかける。

 3・11から2か月余りの時間のなかで、私たちはこれまでに経験したことのない価値観の変換や喪失、根本的なものの見方の転換を否応なく受け入れるべく迫られている。
 そうした現実を様々な視点から誠実かつ冷徹に見つめることこそがアートの持つ、大きな役割の一つであるはずだ。
 その先に見えてくるはずの希望というものを、私は信じたいと思う。

浮世と歌謡/演劇の夢

2011-03-12 | 演劇
 3月10日、Space早稲田にて流山児★事務所レパートリーシアター2011「夢謡話浮世根問」を観た。作:北村想、演出:小林七緒。
 流山児祥と北村想の二人芝居である。去年の5月から演出家と二人の俳優の三人で台本作りを始め、長い時間をかけて創り上げた舞台とのことだが、その3分の2だけが台本に書かれ、3分の1は即興芝居というスリリングなものだ。
 二人の絶妙の間合いや演戯=文字どおりの戯れもあって、どこまでが台本どおりの芝居でどこからが即興なのか分からない面白い仕上がりだった。
 もっともこの面白さは、二人の役者をよく知っている、あるいはファンである観客にとっての面白さであって、まったく予備情報なしにこれを観た人が同様の面白さを感じてくれたかどうかは正直なところ、ワカラナイ。

 それにしても、今回、北村想という役者の“味”というのか、うまさを認識したのは収穫だった。劇作家あるいは演出家としての彼のことはもちろん知っていたのだったが、役者としての北村想を観るのは実は今回が初めてだったのだ。
 流山児祥の猛烈な突っ込みやボケを絶妙の間合いで受け、はぐらかしたかと思えばそれ以上のボケぶりで煙に巻く、かと思えば今度は意外なほどの歌唱力で渋いこぶしを利かせた歌声を聞かせるのだ。
 人前で演技するなんて恥ずかしくてカナワンヨとでも言いたげな困ったような表情がなんともカワユク魅力的だった。

 さて、その北村想がパンフレットに「観客論」とでもいうべき文章を書いている。
 それを叱られることを恐れず思い切り簡略にまとめてしまえば次のようなことになるだろう。

 「……我々は小劇場演劇を製作するのにギリギリ予算を切り詰め、ノーギャラで、場合によっては持ち出しまでして創るがわにいる。仮に300万円で1本創ったとすれば、赤字を避けるためには3000円の有料チケットで1000人を動員しなければならない。
 ここでわれわれは観客をどうしても「消費者」として扱わなければならない下部構造に出くわすことになる。
 つまり、消費者たる一人の観客は3000円を支払って300万円のホンモノの表現と対応していることになる。
 だが、おそらく私たちは表現者として、必ずしも観客を「消費者」というカテゴリーで対象化しているわけではないのだ。
 では、私たちは、観客のナニと等価に自分たちの表現を営為すればよいのか……。」

 これは、商業的に成り立たない、すなわち生産効率の極めて悪い小劇場演劇なるものにかかずらわっているワレワレ自身に突き付けた問いなのである。
 そのことを私も考えなければならない。
 単なる製造者と消費者の関係性に収斂され尽くさない何か、「表現者」と「観客」の間でだけ成立するような黙契=価値とでもいうべきものがそこには秘められているはずなのだ。
 それをこそ私たちは希求したいと願う。


チェーホフ?!/黒衣の僧

2011-03-12 | 演劇
 舞台芸術のような、その瞬間に消えてしまうものに多くの人が魅了されるのはなぜだろう。その淡雪のように消えてしまった舞台の記憶や観ていた時に心の中に想起する様々な思い=感情のようなものが、それから何年も経ってから突然心の中に甦ってくるという経験は誰にもあるのではないだろうか。

 もう1か月も前、2月13日(日)に観た東京芸術劇場プロデュース:チェーホフ生誕150周年記念の公演「チェーホフ?!~哀しいテーマに関する滑稽な論考」は、そんなことを改めて考えるきっかけを与えてくれた舞台だった。
 作・演出:タニノクロウ、ドラマトゥルク:鴻英良、出演:篠井英介、毬谷友子、手塚とおる、蘭妖子、マメ山田ほか。
 チェーホフの作品「曠野」「簡約人体解剖学」「黒衣の僧」「第六病棟」「かもめ」「グーセフ」といった作品群の中からそのエッセンスを取り出し、新たに組み立て直した、というより、まったく別の作品として創りだしたような舞台である。
 これがチェーホフ?!と言われるとたしかに首を捻りたくなる作品でもある。
 パンフレットの中で毬谷友子が「『桜の園』や『かもめ』を期待していらっしゃったお客様、ごめんなさい。実は、私も最初、期待してました(笑)。」と書いていたけれど、同じ思いをした観客も大勢いたことだろう。

 元・精神科医のタニノクロウは、チェーホフの未完の博士論文「ロシアにおける医事の歴史」のための草稿にインスパイアされたそうなのだが、その文章はまるでチェーホフの作品世界の原型のようだ、と鴻英良氏が紹介している。
 私は無論のことその草稿を読んではいないのだけれど、そうした医学研究の過程で知り得た魔女や芸人たちの秘事ともいうべき医療行為が様々に変容しながらのちのチェーホフ作品に反映され、結晶していったことを想像すること自体、きわめて興味深い物語のようにも思われる。

 一つのアイデア、着想、夢や妄想、幻想がどのように伝播し、相互に影響し合い、形を変えながら新たな物語や映像を脳裏に映し出すのか。
 私たちの芸術=私の見ているこの世界はいかなるものから創られているのか。

 チェーホフの小説「黒衣の僧」のなかで、疲労困憊して神経を痛めた主人公コーヴリンがある伝説を語る場面がある。

 「千年も昔、黒い衣を着た一人の修道僧が、シリアかアラビアの砂漠を歩いていた……。ところがその修道僧の歩いていたところから数マイル離れたところで、もう一人の黒い衣の修道僧が湖をゆっくりと渡っていくのを漁師たちが見かけたのだ。
 このあとのほうの修道僧は蜃気楼だったのだ。その蜃気楼からもう一つの蜃気楼が生まれ、それからさらにもう一つ生まれて、こうしてこの黒い修道僧の姿が一つの大気層から別の大気層へと限りなく伝わって行った。
 それはアフリカでも見えたし、スペインでも、インドでも、北極圏でも見えた……。
 とうとうそれは大気圏外へ出て、今では全宇宙をさまよって、どうしても消えるべき条件に恵まれない。きっと今ごろは、火星か南十字星あたりでも見えるかも知れない。
 けれど、この伝説の肝心要のところは、修道僧が砂漠を歩いていたときからちょうど千年後に、蜃気楼がもう一度大気圏内へ戻って、人の目に映るという点なのである。
 ……けれども何より不思議なのは、この伝説がどこから自分の頭に入りこんだのか、どうしても思い出せないことだ。何かで読んだのか、人から聞いたのか。それとも、ひょっとすると、自分が黒い修道僧を夢に見たのか。思いだせないのに、この伝説が頭から離れないのだ。」

 この話にはとても心惹かれるものがある。
 芸術の成り立ち、創造の秘密といったようなものが、あるいはそこに潜んでいるのかも知れないと思えてくるのだ。


戯曲を翻訳すること

2011-01-20 | 演劇
 1月17日、ご縁があって第3回目となる「小田島雄志翻訳戯曲賞」の授賞式に参加させていただいた。(会場:東池袋の劇場あうるすぽっと)
 
 今回の受賞者と対象作品は次のとおりである。
○平川大作氏
「モジョ ミキボー」(オーウェン・マカファーティ作、鵜山仁演出)、主催:「モジョ ミキボー」実行委員会、平成22年5月4日~30日、下北沢OFF・OFFシアター
○小川絵梨子氏
「今は亡きヘンリー・モス」(サム・シェパード作、小川絵梨子演出)、企画・製作:シーエイティプロデュース/ジェイ.クリップ、平成22年8月22日~29日、赤坂レッドシアター

 この賞は、チェーホフ四大戯曲の名訳で知られるロシア文学者・湯浅芳子の名を冠し、外国戯曲の上演と翻訳・脚色で優れた成果をあげた団体・個人に贈られる「湯浅芳子賞」が2008年に第15回をもって終了したことに危機感をもった小田島雄志氏が周囲の強い勧めもあって創設したもので、小田島氏の「独断と偏見による」いわば個人的な色合いの強い賞である。
 とはいえ、今では唯一の翻訳戯曲を対象とした賞であり、後進の道を開くという小田島氏の強い使命感に満ちたものなのだ。
 「このささやかな賞を受け取っていただけるかどうか不安だったが」という遠慮がちな言葉に始まる小田島氏の選評も、来賓として祝辞を述べられた松岡和子氏の後輩への励ましと配慮にあふれた言葉、それに対して感謝を述べた受賞者二人の挨拶も先輩への尊敬や仕事への意欲や畏敬の思いに満ちて感動的だった。

 受賞されたお二人の仕事は、単に上演戯曲を翻訳したにとどまらず、積極的に芝居づくりに関わっていることが特徴的である。
 これは英語ではない、といわれるほど難解なアイルランドの作家オーウェン・マカファーティを訳した平川大作氏は、稽古の過程で俳優達と積極的に関わり、ディスカッションしながら彼らの理解を助けていったというし、小川氏にいたっては自ら演出もしている。
 小川絵梨子さんはいまニューヨークと東京を本拠地としながら日本戯曲の英訳にも取り組んでいる1978年生まれの若手演劇人である。まさに後世畏るべし。これからが楽しみな人材だ。

 平川氏は、その挨拶の中で、自分は関西を拠点として活動している人間なのだが、今回の受賞作のように、その翻訳戯曲が上演されるのが東京でしかないということに今の演劇状況の困難さを感じるというようなことを話しておられた。
 作品はOFF・OFFシアターでほぼ1ヶ月間上演されたわけだが、それでも観客動員はそのキャパから計算して2,3千人というところだろうか。その膨大な労力に比して何とも生産効率の低い仕事なのだ、演劇は。

 小田島氏に伺ったところでは、この賞をつくった思いとして、戯曲翻訳家の演劇界での地位向上という意味合いもあるのだとのことだ。
 例えば、一つの作品が上演される場合、そのポスター等ではスター演出家や作者の名前は大きい活字が組まれるが、翻訳家は申し訳程度に小さく扱われることが多い。
 最近の事例では、あるスター俳優が演出も兼ねて、小田島氏訳の作品を上演することになったのだが、演出家は勝手に作品を改訂したうえ、自らの名前を潤色者として大きくのせたとのこと。
 まあ、ポスターの名前の大きさはともかく、舞台上で俳優の肉体をとおして発せられる言葉は生き物であり、舞台や座組みによってその翻訳戯曲にも手を入れる必要が生じる。そうした創造過程において翻訳家が軽視されているという状況に小田島氏は危機感を感じているのである。

 この意義ある賞によって現在の演劇状況に何らかの変化のあることを期待したい。ささやかではあるけれど、その小さな取り組みのもつ意味は極めて大きい。

トップガールズ

2010-12-23 | 演劇
 今月はじめに観た舞台、「トップガールズ」について書いておかなければならない。
 作:キャリル・チャーチル、翻訳:安達紫帆、演出:高橋正徳、企画制作:ミズキ事務所、会場:アイピット目白。

 幕開きはロンドンのキャリア・ウーマン、人材派遣会社の重役に昇進したマーリーンの祝いの席から始まる。実は、それはマーリーンが見た夢というか空想の世界なのであって、その席には、探検家イザベラ・バード、法王ジョーン、ブリューゲルの絵に描かれた悪女フリート等々、歴史上、芸術作品上で数奇な運命を生きた5人の女性たちが招かれ、ワインの酔いにまかせてそれぞれの女性としての戦いの人生について喧々諤々と語り合う。
 次の場面では一転して現実の世界が現れ、働く女性をめぐる様々な軋轢や葛藤など、現代女性の多様な姿が描かれる。
 そしてマーリーンとその姉ジョイスの会話を中心とした最後の場面では、自らの意志では選択できない時代と社会、環境、性など、女性にとっての切実な命題が露わにされ、観る者に深く問いかける。
 この舞台の初演は1982年。時あたかも鉄の女と呼ばれたマーガレット・サッチャーがイギリス初の女性首相となった頃である。彼女の出現は果たして女性の成功を意味していたのか、との問いもこの芝居にはこめられているようだ。

 出演者は、神保共子、山本道子、古坂るみ子など、文学座や演劇集団円の劇団員たちで、この演ずるには難解で相当に骨のある芝居をベテランの味でうまく料理していたが、私が特筆しておきたいのは、マーリンの姉ジョイスを演じた「かんこ」さんのことだ。
 かんこ、とはもちろん芸名であるが、以前は「菅伸」の名前でアンダーグランドの舞台で活躍していた女優さんである。知り合ったのは私が20歳の頃だから本当に昔々の話だ。
 その最後の舞台はたしか昭和の終わり頃で今回のように本格的な舞台復帰は22年ぶりとのこと。その間、出産、育児という時期があり、まあいろいろあったのだろうけれど、私生活上のことは私には分からないことが多い。何しろ彼女とは22年間も音信不通状態だったのだ。
 ただ、その間の時間の積み重ねが決して無駄ではなかったということは、今回の舞台の演技を見ればすぐに分かる。ベテラン揃いの布陣となったこの舞台において、彼女はひと際大きな独特の輝きを放っていたからだ。
 役者というものは不思議なもので、舞台を離れたり、芝居の世界から遠ざかったことがそのまま劣化を意味しない。例えばダンサーや歌手、音楽家であればそういうわけにはいかないだろうけれど、俳優は日常生活の中からでも多くのものを学び得るということの証である。年を重ねることが演技のふくらみとなって顕れる。
 もちろんそれはすべての役者に言えることでは決してない。多くの蓄積や感性があってのことであり、何より大切なのは感性であり、役者であり続けたいという意志の力なのだろう。
 彼女は、舞台に立つことのできない鬱々とした日常の暮らしの中で、ヘタクソなタレントの芝居を観ては毒づき、感動させる芝居を観ては激しく嫉妬しつつ日々イメージトレーニングしてきたと冗談まじりに言っていたが、その気持ちはよく理解できる。
 
 かんこさんはメールで「人の顔を見て老けたなというのは禁句よ」と言ってきたけれど、そんなことをもちろん言うはずもない。
 終演後、昔の仲間を交えて、22年という空白期間など吹き飛んでしまい、ほんの何日か会わなかっただけのように話に花が咲いたのは嬉しいことだ。
 それもこれも無闇に厳しかった肉体訓練や稽古、テントの芝居小屋を組み立てる材木運びにともに汗したという共通の思い出があるからだ。
 まあ、ただの感傷といわれてしまえばそうなんだけどね。でも、あの濃密な時間は強烈に私の脳裏に焼きついて今も離れない。
 そんな昔をなつかしみつつ、また何か新しいことが始まるという予感に震えた一夜なのだった。

ブルードラゴン/巨大なるブッツバッハ村

2010-11-23 | 演劇
 東京芸術劇場中ホールで観た2つの舞台について簡単に記録しておきたい。
 まず、今月11日に観たのが、「The Blue Dragon ブルードラゴン」だ。演出:ロベール・ルパージュ、作はルパージュと出演者でもあるマリー・ミショー。製作:エクス・マキナ。フェスティバル/トーキョー10参加作品。
 ストーリーをパンフレットに基づいて書くと、次のようなものだ。
 カナダ・ケベック出身のピエールは、かつての工業地帯がアートセンターに変貌し、中国アートシーンの中心となっている近代都市・上海でギャラリーを開いている。ギャラリーには、ピエールの恋人である中国人若手アーティスト、シャオ・リンも出品している。
 この街で、ピエールはかつての恋人であり、今はモントリオールの広告会社幹部として働くクレールと再会する。
 この出逢いをきっかけに、ピエール、クレール、シャオ・リンの3人にとって予想もしなかった変化がもたらされる……。
 急激な経済成長と変貌を続ける街・上海、西洋と東洋、伝統と革新、そして3人の男女の関係……といったところが道具立てとして配され、それらが単なる対立項ではなく、絡まりあい融合する様相が描かれるのだ。
 映像や舞台技術を駆使したビジュアルな演出はさすがにシルク・ドゥ・ソレイユやメトロポリタン歌劇の演出も手がけた手練を見せつけるようだ。
 舞台全面に描かれる漢字を使った表現は、西洋文化圏の演出家独特のものだろうか。野田秀樹の舞台「ザ・キャラクター」の感想でも書いたことだが、漢字に対する偏愛はむしろ西洋人のほうが強いような気もする。この舞台の演出には野田さんも嫉妬したのではないか。
 それは観るものを魅了し、見ることの喜びを十分に感じさせるものだが、物語自体はせつない短編小説のような、小じゃれた映画館で単館公開されている映画を思い起こさせるようなストーリーなのだ。それだけ分かりやすい話といっても良いだろう。
 ラストシーンは特筆に価する。3人の男女に加え、そこにはシャオ・リンが生んだピエールの子どもも乳母車に乗って登場するのだが、その別れのシーンが3パターンにわたって反復される。それは言葉に書いてしまえばそれまでのことという程度のことかもしれないが、そこにはある種の価値観の転換と発見があって、観客に驚きをもたらすのだ。快哉を叫んだ人もいるに違いない。
 その他、ポスターやパンフにも使用されているいくつものビジュアルなシーンが実際の舞台上に現れて、この舞台を忘れえぬものとしているようだ。

 さて、続いて20日に同劇場で観たのが、「フェスティバル/トーキョー10」の演目の一つ、クリストフ・マルターラー演出の「巨大なるブッツバッハ村―ある永遠のコロニー」だ。
 アンナ・フィーブロックの舞台美術が強烈な存在感を印象づける。それは秩序の崩壊であり、あるべきものがそこにはなく、ありえないものがそこにあることの居心地の悪さであり、空虚さの充満であり、バランスの喪失である。
 「ブルードラゴン」がいわば従来の「演劇」という枠組みのなかでの表現であったのに対し、この舞台では、台詞、音楽、俳優の動作、コミュニケーションといった演劇を成り立たせているはずの要素がことごとく解体されているかのようなのだ。
 それはリーマン・ショック以降の経済破綻により危機に瀕した世界の有り様でもあるが、この世界を支えていたたがが外れてしまったような奇怪なおかしみと哀しみに満ちている。
 その仕掛けは批評性にあふれているが、それをマルターラーは類まれなユーモアによって表しているのである。
 その受容は観客に委ねられている。

機械じかけのピアノ

2010-10-11 | 演劇
 歳のせいにはしたくないのだけれど、最近は何かというと疲れた疲れたと楽をする言い訳ばかりを考えている自分がいて我ながらいやになってしまう。
 気がつけばこのブログもひと月以上ご無沙汰状態だった。
 この2週間ほどは、池袋周辺の地域に関連する文化事象の過去100年の年表をひょんな思い付きで作り始めたら、これが思いのほか面白くて止められなくなってしまった。
 おかげで目の疲労、肩凝りが思いのほか祟ってパソコンのキーボードにはアレルギーが生じている。まあそればかりが理由ではないのだけど、書く、というモチベーションがいつになく低下していたのは確かだった。

 これは自分のためのメモ集成なのだから、そうと割り切って書けばよいのだ。ほとんど備忘録か、ただの日記状態になるのは仕方がない。

 昨日10日は朝からあちらこちらとハシゴをして回った一日だった。
 午前中は雨が心配されたが、10時から大塚駅前と池袋本町の商店街イベントのオープニングに顔を出し、そのまま歩いて東池袋の「あうるすぽっと」に行き、午後2時からの劇団昴公演「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」を観た。
 その後、池袋西口一帯で開催されている「東京よさこい」の本部席に座って、しばしソーランのお囃子に包まれた。それから九段下に出てオフィス・パラノイアが靖国神社で開催している舞踊劇「遊びの杜」を観劇。一転こちらは静謐な世界だ。
 帰宅して万歩計を見たらちょうど1万6千歩だった。結構歩いた気でいたのだが、そんなものなのだ。

 さて、「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」だが、ニキータ・ミハルコフ監督の映画作品を私は劇団昴が千石にいたころの300人劇場で観ている。
 素晴らしい映画で、チェーホフものの作品としては映画・演劇を問わず最高のものだと思う。その後、マストロヤンニが主演した、「犬を連れた奥さん」が主要なモチーフになった「黒い瞳」なんて傑作もあったが、チェーホフ的気分とでもいうものを存分に味あわせてくれる点で「機械じかけのピアノ」にはかなわないだろう。
 さて映画と今回の舞台を比べてしまうのはいかにも乱暴だし、ないものねだりになりかねないが、やはり何かが決定的に足りない、欠けている。
 最大の課題はプラトーノフに観客が感情移入できるかどうかだろう。その結果についてここでは書かない。
 それにしてもプラトーノフは齢35歳にしてすでに人生に置いてけぼりにされたと思っている。
 この映画を観たとき、私はまだ20代だったからそれほど違和感はなかったのだが、この歳になってみればそれはいかにも若すぎやしないかと言いたくなる。
 もっとも「機械じかけ・・・」のもとになった「プラトーノフ」を書いたとき、チェーホフはまだ若干21歳の医学生だったのだから無理はないのかも知れないのだけれど。

 今回の舞台の収穫はアンナ役を演じた一柳みるの演技だろうか。
 このアンナの役はチェーホフ劇のたとえば「桜の園」のラネーフスカヤや「かもめ」のアルカージナ、「ワーニャ伯父さん」のエレーナといった役どころのエッセンスが詰まった役だと一柳みる自身も終演後のトークショーで語っていたが、その造型はこの数年間に私が観たさまざまなチェーホフ劇の中でも優れたものだと思う。

チェーホフの現在(いま)

2010-09-06 | 演劇
 8月27日、池袋の劇場「あうるすぽっと」で開催されている「チェーホフフェスティバル2010」の一環として上演されたM&Oplaysプロデュース「伝統の現在‘8」を観た。
 狂言の茂山正邦、宗彦、逸平の3人がチェーホフの「結婚申込」を脚色した「ぷろぽおず」と女狂言「鎌腹」を併せて上演したものだ。
 チェーホフの笑劇と狂言がこれほど相性よく、互換性があるということが新たな発見であり、驚きでもある。
 これには上方の茂山家の芸風も大きく寄与しているのだと思われる。その軽い味わいや滑稽味は彼らに特有のものであり、他の流派にはないものだからだ。

 9月1日、流山児★事務所の「櫻の園」を観た。
 演出:千葉哲也、ラネーフスカヤを安奈淳が演じている。
 正統派のチェーホフ・・・と言って差し支えないのだと思う。
 執事のエピホードフ、従僕のヤーシャをともに女優が演じ、小間使いドゥニャーシャとの「女同士」の恋の鞘当=三角関係を見せるところ、ダンスシーンの乱痴気騒ぎ、老僕フィールスの造形等々がこの集団ならではの変わったところと言えば言えるのだろうが、全体を通した印象は想像以上に原作に「忠実」な「櫻の園」という印象である。
 もっともエピホードフ、ヤーシャを女優に演じさせたことが成功だったかと問われれば首を傾げざるを得ないだろう。ダンスパーティのシーンも安っぽく見えてしまうのは否めない。(実のところ、幕間の休憩時間の観客同士の会話を耳にしてもあまり芳しい感想は聞こえなかった)

 だが、それ以上に鮮烈に記憶に残るいくつかのシーン、例えば帰還したラネーフスカヤ一家の登場場面、アーニャとペーチャの貧しくも愛らしいラブシーンなどを創り上げたことで私はこの舞台を良として受け入れたいと思う。
 さらに塩野谷正幸のフィールスはこの芝居全体のトーンを支える力を見せたし、安奈淳のラネーフスカヤも受けに徹する抑制された演技に好感が持てた。

 それにしても、想像以上にこの戯曲を実際に演じるのは難しい、厄介なことなのかも知れない。
 これまでの演劇史や文学史が観客=読者の期待値を否応なく必要以上に高めるものだから、その舞台には誰もが失望するということになりかねない。
 10年ほど前、俳優座劇場で某劇団の「櫻の園」を観たことがある。当時の自分の感覚として、「新劇」の老舗といわれるその劇団の実力がこんな程度のものなのかということに逆に驚いたものだった。
 なぜ彼らはこんなにも厭味ったらしい演技しかできないのだろう・・・。
 それに比べると、今回の舞台は、日本人の劇としてしっかり成立していたのではないか。
 何よりも「櫻の園」が、現代の日本の状況、危機的な経済状況を自覚しながらも内輪の権力争いに惑溺して脱け出せない政治家たち、無謀な戦いと知りながら戦争へと突き進んでいった日本人の精神構造といったものを的確に腑分けし観客の前に提示する劇であることを私たちは思い知らされる。
 このテキストが今この時代にこそ求められていることを感得させてくれるのだ。

 さて、「あうるすぽっと」は客席数301の「小ぶり」な中劇場であるが、この劇団の役者の半数がこの規模に対応できていないという感想を持ったのは私だけだろうか。これは通常、小さなスペースでの演技に馴れた小劇場系の役者の問題でもあり、一つの課題だろう。
 一方、多くの場合その過剰な演技がいやが上にも目立ってしまい、ともすれば全体の芝居のバランスを狂わせかねない流山児氏の存在が今回はぴたりとした場を得て光って見えたという皮肉な現象はどう解すればよいのだろう。
 不遜な言い方ではあるが、役者・流山児祥の久々の登場を大先輩のために喜びたいと思う。

ピノッキオ

2010-09-05 | 演劇
 記録づくめの厳しい残暑が続いている。
 この何週間かの間に観た舞台の印象を書いておきたい。
 「にしすがも創造舎」では8月の一ヶ月間、アート夏まつりが開催された。その一環として上演されたのが「子どもに見せたい舞台」シリーズの第4弾「ピノッキオ」である。
 構成・演出:倉迫康史、原作:カルロ・コッローディ「ピノッキオの冒険」(岩波少年文庫)。
 私は17日の初日と28日の2ステージを観る機会があった。
 このシリーズの素晴らしさは何と言っても創り手たちが本気であるということだろう。当たり前といえば当たり前のことなのだが、俳優、演出家は言うに及ばず、美術、音楽、衣装などなどすべてのスタッフが、子ども騙しとお茶を濁すことなどこれっぽっちも考えていないという本気度が舞台からひしひしと伝わってくる。
 1時間40分という上演時間はおそらく子どもの集中度を考えればかなりの冒険と思われるけれど、巧みな演出効果や俳優たちの働きによって見事にたくさんの子どもたちの視線を舞台に惹きつけていた。
 初日の舞台はさすがに手探りの状態がうかがえて、前半もう少しテンポが増せばなあというシーンがなくもなかったのだが、28日にはその懸念もなくなり力のある芝居になっていたと思う。

 冒頭、舞台に登場した一人の少年(女優)が客席の子どもに語りかける。
 「君の名前はなんていうの・・・?その名前借りるね」

 この芝居は、この「名前」というものが一つの大きなテーマであるようにも思える。
 ピノッキオの名付け親たるゼペットは、すなわちピノッキオの創造主でもある。
 名付け親のことをゴッドファーザーというように、これは人間と神の関係性を隠喩として孕んだ物語でもあるのだろう。
 ピノッキオは樫の木の聖女の枝から創られた。いうならば「森」がピノッキオの母体でもあると考えれば、ゼペット=人間と、森=自然との「結婚」から生み出されたのがピノッキオという存在であるとも言えるだろう。
 それはいかにも不自然であり、ピノッキオを「人間」とするために「神」はさまざまな試練を与えた・・・。
 その試練はゼペットにも与えられる。親たるための無償の愛を彼は試される。それはあたかも、自らを創造主になぞらえようとした不遜を神から咎められ、与えられた罰のようでもある。

 これは、私たちが子どもの頃にすりこまれたように、嘘をつくと鼻が伸びたり、怠けてばかりいるとロバになってしまうという教訓童話などではないのだ。
 (ちなみにこの舞台のピノッキオの鼻は伸びないのだが、そこにも製作者のこだわりが見てとれる)
 それにしても人形と人間の関係は実に興味深いテーマではある。これは果たして、人間万能主義を背景に、不完全な存在たる人形が人間になろうと苦難を味わう物語なのだろうか。
 
 そんな話題だけで、おそらく何時間もうまいビールが飲めることだろう。
 

ミュージカル「ひめゆり」を観る

2010-07-11 | 演劇
 以前、舞台でご一緒したuniちゃんからご案内をいただいて、彼女が出演している北千住の劇場シアター1010で上演中のミュージカル「ひめゆり」を観に行った。
 ミュージカル座の創立15周年記念公演、終戦65年特別企画と銘打った作品で、タイトルから分かるとおり、太平洋戦争末期の沖縄で犠牲となった「ひめゆり学徒隊」の悲劇を描いている。
 脚本・作詞・演出・振付:ハマナカトオル、作曲・編曲・音楽監督:山口也、出演:知念里奈、岡幸二郎、井料瑠美、原田優一ほか。

 私はフレッド・アステアのファンを自認しながら、実のところミュージカルの舞台には縁遠いまま今に至ってしまっている。今回の舞台も案内をもらわなければおそらく足を運ぶことはなかったと思うけれど、さすが10年以上にわたって再演を重ねてきた作品だけによく練り上げられていると感じた。
 何よりも、沖縄の人々の目線で戦争の悲劇や日本軍人の非道さも明確に描かれている点は特筆に価するだろう。
 戦争を題材とした作品において、何を描き、何を描かないか、視点をどこにおくかは、常に極めて難しく重要な問題なのだ。

 そこで考えたのが、こうした悲劇を描くのに、ミュージカルという表現形式の持つ特質が意外にも適しているのではないかということだ。

 今回の音楽伴奏は録音によるものだったが、それが生演奏であった場合にも、芝居の進行がスコアのリズムとテンポによって統御されることで、俳優の不必要な情感のために劇が間延びしたり弛緩したりする弊害から免れることに役立っていると思えるのだ。
 たとえば岡幸二郎は、ひめゆり部隊や一般島民とともに逃げ込んだ洞窟のなかで、敵兵に見つかるというだけの理由で泣き止まない赤子を捻り殺したうえ、その母親を射殺する卑劣な兵隊を演じていたが、これがストレートプレイであれば、その俳優は役に感情移入するために相当な努力を要したことだろう。
 ミュージカルの場合には、音符によって導かれた歌唱を通した登場人物の造形を行うことで、不要な役づくりに悩む必要がなく、自身を客体化することが比較的容易にできるのではないかと思えるのだ。

 観客にとっても、そこで観たことによる感情の異物感を沈殿させることなく、音楽によって浄化して劇場をあとにすることができる。しかも、描かれたテーマは結晶化されて心に残る。
 戦争の悲劇を描くのにミュージカルこそ相応しいという発見は新鮮だ。

ザ・キャラクター

2010-07-04 | 演劇
 3日、池袋西口公園でのイベントに参加したついでに東京芸術劇場中ホールに立ち寄り、運良くキャンセル待ちのチケットが取れたので野田地図(NODA・MAP)の第15回公演「ザ・キャラクター」(作・演出:野田秀樹)を観た。
 思えばかつての私は野田作品、とりわけ「夢の遊眠社」時代の作品に関してはまったくよい観客ではなかった。その理由はいわく言い難いものだが、時代観の相違だったり、言葉遊びへの違和感だったり、不必要にテンポの速いと思われる動きや台詞回しへの愛憎交じり合った反発となって積極的に劇場に足を向けることをしなかったのだ。
 それがこの何年かの仕事振りには、こちらが歳を取って感覚が変わったのか、あちらが歳を取ってテンポがこちらに合ってきたのかは分からないけれど、妙に共感を覚えるようになってきた。
 とりわけ、もう10年以上も前になるけれど、私がある人の批評に傷ついて悩んでいた時期に観た「パンドラの鐘」には大いに勇気づけられた。励まされたといってもよい。それもまたいわく言い難いことなのではあるけれど、そこには自分自身と通低する演技観や世界観があった。それもまた不思議な事だ。

 さて、「ザ・キャラクター」は、例の言葉遊び、人偏のあるさまざまな漢字、「俤」や「儚」といった文字をキーワードにしながら、町の書道教室がオウム真理教や地下鉄サリン事件を思わせるテロと殺戮の舞台へと転換する不気味な世界を描いた作品だ。
 「神」が薄っぺらな「紙」へと誤変換され、ギリシャの紙幣がくしゃくしゃの安っぽい半紙に変容するような価値観の転換が描かれる。それとともに他愛のない幼児性と思われたものが排他的で不寛容な恐怖と支配による暴力性を帯びてゆく。
 これが今回、野田秀樹の提示した日本人論であり世界観であるのは間違いないが、この世界を経ることで彼は何を目指すのか。

 ラスト、宮沢りえ演じるマドロミの声が舞台に悲しい余韻を残す。

マドロミ 「こんなコトバを聞きながら、おまえたちは、筆一本で空を突き刺したつもりだったの?・・・・・・死んだ者たちの祈りは、届かなかった。けれども、こうして生きている者たちの祈りは、なおさら届かない。」
アルゴス 「だったら、生きとし生ける者たちは、忘れるために祈るのか?」
オバちゃん・ダプネー 「それとも忘れないために祈るの?」
マドロミ 「もちろん、忘れるために祈るのよ。でもね、それでも忘れきれないものがのこるでしょう。そのことを忘れないために私は祈るしかない、起きたばかりのまどろみの中で。」

 そこに希望はなく、絶望の中でひたすら鎮魂のために祈る声だけが残る。その祈りは、やがて生まれ来るものをひたすら待ち続けるためのものだ。

 雑感。練達の演出を私は大いに楽しんだが、一つ、書かれた漢字=文字の扱いにはもう少し工夫の余地があったように思わないでもない。
 たとえば、ピーター・グリーナウェイやサイモン・マクバーニーのような西洋の映画監督や演出家だったら文字の霊にどのように感応したろうか。
 そんなことを考えるのも舞台を観る楽しみの一つだ。

ひげ太夫に癒される

2010-06-08 | 演劇
 言葉や想いはどうすれば相手に伝わるのか、ということをいつも考える。それは、どうして伝わらないのだろうと、日々の生活の中でたびたび感じるからでもある。
 そもそもなぜ伝えることが必要なのかと開き直って思わないわけでもないのだが、少なくとも「表現」という営為に何らかの形で携わる以上、伝えること、伝わることは最低必要条件の前提と考えざるを得ない。

 声がただ大きければよいというわけではない。所謂美声がよいわけでもない。
 微かに聞こえるか聞こえないかというような小さな囁きがとてつもなく心に響くこともあるだろうし、泣き叫び続けて押し潰された喉から搾り出される擦れ声が胸に突き刺さることもある。
 昔、ある往年の青春俳優が初めて舞台に出演した時のこと、先輩の役者さんから「無理に声を張り上げる必要はないよ。むしろ小さな声で台詞を言ったほうが、お客さんのほうで聞こうとしてくれるのさ」とアドバイスされたそうだ。よい先輩ではないか。

 最近、いろいろな会合やイベントにご案内をいただいて出席することが多い。パーティ嫌いの私には苦痛以外の何ものでもないし、なぜ自分はこんなところにいるのだろうといつも思ってしまう。おまけに会費まで払わされたうえに人前で挨拶までさせられるのでは堪ったものではない。
 日頃、熟練のスピーチライターを自認し、人さまのスピーチや演説に対してあれこれと能書きを言う私ではあるが、わが身のこととなるとからきしだらしがない。
 こうした会合は主催者が変わっても招かれる側の顔ぶれはおおよそ決まり切っているものだ。
 国会議員から地方議員、地域団体の代表者、行政の長などがさまざまにスピーチする。その巧拙はそれこそ千差万別だし、みな人前でしゃべりながら、それを退屈そうに聞く聴衆から心の中で辛辣に評価されているわけだ。
 そうした状況で語られる言葉が、どれほどの意味をもってどれほど伝わり、胸に響いているのか・・・。

 ごく最近の苦い失敗談がある。ある2つの団体が共同で開催した会合があって、その一方の代表者のAさんから直接電話をいただき出席することになった。
 少しばかり複雑なのだけれど、両団体は密接な関係にあり、Bさんが代表を務める団体は、Aさんが代表となっている団体の構成団体なのである。
 私は、Aさんから声をかけられた手前、Aさん代表の団体の話題を中心に話をした。当然、その団体にはB団体も関わっているわけだからそれで構わないと思っていたのだが、後になって人づてに、あいつは向こうの団体の話ばかりして怪しからんとBさんが怒っているという話を聞いた。私がBさんたちのことをないがしろにしたと思われたのだ。
 ムズカシイものである。

 そんなこんなですっかり落ち込んでいたので、一昨日6日の日曜、気晴らしに「ひげ太夫」の公演「赤道ザクロ」を王子小劇場に観に行ったのだった。
 「ひげ太夫」は、今年の1月に舞台でご一緒した成田みわ子さんがメンバーの劇団である。以前にも紹介したことがあると思うけれど、ひげメイクをほどこした女優さんばかりが出演する個性あふれるカンパニーだ。
 おまけに舞台上では出し物師(出演者)たちが、小道具から背景の建物まで、それこそ何でもかんでも組み体操によってその身体で表現してしまうのである。
 彼女たちは瞬時にひげのおっさんから可憐な乙女や子どもに役を入れ替わるばかりか、家具や道具、山や草花、空飛ぶカモメにまで変身する。
 エンターテインメント性にあふれたその芝居は、往年の無国籍日活映画や東南アジアのカンフー映画、さらには鳥山明のアニメやゲームのストーリーまで換骨奪胎してごった煮にした味わいに満ちて、観客を楽しませることに徹することを是としている。
 小難しい社会性やテーマ性があるわけではない娯楽作品ゆえの限界性も感じつつ、私はこの集団の可能性を信じている。

 終演後、成田さんに座長の吉村やよひさんを紹介されてご挨拶をした。
作・演出から舞台美術デザイン、組み体操の振付、作詞作曲までこなす吉村さんは小柄な身体から溢れるような才能を発散している。すっかりファンになってしまった。

「ハコブネ」に乗る

2010-03-08 | 演劇
 5日、北九州芸術劇場プロデュース公演「ハコブネ」を観た。
 作・演出:松井周(サンプル)、企画・製作:北九州芸術劇場、東池袋の劇場「あうるすぽっと」のタイアップ公演。
 北九州市を中心とする俳優とスタッフを総動員して「(仮)祭り」、あるいは「(仮)地獄巡り」をして作り上げた作品、と演出家のノートにはある。
 プロデューサー能祖将夫によれば、「オーディションで選ばれた地域の役者へのインタビューからモチーフを得たり、エチュードを繰り返しながらシーンを築いていったり、つまり<今><ここ>で生きている出演者一人一人の生の感覚と息づかいを反映させる創り方」が今回の作品の大きな特徴の一つとのことだ。

 プロセニアムを取り払った舞台上に仮設のステージをしつらえ、さらに左右に客席を配置し、三方からステージ上の俳優たちを見る仕掛けだ。この劇場の使い方として新たな可能性を示していたと思える。

 舞台奥全面には、木製の大小さまざまなハコが積み上げられ、それらは巨大な工場の倉庫のようでもあり、出演者たちの「家」のようでもあり、「棺桶」のようでもある。
 工場において、主役はあくまでも製品であり、すべては製品を作り、流通させることに奉仕させられる。そうして人間はいつの間にか個性を奪われ、搾取され、磨耗しながら、積みあがる製品や時間のなかに取り残され、忘れられていく存在に過ぎない、のかも知れない。

 いささか疲れて帰りの電車に乗った。ギュ―ギュ―詰めになって皆気分が尖っていて、そんな乗客の醸し出す不機嫌に沈みがちな空気のなかを集団をなしたオバカな高校生たちが傍若無人に言葉を撒き散らす。
 まさに自分はいま、つい先ほど劇場で出会った「見知らぬ人々」とともに「ハコブネ」に乗り合わせているのだと実感しながら、その行き着く先を想像できないでいる・・・。

再び、「標的家族」について

2010-02-14 | 演劇
 雑誌「世界」3月号に同志社大学大学院教授の浜矩子氏が「死に至るデフレ」という論考を寄せている。その一部を引用する。

 「経済環境が厳しくなればなるほど、あらゆるレベルで我が身かわいさが先行する。もとより、いずれも止むを得ざる自己防衛反応だ。個別的にみれば、しごく当然の選択である。だが、誰もがその道を選んでしまえば、どうしてもお互いにお互いの首を絞めることになっていく。自分さえよければ病に人々が集団感染した時、結局は、そこに勝者なしである。自分さえよければ病にかかったもの同士が、こうして不毛な闘いを繰り広げる。」
 「誰も、決して我欲に走って自分のことだけを考えているわけではない。止むなき自己防衛行動がお互いを追い込んで行く。この流れを逆転させることが、どうすれば出来るか。」
 「(これらの病のいずれも)元をたどれば、発生源は一つだ。それは地球経済を覆う大きくて本質的な不均衡問題だ。」

 上記の文章は、リーマンショック後の地球経済の健康状態を診断した結果の症状に関する分析なのだが、これを「標的家族」の登場人物たちに当てはめて考えても驚くほどぴったりと当てはまることに気がつくだろう。
 この悪循環を断ち切り、流れを逆転させるために、私たちはどう考え、どう行動しなければならないのか。
 そうした問題のあり様を提示し、考えさせるのが演劇という芸術の力であり、その表現を生み出すための基盤となるのが「劇団」であると言えるのではないか。

 さて、「標的家族」の「劇場」(Space早稲田)で配布されたパンフレットに芸術監督:流山児祥氏のあいさつが載っている。気にかかった箇所を引用する。

 「2010年に入って日本の文化行政のあり方が大きく変わろうとしています。舞台芸術を取り巻く状況がドラスティックに、それも気になる方向に変化する(「公共」という名の大政翼賛会的意思が見え隠れする)いやな気配です。「劇団:ヒト」から公共=「劇場:ハコ」へ! とならないように演劇人は今こそ、発言・行動すべき時代である。コンクリートからヒトへ!」

 これは、日本芸能実演家団体協議会が昨年3月に発表した劇場法(仮称)の提言をはじめとする一連の動きを示しているのだろうと思われる。
 これについては2009年11月28日付の日本経済新聞に詳しく報じられていた。
 いわく、専門家が参加して地域の芸術、教育活動を活性化することをうたったもので、これ自体に異を唱えるものはいないだろう。
 ただ、劇場法の推進者の一人で、内閣官房参与となった劇作家:平田オリザ氏の次の発言を聞くと、若干の懸念がないとは言えないのだ。
 「創造する劇場と鑑賞する劇場をきちんと分けたい。30から50の拠点劇場で舞台を作る。それを鑑賞のための劇場に回す。拠点劇場は観光にも役立つ」
 11月25日の文化芸術推進フォーラムには鈴木文部科学副大臣も出席し、介護や医療など対人コミュニケーションに付加価値をつける産業が雇用を生むとの見方を示し、「劇場法はコミュニケーション教育と車の両輪」と語ったという。

 もちろん新聞報道は発言のごく一部でしかないし、真意を十全に伝えているとも思えない。鈴木副大臣の発言は政府=行政の立場からむべなるかなと思わないでもないのだが、それでも平田氏の話にはおいおい本当かよという危惧が拭えない。
 劇場の仕分けを一体誰が行うのか。それは公共劇場を中心に据えたものなのか、中小の民間劇場は対象から外れてしまうのか。創造する劇場には誰がどれだけの予算を配分し、その演目は誰が決定するのか。このことは舞台芸術の世界に意図せざる不均衡をもたらすのではないか・・・。

 劇作家である内閣官房参与が首相の演説に関与し、国民にその声をより的確に伝えようと努めることについては、むしろ私は評価する考えだった。
 しかし、「表現」の領域が政治に接近し、それを積極的に利用する・あるいは利用されるかも知れない懸念のある動きについてはより慎重に疑いをもって対処すべきだろう。
 「表現」はあくまで《個》を基盤としたものであり、一つの方向に一斉に大同団結するような時代の潮流には常に疑問符をつきつけるものでなければならないと思うからだ。