seishiroめもらんど

流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

演じるということ

2013-05-12 | 演劇
 「何かを言うために戯曲を書くのではない。戯曲を書くために何かを言うのだ」
と言ったのは劇作家の岸田國士である。

 ボヴァリー夫人を書いたフローベールは「何についても書かれていない小説」を書こうとした。
 「外に繋がるものが何もなく、地球が支えられなくても宙に浮かんでいるように、自分の文体の力によってのみ成り立っている小説。出来ることなら、ほとんど主題を持たないか、少なくとも主題がほとんど目につかない小説」
 それこそが彼の書きたいものだった。

 こんなことが言えるだろうか。
 俳優は、何かを言うために演じるのではない。演じるために何かを言うのだ、と。

 もし、演じることが演じようという意思、あるいは想像力のみによって成り立つのなら、そこには戯曲も、演出家も、劇場も、舞台すらも必要ではない。

 一方、演劇にとっていまや俳優は必要不可欠な存在ではないのだ。俳優はロボットでよい、と言い放つ劇作家もいるくらいなのである。
 演劇にとって必要なものとはなんだろう。
 
 支えがなくとも宙に浮かんでいる地球のように、演劇は何ものも必要とはしない、という仮説は成り立つだろう。
 演劇にとって、俳優も劇作家も演出家も美術家も舞台監督も照明や音響も、一切のものが実は不要のものである。
 私=私たちの知覚する世界そのものがすなわち演劇なのだから。

 さてさて、私たちの知覚する世界とは何か。その一切は誤謬であり、夢のようなものだという人もいるだろう。
 そう、演劇とは夢のように儚いもので出来ている。
 その夢の中に私自身も存在するのだ。
 

夢の城/ポツドール

2012-11-20 | 演劇
 17日(土)、ポツドールの「夢の城 – Castle of Dreams」を観た。作・演出:三浦大輔、場所:東京芸術劇場シアターウエスト、主催:フェスティバル/トーキョー。
 本作は、三浦大輔氏が「愛の渦」(2005年)で岸田國士戯曲賞を受賞した直後に発表されて以降、海外での再演が続き、今回は6年ぶりの再演にしておそらく国内では最終公演になるだろうとのこと。

 とあるアパートの一室で暮らす男女8人の若者が、酒とケンカ、怠惰で無気力な眠りと果てしのない交合、テレビゲームに明け暮れる獣のような生活のほぼ24時間が台詞の一切ない無言劇として描かれる。
 それを観客は部屋の窓から覗き見する者のようにして観るのだが、その希望も絶望も人間らしい感情すらも失われた荒涼とした光景には胸を衝く力がある。
それは野生の猿たちが集団生活しながらも、我先に力づくで食べものや水を奪い、欲望を吐き出すのと変わらない。
 この若者たちの生態は一体何の暗喩であり、この作品は何を表現しようとしているのか、という陳腐な問いかけが当然観客の心にナイーブに投げかけられるだろう。
 そうやって観るうちに、次第に彼らが現代日本の、それも東京とおぼしき大都会の片隅で懶惰に生きる若者たちなどではなく、神話が生まれる以前の、太古の、言葉をまだ持たない時代のわれらが先祖の姿とも思えてくる。スタンリー・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンに出てくる類人猿たちの姿とも二重写しになって、むしろそれらは神々しさをすら感じさせる。

 それにしてもそもそも「人間らしさ」とは一体何だろうか。人間が人間であるとは、いかなる条件付けのもとに定義づけられることなのか。
 この舞台で描かれるのが、無気力で人間らしさを失い、欲望のままに生きる獣めいた若者たちであるなどと誰が断定できるのか。
 それでは、「レヒニッツ」において友愛パーティのさなかにその余興として200人ものユダヤ人強制労働従事者を容赦なく殺害した裕福なナチ党員たちは「人間」らしいのか。
 「たった一人の中庭」において、移民キャンプの存在を隠微しようとする者たち、情報を操り、見えるものを見えないものにしようとする者たち、あのダンスに興じる白いモンスターたち、あらゆる戦争とテロ、差別や貧困に加担するものたちは「人間」といえるのか。
 このように振り返ると、今回のF/Tで上演されるいくつかの演目がそれぞれ個別の意味を持ちながらもひとつながりに見えてくるのが分かる。プログラム・ディレクターによるキュレーションの成果であると感じる。

 「夢の城」は、若者たちの生態を時に極度に拡大し、増幅し、引き伸ばし、反復しながら、優れた演劇のみが持ち得るリズムを舞台上に醸し出す。それは痴態に充ちた乱交シーンや諍いの場面、テレビゲームの同じ画面が幾度も執拗に繰り返される場面にもあらわれ、何とも言えないコミカルな味わいを感じさせる。卓抜に計算されつくした演出の力である。
 ヨーロッパ公演ではこれをダンスと見做した批評もあったそうだが、たしかに退廃と倦怠を描きながら躍動する肉体を観る者は感じるだろう。

 ラスト近く、一人の女がキッチンに向かい、野菜を刻む音が違和感をもたらす。何かの変化の兆しを観客は感じずにはいられない。
 そして最後、女の小さく長い泣き声、嗚咽の音が舞台に満ちるのだ。それは、この時代そのもの、世界そのものの泣き声なのか。
 その声を振り切るように、二人の男が素裸になり、スピードスケートの選手を模したポーズでゆっくりと部屋の中を周回する。
 その時、午前も3時を過ぎ、テレビではNHKの放映終了の合図である、あのよく見慣れた日の丸国旗のはためく画面と君が代がおごそかに流れるのだ。その国歌は若者たちの全身を包み込んでいく……。
 これを切れ味のよい演出と見るか、いささかあざとさが目立つ演出と感じるかは人それぞれだろうが、この瞬間、舞台は私たちの生きる現代の世界=日本を丸ごと描き出す批評性を獲得したのだ、と思える。
 「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンのタイトルは「人類の夜明け」だったが、「夢の城」のラストシーンに流れる君が代は滅びゆく人類への挽歌、黄昏の歌なのだろうか。
 この対比はぞくぞくするほど面白い。

たった一人の中庭

2012-11-18 | 演劇
 にしすがも創造舎におけるフェスティバル/トーキョーの主催演目の一つである、ジャン・ミシェル・ブリュイエール/LFKsによる「たった一人の中庭」を10月28日(日)と11月2日(金)の2回にわたって観ることができた。
 28日は暗い雨の降りしきる中、2日はよく晴れた日の夜であった。
 廃校施設を転用した「にしすがも創造舎」の旧校舎の地階にある特別教室と3階の教室全部、そして別棟の体育館すべてを使ったこの演目は、演劇とも巨大な美術作品とも言いようのない、様々な芸術領域を軽々と越境しながら、まさにこの場所でしか「上演」し得ない表現=作品なのだった。
 人々はこの場所を経巡り、異次元空間を流れる時間の中に突如紛れ込んでしまったような感覚に身を委ねながら、観客として、時には自らが観られる客体として作品の中に入り込みながら、この展覧会形式の演劇を体験するのである。
 演劇版3D体験とでも言えばよいのか、ジョルジュ・デ・キリコの絵の中に入り込んでしまったような、舞台美術のひとつに自分自身が同化してしまい、目の前で、すぐ横で、背後で、何かが起こりつつあるという不思議な感覚……。
 ジャン・ミシェル・ブリュイエールは、映像作家、作家、美術家、演出家、写真家、グラフィック・デザイナー等々、複数の顔を持つアーティストとして紹介されているが、たしかにそうした多面的な才能が、多様な人材からなるアーティスト集団であるLFKsと結びついてこれらの場の磁力が生み出されたのだと感じる。

 ヨーロッパでは、今この瞬間にも数万人規模の人々が、300か所ものキャンプ=難民収容所隔離されているという。不法滞在者やロマ族が暮らす移民キャンプ……。
 「たった一人の中庭」はその実態をアーティスティックな視点で再構成した作品である。

 描き出されるのは、インターネットラジオから流れる音楽に合わせて踊りに興じる白いモンスターたちであり、元家庭科室では何千個もの白い卵が部屋中に増殖して溢れ出し、元理科室では首のない白いトルソーたちが入浴する中を水道の蛇口から断続的に流れる水がリズムを刻む。
 体育館に設えられた野営キャンプを思わせるテントの中では、一人の痩せこけた黒人移民を強制送還するための作業が延々と繰り広げられている。時折ラジオから流れる音楽に合わせた白い防護服の男あるいは女たちの踊り、そして料理と給仕、健康診断といった手続きが長大な、スローモーションのような緩慢な動きとともに展開される。
 そこを抜けると、広大な体育館の床いっぱいに白い繭玉のような雪が堆く積もった中に無人の何十台もの電動ベッドが整然と並び、それらはゆっくりと上下しながらダンスする。
 その傍らでは、機械仕掛けの電動アームの先に取り付けられた筆が巨大な抽象絵画を描き出す。筆の先から滴っているのは、動物かあるいは誰か殺された人の血のようでもある。

 私はこの光景を見ながら、カフカの小説「流刑地にて」を思い出したけれど、今になって思えば、筆から滴る血は、東京芸術劇場で観た「レヒニッツ(皆殺しの天使)」で虐殺された人々の血につながっていたのである。
 単純な図式としては、レヒニッツが加害者の視点に立つとすれば、「たった一人の中庭」は抑圧される者の視点に立つとも言えるのかも知れない。
 この2つの作品は対になっているのではないか……、というのが私の感想だ。
 それにしても「中庭」とは何だろう。

 カフカの書いたある断片を思い出す――。
 屋根裏部屋で本を読んでいたひとりの学生が、中庭のほうから大きな悲鳴のような声がするのを聞く。「たぶん耳の錯覚だ」と、学生は独り言をいうが、ややあって、本の文字が凝縮し変形すると「錯覚ニアラズ」と読めた。「錯覚なんだよ」と、彼はくりかえして、不安定に動揺している行を、人差し指でなぞってもとに戻してやった。
      ~カフカ・セレクションⅠ 時空/認知「三軒の家がたがいに接していて」より

 さらにもう一つの断片――。
 それは夏の暑い日だった。妹と一緒に家へ帰る途中、あるお屋敷の中庭の戸口の前を通りかかった。思い上がった悪ふざけだったのか、ただ放心してぼんやりしていたせいなのか、よく判らないのだが、妹がその扉を叩いた。……
 ……部屋は農家の一室というより、刑務所の独房に似ていた。大きな石の張り詰められた床、寒々とした灰色の壁。そこには鉄の輪が埋め込まれて吊り下がり、中央には裸の寝台とも見え、また手術台とも見える大きな机が置かれていた。
 ……私には牢獄の空気ではない空気の味が、まだわかるのだろうか? これは大きな問題だ。いや、もし仮に赦免の可能性があるのなら、それが大きな問題になるだろう、ということなのだが。
            ~カフカ・セレクションⅡ~運動/拘束「中庭への扉を叩く」より

 もう一つ、筆の先から滴る血は、一人の青年に惨殺されることになる老婆の血をも思い出させる。

 ……ちょうどそのとき、下の中庭のほうで、だれかの叫び声が響きわたった。
 「六時はとっくにまわってるぞ!」
 「とっくにだと! しまった!」
 ……猫のように注意深く足音をしのばせながら、ラスコーリニコフは十三段の階段を降りはじめる。……そして彼は庭番小屋から、例の一人の老婆を打ち殺すことになる斧を盗み出すのだ。
 〈こいつは理性じゃない、悪魔のしわざだ!〉

 私は体育館を出ると、月に照らしだされた校庭=中庭に一人佇んだ。
 言いようにない静寂があたりを包み込み、私は私を見つめる何者かの眼差しを背後に感じていた。

レヒニッツ(皆殺しの天使)

2012-11-14 | 演劇
 11月9日、フェスティバル/トーキョーの主催演目、「レヒニッツ(皆殺しの天使)」を観た。作:エルフリーデ・イェリネク、演出:ヨッシ・ヴィーラー、製作:ミュンヘン・カンマーシュピーレ劇場、会場:東京芸術劇場プレイハウス。

 第二次世界大戦の終結も間近なある夜、オーストリア=ハンガリー帝国国境付近のレヒニッツ村の城で、ナチス親衛隊、ゲシュタポ、地元ナチ党党員による「友愛パーティ」が開かれ、その最中、パーティの余興として200人弱のユダヤ人強制労働従事者が虐殺された。
 本作はその酸鼻を極めた事件をもとに、ノーベル賞受賞作家エルフリーデ・イェリネクが書いた戯曲に基づく作品である。
 舞台上には5人の「報告者」が登場し、事件の詳細を語ろうとするが、彼らの証言は、重複や脱線を繰り返し、語り手が誰なのか、どの立場の者(=加害者、被害者、観察者)なのかさえあやふやなまま、矛盾を孕みつつ迷走する。

 この事件は、戦後、捜査の最中に目撃者が殺害されたこともあり、銃声や撃たれた人々の悲鳴については人々の口から口へと伝えられながら、真実は闇の中に深く隠微されたまま沈黙の壁によって遮断されているという。
 イェリネクは、多言語を用い、言葉を不規則に分解し、膨張させ、饒舌にお喋りを続けながらも真実を語らないことで沈黙を貫こうとする人々の状況を焙り出す。

 プログラムに書かれたドラマトゥルクのユリア・ロホテの言葉――、
 「……第二次世界大戦の被害者・加害者・目撃者が刻々と減っている中、今日の報告者の証言に関する状況はどのようなものになるのだろうか。
 歴史は引火点であり続ける、それを消し去ることはできない。誰かが消し去ろうとすればするほど、それは燃え上がる。……」

 この舞台を観ながら、例えば現在の日韓両国をめぐる状況、従軍慰安婦に関する様々な言説を想起することは容易だろう。証拠がないから事実がなかったのではないということを、歴史に向き合う中で私たちは真摯に考え続けなければならない。

 さて、そうは言いながら、この舞台、言葉が一切分からない私のような日本人観客にとって、これをどのように受け止め、評価するかは難しい問題だ、というのが正直な感想だ。
 言葉の意味は字幕によって知らされるけれど、それが省略によるものなのか、意訳なのか悪訳なのか、原文に忠実ゆえの意味不明さなのか、咀嚼できないまま苛立ってしまうのだ。
 以前、作家の故・丸谷才一氏が、2011年4月、シアターイワトでの公演「演劇でもオペラでもない、作品でさえないこころみ」に立ち会っての感想を書いていたのを思い出す。確か今年の1月、ピアニストの高橋悠治氏の著作に対する書評の中での感想だ。
 「感覚の斬新と趣向の妙と豊かなエネルギーに熱中したり、疲れ果てたりした。」と作家は書くのだ。
 「文学の場合と違い、パフォーミング・アーツは、テクストを読み返したり、飛ばし読みしたりするわけにはいかない。そういうジョイスやプルーストやカフカの読者の特権はわれわれには与えられていないから、芸術の新しい形態や方向を探求することの当事者となる者、すなわち享受者の責任の取り方はむずかしい。」

 文学者と舞台芸術家の感性の相違を面白く感じながら、おそらくはつまらなかったのだろうと思われる舞台の感想をさすがにうまく表現するものだなあと感心したものだが、この「レヒニッツ(皆殺しの天使)」を観ながら、私はそんな言葉を思い返していたのだった。


桜姫東文章

2012-08-30 | 演劇
 四世鶴屋南北の「桜姫東文章」を観た。新橋演舞場での「八月花形歌舞伎」、16日(木)昼の部である。
 不勉強なことに私が歌舞伎を観ることはめったにないのだが、最近になって、月に2度は歌舞伎見物に足を運ぶという方と知り合いになり、折に触れて話をするうちに何だか無性に舞台を観たくなったのだ。
 この日の配役は、桜姫(稚児・白菊丸と二役):中村福助、清玄阿闍梨:片岡愛之助、釣鐘権助:市川海老蔵、役僧・残月:片岡市蔵、局・長浦:市村萬次郎等々の顔ぶれ。

 この作品であるが、文化14(1817)年3月、江戸河原崎座で初演されたのちは長らく上演の機会がなく、ようやく昭和になって再評価されることとなった。
 戦後では、昭和34年11月、昭和35年10月に三島由紀夫監修、巌谷槇一補綴、久保田万太郎演出により部分上演されたのち、昭和42(1967)年3月、国立劇場において、郡司正勝の補綴・演出により通し狂言として150年ぶりに復活上演された。
 この時の桜姫は中村雀右衛門、白菊丸をまだ十代の坂東玉三郎が演じている。
 以来、「東海道四谷怪談」に匹敵する南北の人気作品として上演を重ねているのである。

 その筋立てはと言えば、清水寺の僧・清玄が桜姫に恋心を抱いて破戒した末に亡霊となってなおも執着する物語であり、かたや公家吉田家の息女・桜姫は、かつて自らの操を奪った悪党・権助を忘れられず、その恋のため遊女にまで転落するという物語である。
 文化年間に実際に起こった事件を基にした「清玄桜姫物」と能の素材となった「隅田川物」の世界を融合させた作品でもある。
 よくよく考えれば辻褄の合わない場面が多く、突っ込みどころ満載の芝居でもあるのだが、演出の石川耕士氏によれば、「面白くすること優先の力業、濡れ場も滑稽も次から次へと繰り出されて飽きさせず、そのためには無理な展開もやってのけるのが、おみごと!というしかない」と言うことらしく、まさにそうなのだろう。
 ある種の貴種流離譚であり、高貴なお姫様や僧が戒律を破り、一途な恋のために転落し、死んでまでも執着しようとするそのさまはむしろあっぱれでもある。あらゆる価値観が転倒し、世界のタガが外れたような底抜けの明るさと底知れぬ闇の深さが同時に提示されるその舞台は、現代社会の反映のようでもある。だからこそ、この作品は今も観客の支持を得て上演され続けているのだろう。
 私がもっとも心惹かれたのは三幕目「岩淵庵室の場」幕切れの場面であるが、清玄惨殺と女郎に身を窶す覚悟を決めた桜姫と権助の道行きを描く凄惨な場にもかかわらず、ぼろぼろの菰をまとい、闇に向かって花道をゆく二人の姿はこのうえなく美しい……。

 ちなみに私がこの作品を観るのは二度目のことで、実は35年前にも観ている。昭和52年3月のことで、場所は京都南座であった。
 配役は、桜姫(稚児・白菊丸と二役):坂東玉三郎、清玄阿闍梨:市川海老蔵(現・團十郎、釣鐘権助:片岡孝夫(現・仁左衛門)である。
 この時、玉三郎は26歳くらいか。團十郎、仁左衛門の二人の大御所も当時は三十代半ばだったはずで、いわば若手中心の座組みなのだったが、私にとってこの時の芝居体験は決定的なものとして未だに忘れられないものだ。
 その年の12月に今の海老蔵が生まれ、今年、同じ作品の舞台に立っていることを考えるとさらに感慨深い。芸というものはこうやって受け継がれていくのだ。
 さて、玉三郎の桜姫は、高貴な姫様言葉と安女郎の伝法な言葉遣いの交じり合った様子が何とも可愛らしかったし、福助の桜姫はこのうえなく艶めかしい。桜姫と権助の濡れ場はたとえようもなくミダラでエロっぽく、こんな淫靡で退廃的な舞台を世の女性客は夏の真昼間から手に汗して見ているのである。これぞ芝居見物の醍醐味!と言わずして何と言おう。

 今年、市川猿之助を襲名した亀治郎が、テレビのインタビューでこんな話をしていた。
 「記憶の中で、昔観た芝居の舞台は美化されていく。自分はその美化された世界を超えるものを創りたい……」
 たしかにそのとおり。時間の経過の中で記憶は修正され、美化されていく。時の積み重なりの過程で出会いがあり、別れがあり、喜びと哀しみと様々な思い出を身に纏いながら舞台の記憶は新たな物語を紡ぎ出すだろう。
 そうしたもろもろのことをひっくるめた丸ごと全てが「演劇を観る」ということにほかならないのである。

音読展覧会

2012-05-10 | 演劇
 先月のはじめ観た「青色文庫―其壱、吉田小夏の筆跡―」と題された「青☆組、ことばの音読展覧会」についてメモしておこう。
 題名のとおり、劇作家・演出家の吉田小夏のこれまでの戯曲を年代順に音読することで、作家自身の個人史を垣間見えるように展示した試み、と言ってよいだろうか。

 13歳の時に書いた「青ずきんちゃん」をはじめ、34歳となった昨年に初演された「幸福の王子」までの作品を日替わりで異なるユニットの俳優たちによって読み聞かせようとするもの。
 ドラマリーディングといってよいのかも知れないのだが、たとえば「青ずきんちゃん」では、4人の女優がト書きを読み、6人の登場人物を吉田小夏が一人で演じ分けるなんてやり方で意表をついていて、面白い。
 パンフレットの中に吉田が書いている「もし皆さんが押入れの整理整頓をした時、うっかり古い手紙のひとつも出てきたら、どうかこっそり声に出して読んでみて下さい。/音読された時、それはひとつの戯曲に変わるかもしれません。/言霊は人生のそこかしこに、全ての人のことばの中に、あなたの声の中に。」という言葉に共感する。
 私は二晩にわたって足を運んだのだが、そうやって届けられた音読の豊かさを深く味わった60分間だった。

 会場は、目白駅から歩いて7、8分の所にある古民家ギャラリー「ゆうど」。
 20人も入ればいっぱいの畳の部屋で、ため息のように微かな言葉もしっかりと心に響く。こんな時間が私は好きだ。
 「幸福の王子」は、昨年、違う演出家のカンパニーで上演されたものを観たのだが、また異なる魅力を感じた。
 よい時間だった。

舞台版「田園に死す」

2012-03-05 | 演劇
 2月11日(土)、流山児★事務所の演劇公演「田園に死す」を観た。
 原作:寺山修司、脚色・構成・演出:天野天街、音楽:J・A・シーザー、企画:流山児祥、会場:下北沢スズナリ。
 うかうかしていたらもうひと月近くも前のことなので驚いている。2009年の初演に続いて2度目の観劇で、記憶に深く刻まれる舞台となった。
 ただ、38年前、1974(昭和49)年の1月に新宿アートシアターで観た映画「田園に死す」ほどの衝撃と切迫感があったかというとそれは何とも言えない。それほど映画の印象は鮮明なものとして今も私の中に生き続けている。主人公の少年が駆け落ちしようとする隣家の人妻・化鳥を演じた八千草薫の匂い立つような美しさもまた鮮烈な思い出とともに私の中にあり、つい最近観た舞台の印象を凌駕するようだ。
 それは不思議でも何でもないのであって、まさにそんな記憶の虚構性こそが寺山修司の仕掛けた命題でもあるのだろう。

 「個の記憶の一切は比喩である、他国の出来事である」という寺山は、この映画を「一人の青年の“記憶の修正の試み”を通して、彼自身の(同時にわれわれ全体の)アイデンティティの在所を追求しようとするものである」と言っているが、38年前にこの映画を観たという事実も、1か月前に芝居を観たことすらも、それは私がそう思い込んでいるに過ぎないことであって、事実たることを何ら証明しない。
 それは誰か他人の記憶をただ借りただけのことかも知れないのである。そんな曖昧な記憶=歴史によって私自身の人生が当然のごとく既定されているかのように思えることこそが不気味なのだ。

 さて、舞台版「田園に死す」は当然のごとく映画の再現を目的としたものではない。
 挿入される数多くの歌曲は映画からのものであるにしても、舞台そのものは映画作品の引用による、現在の作り手たちの新たな作品と言えるだろう。そのことは、他人の作品からの引用魔でもあった寺山自身にとっても好ましいことであるに違いない。
 そもそも他人の作品の「再現」など、出来はしないし、意味もないのだから……。
 
 舞台版では、主人公シンジが2人にも3人にも増幅して現れる。双子のサーカス団員の登場やセリフの暴力的なまでのリフレインに象徴されるように、これはまさに増殖し、拡散する情報によって個人が蹂躙される社会となった現代における「個」のアイデンティティの揺らぎやあやふやさを表出したものと言えなくはないだろうが、まあ、無理やりそんな後付けの「解釈」をすることよりも劇世界にどっぷり漬かって楽しみたいものだ。
 多用される暗転と瞬間的な場面転換の妙はより洗練され、演出の冴えが随所に光っていた。よい舞台である。

 さて、映画「田園に死す」を撮った時、寺山修司は38歳だった。それから38年の時間が経過した。つまり、今も寺山が存命だったとして、ちょうど人生の折り返し点に位置するのがこの作品だったわけである。
 客席には、テラヤマと同世代とおぼしき観客から、新たに彼を発見したとでも言いたそうな若い観客まで、さまざまな世代の人々が入り交じっていた。
 来年は寺山修司没後30年の年でもあるが、その業績はいままさに再検証され、発見される時を迎えたと言えるのかも知れない。

舞台版トンマッコルへようこそ

2012-02-03 | 演劇
 今年になってすでに12分の1が過ぎてしまった、と思うのか、まだ11か月もある、と思うのかは人それぞれだろうが、私自身はいささか焦り気味の毎日である。
 こうしてノートを書くことすらままならない忙しさ、なんてことはない筈なのに、いつの間にか時間ばかりが過ぎていく。こうした思いは誰しも共通のものではないだろうか。
 これまでいくつも映画も舞台も観ているのに、ちゃんとした感想を書いていない。ちゃんとした感想など書こうとするからいけないので、私は評論家でも何でもない。とにかく記録だけでもメモしておこう。
 
 先月27日(金)に観たのが、東池袋「あうるすぽっと」で開催されていた日韓演劇フェスティバルの演目の一つ、「トンマッコルへようこそ」である。
 作:チャン・ジン、翻訳:洪明花、演出・美術:東憲司(劇団桟敷童子)、主催:日本演出者協会、韓国演劇演出者協会、ソウル演劇協会ほか。

 以前、評判になっていた映画版の「トンマッコルへようこそ」を観ていて、舞台版の本作は見逃せないと思っていたのだ。急遽空いた時間を使って、当日券を買い求めた。

 本作はもともと舞台劇であり、それがパク・クァンヒョン監督の長編第一作として映画化されたのだ。韓国では国民の6人に一人が観たといわれるほどの大ヒット映画で800万人を動員、2005年の最多観客動員数を記録したというのはご存じのとおりである。

 舞台は朝鮮戦争が激しさを増していた1950年11月。太白山脈の奥地にトンマッコルという小さい村があった。トンマッコルとは「子供のように純粋な村」という意味。村人たちは戦争が起きていることなど露知らず平穏に暮らしていた……。
 そんなある日、何ものかに引き寄せられるようにして村に3組の男たちが現れる。空から飛行機と共に落ちてきたアメリカ軍兵士、ヘルメットを被った韓国軍兵士たち、そして韓国と対立している人民軍兵士たちである。
 最初は敵対していた韓国軍兵士と人民軍兵士だったが、村人たちと暮らし、村の生活に親しんでいくうちにいつしか互いの敵対心が消えていくようになる。しかし戦争の脅威はいつしかこの村の背後にも忍び寄っていた……。

 ひと言でいって素晴らしい舞台だった。
 憎しみ合い、隙あらば相手を殺戮せんと対立する2組の兵士たち、その間で村人たちは我関せずとばかり平和な日常のなかにいる。その構図がまず明瞭にくっきりと描かれる。
 ブリューゲルの絵「イカロスの失墜」を私は思い出したが、神をも恐れず慢心して太陽に近づき過ぎたがために海に墜落してミジメに足をばたつかせるイカロスを顧みもせず、農耕にいそしむ農民たち……。そんな絵柄が思い浮かんだ。
 もちろんその彼らの中にも戦争の悲劇はあるのであり、家族たちはその悲しみを穏やかな顔のうちに隠し持っている、その姿が次第に明らかになっていく。

 東憲司の美術と演出によって観客はいきなり劇の世界に引きずり込まれるようだ。
 その手際が実にあざやかである。私はいきなり涙ぐんでしまった。舞台には語り手として「作家」が登場し、進行役となる。突然、芝居が中断され、その作家と役者たちが劇の進行をめぐって言い争ったりと、時にはメタ演劇の様相も呈しながら、情緒に流れがちな舞台を客観化する役割も担っているようだ。
 原作の舞台は3時間ほどの上演時間だそうで、それを今回は2時間にダイジェストしていると聞いたが、メジャー映画とアングラ演劇の幸福な融合との評もあるように、見応えのある実に良い舞台だった。

Zeitgeber/労働と演劇

2011-11-09 | 演劇
 5日(土)、フェスティバル/トーキョー11公募プログラム作品、「Zeitgeberツァイトゲーバー」を観た。
 私はドイツ語がまったく分からないのだけれど、このタイトルは、どうやら「同調因子=他のリズムに対して同調を強制する振動」を意味する言葉のようだ。
 作/村川拓也、工藤修三、演出/村川拓也、出演/工藤修三、於/シアターグリーンBIG TREE THEATER。

 舞台の設えはこうだ。出演者は工藤修三ひとり。彼は実際に障害者介護の仕事をしている人だという。観客の中から一人の女性(=俳優ではない)が選ばれ、舞台に上がる。彼女は上演中、出演者として舞台上に存在し続けることを要求される。
 彼女に与えられる条件は2つ。力を抜くことと、劇中で自分が望んでいることを言葉にして3回発声することだ。ちなみに私が観た日の女性は「おいしいものが食べたい」という言葉を選んでいた。
 彼女が力を抜いて横になった時から「芝居」は始まる。彼女は寝たきりで意思表示のできない障害者であるらしい。そこに工藤修三が現れる。彼は訪問介護ヘルパーなのだ。
 およそ70分ほどの時間、彼は彼女を相手にヘルパーの仕事、と思われることを淡々とこなしていく。寝たきりの彼女に着替えをさせ、小用をさせ、車椅子に乗せ、会話をする。その会話も彼女は口が聞ける訳ではないので、彼が「ア・カ・サ・タ・ナ……」「ア・イ・ウ・エ・オ・カキクケコ……」と音を発し、それに対する彼女の反応を感知し繋ぎ合わせることで言葉にしていく。その間、彼女はなすがまま、「おいしいものが食べたい」と言う以外は意思表示も自ら身体を動かすこともしない。
 実際に介護職であるという工藤修三はまさに本当に介護の仕事はこうなのだろうなあという「行為」を淡々と重ねていく。ただ、日常と異なるのは、彼が言葉を発する時、必ずコード付きのマイクを手に取り、声を発するということだ。
 その間、演出の村川拓也は舞台下手の縁に片膝を立てた状態で座り、無言のまま二人をただ観察し続ける……。

 本作についてプログラムあるいは演出家の言葉として紹介されているものを書きぬくとこの舞台作品は、
 「介護する/される身体を舞台上に再現するもの。本来の目的を失った労働の真似事=演劇は何を語り出すのだろう」
 「労働から目的を引き剥がす。目的を引き剥がされた労働は無機能だ。しかし、無機能なゆえに新たな機能を獲得することだってある」
 という問題意識のもとに構築されている。

 しかしながら、そうした問題意識そのものが格別目新しいわけではない。
 こういう言い方ができるだろう。
 演劇という芸術が舞台上に展開するものは、多かれ少なかれ何かの真似事の再現に過ぎないのだと。
 ここでいう「労働」という言葉を「恋愛」や「殺人」、あるいは「嫉妬」や「葛藤」に置き換えるならば、それは従来からの演劇における自明のこととして、これまでも長い演劇の歴史において営々と舞台上で繰り広げられてきたことなのではないだろうか。
 舞台上の身体=俳優=男あるいは女がそこで再現するものは、そもそも当の俳優同士の「恋愛」や「諍い」そのものではなくその「真似事」にほかならないのであって、舞台上で生身の彼らがお互いを好きになったり、恋愛の果てに子どもを産んだり、憎悪したりすることそのものを目的としたものではないからだ。

 この日の舞台上で彼が相手をするのは実際に障害を持った人ではなく、脱力した状態のまま横たわり、なされるがままでいることを指示された一人の観客である。彼の行為は当然ながら障害者を介護するということによって報酬を得る「労働」ではなく、その真似事としての再現に過ぎない。
 この作品の本質/意味を私が理解し得たとはとても思えないのだが、それでも私が深く興味を惹かれたのは、実際の介護者が舞台上で介護という労働を再現するという設えのなかに、脱力し、突然自分の言葉を発する女性や舞台の片隅から見つめ続ける演出者という異物を紛れ込ませ、いちいちマイクを通して声を出すという不自然な行為をあえて導入することで、それら一連の行為そのものが得も言われぬリアリティを獲得していたということである。
 それを私たち観客は客席の高いところから俯瞰するのである。

 この舞台には深く考えなければならない仕掛けがたくさんあったように思われるのだけれど、あえてそれをごく簡単に書きとめると、私は次のような感想を持った。

 まず第1に、リアリティに対する認識の転換ということである。
 この舞台において何よりも存在感を放っていたのが、舞台上に呼び込まれた観客の女性であった。ラストシーンで俳優の工藤修三がいなくなり、演出者の村川拓也もいなくなる。舞台に一人残され横たわる彼女にライトがあたり暗くなる。その瞬間、「介護される者」としての彼女の存在感はいかなる名優の演技をも凌ぐものとなった。
 この驚くべき価値の転換!

 第2に、日常性における演劇性を逆照射することの意味である。
 再現される介護労働の様相がいかに演劇性に満ちているかということを私たちはこの1時間のうちに知ることとなる。
 ここで、雑誌「世界」10月号所収の建築家・隈研吾と演劇作家で小説家の岡田利規の対談で語られていたことを思い起こしてもよいだろう。
 岡田は「僕が日常を描いている。……でも、かりに舞台上で行われる演技が日常と瓜二つの見た目をしていても、舞台そのものが非日常の空間であることは、揺るぎない事実なんですよね」と言い、「たとえば自然な演技をしようとするときに参照する『ふだんの自分』というのを、演技していないものとしてとらえようとすると、なにが自然なのかよく分からなくなって、かえってぎこちない演技になっていまいますよね。人は日常的に演技をしているという観点をもたないとキツいんです」と言う。
 これに対し、隈は「パブリックな建築が街の中心にそびえているのと同様に、じつは、自分のちっぽけな家も、一種の演劇として都市の中に表出している。日本人が意識することのなかった、日常に潜むあらゆる演劇性を逆照射する意味で、公共建築も公共性のある演劇も必要なのです」と言う。
 村川拓也の舞台には、まさにそうした日常の演劇性を逆照射する掛けがあったと感じる。
 それでは、「演劇」を通して「日常の演劇性」を逆照射することの意味とは何なのだろうか。
 この作品はある種の「メタ演劇」、演劇のための演劇とも言えるものだった。演劇の構造を突き詰め、深く考えることによって日常における演劇性の成り立ちを腑分けし、そのことをとおして現実の課題を浮かび上がらせ、解析することにつなげることができるのではないか。そう考える事はあながち的外れな話ではないだろう。

 第3に、コミュニケーションの回路が閉じられ、個別性・孤立性が高まった世界におけるほのかな「希望」の提示がこの舞台にはあった、ということである。
 村川がそんなことを声高にいうわけもなく、そうした意図を思わせぶりに感じさせるものがあったわけではないのだが、この80分足らずの時間を共有したのちの観客の心のどこかにそんな何かが残されたのではないか、と感じるのである。

 それこそが「演劇」の力というものだろうと思うのだ。

ユーリンタウン 再び

2011-10-30 | 演劇
 10月22日(土)、流山児★事務所公演「ユーリンタウン―URINETOWN The Musical」を観た。脚本・詞:グレッグ・コティス、音楽・詞:マーク・ホルマン、翻訳:吉原豊司、台本:坂手洋二、演出:流山児祥、於:座・高円寺1。

 ストーリーの舞台はすでにご案内のとおり、地球上の旱魃により節水を余儀なくされた近未来のある街。誰もが有料公衆トイレの使用を法的に義務付けられていた。立ちションなどしたら最後、警官ロックストックらに逮捕され、誰もが恐れが誰もが見たことのない「ユーリンタウン」に送り込まれることになっていた。
 全てのトイレを管理しているのは、冷血クラウドことコールドウェル・クラッドウェルの経営するUCC社。この理不尽極まりない法律はクラウド社長が賄賂と政治力によって作り上げたもの。
 貧民街では、今朝も金がなくトイレを使えないホームレス達が大騒ぎを起こしているが、管理人ペニーは容赦がない。そんな中、管理人助手ボビーの父親ストロングじいさんがガマンしきれずに立ちションをし、「ユーリンタウン」に送られてしまう。
 ボビーは失意の中、美しい娘ホープに出会い、自分のなすべきことに気づく。それは自由も求めて「革命」を起こすことだった。
 ボビーがついにクラッドウェルらと対峙した時、ホープが彼の愛娘だということを知る・・・・・・。

 本作は、2009年、流山児★事務所創立25周年記念公演ならびに座・高円寺の杮落とし公演として上演され、大きな話題となるとともに第44回紀伊国屋演劇賞ほか数々の受賞によって高い評価を得ることとなった作品の再演である。
 私は2年前に驚くほど感動して再見したほどだったから、今回は3回目の観劇となる。
 舞台セットを新たにし、警官ロックストック役が千葉哲也から別所哲也になり、若手俳優の多くも入れ替わってテキストを読み直し、ほぼ「新作」として創り上げた群衆革命ミュージカルである。

 別所哲也の起用が一つのポイントと思うのだが、同じ哲也ながら、前回ロックストックを演じた千葉哲也が私は好きだった、というか、この群衆ミュージカルには、別所哲也のような「売れている」ミュージカル俳優の存在はやや目立ちすぎるのである。いろいろな意味で・・・・・・。
 立ち姿が際立って美しく、歌ももちろん巧みでこれ以上望むことはないのだが、狂言回しとしてのその時々に見せる「誰もが知っている俳優」別所哲也がわざとらしく演じる「地」が何ともジャマに思えてならない。もっとも多くのお客さんはそれで喜んでいるのだからわざわざ異を唱えることもないのだけれどね。

 さて、作品である。
 本作がありきたりなハッピーエンドに終わらないことは周知のことだが、改めて3・11後の今になってこの舞台を観ると、そのシニカルな批評性に慄然とせざるを得ない。
 ユーリンタウンは水不足の世界なのだが、これを電力不足の世界に置き換えてみたらどうだろう。
 私たちが今まさに直面している問題の数々が浮かび上がってくるのではないだろうか。

 本作の優れているところはある種の韜晦性にあると私は思うのだが、作者はもちろん、革命をめざす群衆と、水を支配することで世界の秩序立てを目論む冷血クラウドのいずれに与することはなく、そのどちらの側にも冷徹な目を向け続ける。
 それゆえにこそ、それは原発廃止論者にとっても、擁護派にとっても、深い「絶望」のありようとともに、複雑に入り組み捩れた問題の底から何としてでも見出すべき「希望」のカタチを提示しているように思えるのである。

無防備映画都市

2011-09-30 | 演劇
 24日(土)、「無防備映画都市―ルール地方三部作・第二部」を豊洲公園西側横野外特設会場で観た。作・演出:ルネ・ポレシュ、舞台美術:ベルト・ノイマン、製作:フォルクスビューネ、ベルリン。フェスティバル/トーキョー11の演目の一つである。
 晴海運河に面した豊洲の広大な空き地に出現した「映画撮影所=チネチッタ」で男女5人の映画クルーが撮影を始める……。

 本作はその副題にあるように、2008年から10年にわたって、ルネ・ポレシュ、ベルト・ノイマンらによって一年に一作ずつ、ドイツ西部にあるミュールハイム・アン・デア・ルールという人口約16万人の町で上演された作品の一つである。
 上演パンフレットによれば、ルール地方は、炭鉱地域・重工業地帯として19世紀後半の急激な経済成長を支えてきた地域であり、1970年代からの石炭需要衰退による失業など産業構造の変化を受けた社会問題が、西ドイツで最もはっきり表れた地域であるという。
 作品の中で引用されるのは、ロッセリーニの一連の映画「無防備都市」(1945年)、「戦火のかなた」(1946年)、「ドイツ零年」(1948年)のいわゆる「戦争三部作」であり、フェリーニの「81/2」といった映画の数々であり、それらに触発される形でこの作品は創られている。
 正直に言って、言葉を理解できない私には、字幕とスクリーンに映し出された映像、実際の舞台セット、俳優たちの動きを同時に捉えることができず、当然ながら作品の全容を把握し理解することは困難なままだ。
 にもかかわらず、この作品が忘れ難い印象をもたらしたと思えるのは、音楽や台詞のリズム、絶妙のセットを含めたロケーション、そして何よりも俳優たちの自在な演技がそれだけの力を持っていたということなのだろう。
 2005年3月に世田谷パブリックシアターで観たフォルクスビューネ・アム・ローザルクセンブルク・プラッツによる「終着駅アメリカ」(東京国際芸術祭TIF)を思い出すが、以来、私はドイツ演劇の俳優たちの演技に深く魅せられている。
 そういえばあの時の舞台美術もまたベルト・ノイマンだったのだ。

 本作は、過去の映画を補助線として現代の社会的問題を浮き彫りにしながら、多様な視点と手法によって怒りや哄笑を喚起しつつ、思索を深める作用を観る者にもたらす。
 同時に、荒廃したルール地方の何もない場所に現れた舞台セットがその地域の人々と観客との交流をも生み出す効果をもたらしたという。
 その創り手たちのもくろみは果たしてこの東京・豊洲でもなし得たのだろうか?

 そんなことを考えていて、ちょうどいま読んでいる「デザインの教科書」(講談社現代新書)に触発される部分があった。その本の中で著者の柏木博は次のように言っている。(以下、一部抜粋要約引用陳謝)

 ・・・・・・20世紀後半は、マーケットの論理によってデザインが実践された面が強い。
 20世紀に広がった市場は、「大量消費」を目指す歴史的に例のない市場だ。消費社会の拡大である。
 「マーケティング」は、市場を人工的に組織するための実践的活動として20世紀に出現した。
 マーケティングによってデザインが決定されるという現象が20世紀末には、きわめて強くなり、人々の消費への欲望がテーマになってしまった。
 その結果、使い捨てられるデザイン、スクラップ・アンド・ビルドのデザインが広がった。
 スクラップ・アンド・ビルドのデザインは、消費社会の市場を活性化させているが、それは廃棄物を増大させ、またエネルギー消費を増大させ続けている。
 低コストだと主張されてきた原子力発電は、設備そのもののコストも膨大であるが、廃棄物の処理に法外なコストがかかる。
 フランスの思想家ポール・ヴィリリオが指摘しているように、機械装置は、かならず故障と事故がつきものである。そして、原発に事故や故障が起こったときには、通常の市場経済では考えられないほどのコストと健康被害を生むことになる。
(以上、引用)

 ベンヤミンはものの廃棄に目を向け、そこに歴史を読みとろうとしていたそうだが、たしかに私たちの排出したボロや屑のなかには私たち自身の人生が埋め込まれているのだろう。さらに言えば、私たちの文明=世界が埋め込まれていると言ってもよいかも知れない。

 この作品を観ながら、豊洲公園から運河越しに眺める東京のビル群は借景として美しすぎるようにも思われたのだが、そこが埋め立てられた土地に構築された都市であることに思い至る時、その光景はまるで違ったものに思えてくる。
 目の前で繰り広げられる舞台セットの側から私たち観客席を見たそのはるか後方には夢の島コロシアムがあり、数日前に観たばかりの「宮澤賢治/夢の島」のあの光景が重なって見えるのだ。
 ゴミの廃棄場所だった夢の島で繰り広げられた「わたくしという現象」「じめん」を背景としてこの「無防備映画都市」に重ね合わせたとき、そこに現れるのは、紛れもない私たちの世界がいま置かれている状況にほかならないのである。
 2つの作品は互いにつながり合い、呼応し合っていたのだ。

 このたびの震災の被災地の多くは、古い産業を抱え込み、過疎化傾向にあった地域だという。そうした地域の問題もまた、ルール地方の抱える社会的背景と重なり合っているのだろう。そう考えると、本作はまさに、いま、この日本でこそ上演されるに相応しい作品だったのだと感得されるのである。

 さて、大量の廃棄物を生む消費者たる「大衆」の娯楽としての「映画」というものをこの作品は補助線としていると改めて思いながら、戯れにそうした目論みをこの日本において試みようとした場合、どんな映画作品が思い浮かぶだろうかと考える。
 黒澤明の「野良犬」あるいは「酔いどれ天使」か、それに「生きものの記録」を加えてよいかも知れない。
 さらにもう一つ、黒澤の晩年期の作品「夢」がある。それが発表された時、あまりに素朴で真っ直ぐな映画表現に何となく物足りなさを感じたものだが、改めてその中の「赤冨士」や「鬼哭」を思い出すと、それらが原子力発電所の爆発によって荒廃した世界を描いた、映画の発表から20年後の現実世界を予兆した作品であったことに今さらながら粛然とさせられる。

 そんなことを思いつつ、自身が創ろうとする舞台のことを夢想する。「無防備映画都市」は、そんな楽しみをも与えてくれる忘れ難い作品なのだった。


宮澤賢治/夢の島から

2011-09-24 | 演劇
 17日、都立夢の島公園内の多目的コロシアムにおいて、フェスティバル/トーキョー11オープニング委嘱作品「宮澤賢治/夢の島から」を観た。
 2部に分かれた野外公演で、前半がロメオ・カステルッチ構成・演出作品「わたくしという現象」、後半が飴屋法水構成・演出作品「じめん」である。

 これはおそらくパフォーミング・アーツの歴史に残る作品であったと確信する。
 その場に立ち合っていることの幸せと戦慄を覚えながらも、目の前で繰り広げられているものを何と名づければよいのか、困惑もしていたのだった。
 演劇でもない、舞台芸術でもない、言い知れぬ現実感とたしかに《芸術》としか呼べないような結晶された透明な時間。それを《現象》といってよいのかも知れないのだけれど。

 実はその前日の16日にも会場に足を運んだのだが、時間の都合から2部の「じめん」のみをコロシアムの後方から観客と舞台を俯瞰する形で観たのだった。翌日には観客=参加者の一員としてその中にいたことになり、その両方を観られたことは貴重な体験だった。
 2日目には当日客が300人を数えたと聞くが、印象としては観客が初日の3倍にも膨れ上がったと感じたほどだ。1400人もの観客がコロシアムを周回しながら入場する様はまさに壮観だったと言える。その瞬間、観客もまたパフォーマーの一員として「劇的現象」のなかに参加していたのである。

 入場の際、観客は一人ひとり竿のついた大きな旗状の白いビニールの布を手渡される。それをはためかせつつ、コロシアムを取り巻くように歩みを進める群衆は果たして何者なのか。
 やがて眼前に数百もの白い椅子が整然と並べられているのを私たちは目にする。それは私たちのために用意された観客席なのではなかった。訝しみながらそれらを取り囲むように座り込んだ私たちを無人の観客席から見つめるものたち……。
 いつしか静寂が訪れ、広大なコロシアムに集った私たちの頭上を風に乗った雲が飛び交い、木々と葉叢がざわめき、またたく星月夜を背景にヘリコプターが行き交う。これは近未来における宮澤賢治の世界なのかも知れない。
 と、突然、ひとつの椅子が倒れ、それが2つ、3つと連鎖し始めたかと思う間もなく、数百の椅子が波打つようになぎ倒され、広大な草むらの上を津波となって押し流されていく。
 観客がそこに思い描くのは、3月11日に脳裏に刻んだあの光景なのだ。やがて、丘の向こうから白い服の人々が大きな旗を持って現れる。それに呼応するようにすべての観客が立ち上がり、旗を振って応える。私たちは観客であると同時に、被災者であり、避難民であったことを知るのだ。

 第2部の「じめん」は、さらに多くの隠喩や過去の映画作品からの引用に彩られ、ユーモラスな衣を纏いながらも、それゆえに悲劇性を帯びた作品といえる。
 そこに登場するのは、地質学者たる少年・宮澤賢治であり、自ら発見した物質によって被爆したマリー・キュリーであり、映画「猿の惑星」の登場人物たちである。
 さらには「2001年宇宙の旅」に現れた猿人たちに知恵を授ける謎の物体モノリスが禍々しい姿で空間を圧し、透明な風船で模られた原子爆弾がぷかぷかと空に浮かび、風に煽られては危うい形で横倒しとなる。
 そして、それらの道具立てによって「劇」の展開するその場所が、東京のゴミの埋め立て地であり、「夢の島」と名づけられた場所であることの意味・・・・・・。紛れもない、私たちの唯一無二の現実世界。
 それらが一体となってこの作品は「伝説」となったのだ。

 2日間限りの公演であったが、集まったおよそ2千数百人の観客によってこの作品はのちのちまで語り継がれるに違いない。
 そんなことを思いつつ、30数年前、同じ夢の島で上演された状況劇場の「唐版 風の又三郎」の忘れがたいシーンの数々を思い浮かべていた。

 余談。同じ日、東京・調布市の味の素スタジアムではドリームズ・カム・トゥルーのコンサートが行われ、2日間で10万人の観客が動員されたという。
 これをどう考えるか。


おもいのまま

2011-08-02 | 演劇
 7月7日に観た舞台「おもいのまま」について記録しておく。もうひと月近くも前のことになろうというのに、時おり思い出してしまうのはそれだけの奥深さを持った作品だったということなのだろう。
 演出・美術・音楽デザイン:飴屋法水、脚本:中島新、出演:石田えり、音尾琢真、山中崇、佐野史郎、会場:あうるすぽっと。

 ある幸せに暮らす夫婦の前に突然現れる2人組の来訪者。彼らはあるテレビ番組のニュースキャスターを名乗り、取材を申し出る……が、玄関に入り込むや否や態度を豹変させた彼らは傍若無人なふるまいである事件に関与したはずとばかり夫婦を執拗に尋問していく。その過程で次第に暴かれていく夫婦の「秘密」……というのが、この芝居の大筋である。
 どこかイギリスの劇作家ブリーストリーの名作「夜の来訪者」を思わせるけれど、大きく違っているのが、2人組の来訪者がどうにも胡散臭い告発者であることだ。
 この2人は、真実を暴く正義の報道キャスターなどではなく、なかったことをあったように捻じ曲げ、でっち上げながら、夫婦に対してその自白を拷問まがいの手口で強要するのだ。やがて追いつめられた夫は妻の前で自身の秘密をさらけ出して行く……。

 この芝居の面白さは、大きく2部構成に分かれた前半では救いようのない展開で悲劇的な終焉を迎えたものが、後半の舞台では、同じシチュエーションで同じ場面が繰り返されると思わせながら、闖入者とのやり取りで家の主人たちが前半とは異なる対応を選択することで、まったくちがった結末を迎えるという構造にある。
 これは、舞台の企画者でもある石田えりが、ある救いのない映画の結末を観て怒りを覚えたことからの発案という話を聞いたことがあるけれど、そう単純素朴に割り切れるストーリーではなく、観客は、パラレルワールドを思わせる異空間を見せつけられたような、あるいは、奇妙な既視感によって得体の知れない世界に入り込んだような感覚を味わうことになる。
 観客は、いたぶられる夫に感情移入しながらも、どこか残忍な視線でその動向を観察することになる。それは、どこか鳥かごを思わせるこの家の舞台セットが、愛玩するペットの死を目の当たりにしたような飼い主の視点を誘発するからだろうか。
 飴屋法水の美術と音響デザインは、丁寧で入念な演出と相まって、極めてリアルなザラツキ感と非現実的な世界を如何なく構築している。
 それは多様な選択肢の中から私たち自身が選び取ってきたはずの現在の社会状況や政治情勢を端的に表しているとも思える。
 それゆえにか、この芝居のラスト、唐突でもあり、とってつけたような希望を感じさせるエンディングに居心地の悪さを覚えつつ、私たち観客は、この世界の虚構性を思い知ることになるのだ。

 最後になって、私は、もしかしたらこの舞台上で演じられた時間のすべてが、平穏な応接間のなかでまどろみながら夢に見た妻(石田えり)の妄想なのではないかとも感じたのだったが、どうだろう。

 そんなあらぬ考えもまたあり得ないことではないと、ラストシーンにおける彼女の無垢で無邪気な笑顔を見ながら思ったのだ。
 突然襲い掛かった災厄のもと、嵐のような夫婦の危機を乗り越えたあとの平穏を思わせつつ、そんな複雑な仕掛けも秘めた心に残る舞台だった。

血の婚礼

2011-07-04 | 演劇
1日、にしすがも創造舎体育館特設劇場にて、Bunkamura大規模修繕劇団旗揚げ公演と銘打った舞台、「血の婚礼」を観た。
 作:清水邦夫、演出:蜷川幸雄、出演:窪塚洋介、中島朋子、丸山智己、田島優成、近藤公園、青山達三、高橋和也、伊藤蘭ほか。

 周知のようにガルシア・ロルカの同名戯曲に清水邦夫がインスピレーションを得て執筆された作品で、すでに幾度も蜷川演出によって再演を重ねているのだが、実を言うと私は今回が初見である。1993年に銀座セゾン劇場で上演された際には、知人の大石継太が北の弟を演じていたというのに。
 四半世紀にもわたって再演を繰り返される作品というのは幸せだが、それだけの普遍性とともに、時代を照射する光源の強さをこの戯曲は持っているということなのだろう。演出家もまたその都度、戯曲を読み替え、読み直し、時代の感性や言葉と切り結んできたはずなのだ。

 いわゆる通常の劇場ではない空間で繰り広げられる劇世界にはこれまでとは違った緊迫感や現実感が満ち溢れていたに違いない。
 とりわけ3・11後の世界に生きる私たちにとって、この舞台には実に多様な意味=暗喩が満ち満ちているように思える。
 あまり作品を大震災にばかり引き付けて解釈することは望ましいことではないと思いつつも、作品全体を包み込む、無念のうちに死んでいった人たちへの鎮魂の思いに胸が熱くなる。

 誰とも知れない交信不能の相手に向かってひたすら言葉を発するトランシーバーの少年は、ネット社会のコミュニケーションのあり様を反照射しつつ、SOSを発しながらその声の届かぬことを悲嘆する被災地の人々を思わせずにはいないし、劇の半分以上の時間、舞台上に降り続ける激しい雨は津波に呑み込まれた世界を否応なく想起させるだろう。
 突然の闇の中、蝋燭の灯りだけで演じられる後半の舞台では、一気に雨のやんだあとの静寂の中、囁き声すらがくっきりとした輪郭を持ち、言葉は研ぎ澄まされた力を持って観客の胸を抉る。それは、原子力の事故によって電気の途絶した世界を思わせるようだ。
 雨と光の中を行進する少年少女鼓笛隊は、行方不明となった死者たちの魂を送る葬列のようでもあり、災厄の訪れを知らせる伝令のようでもある。
 それら、数え上げれば限りのない多様な意味を超え、無辜の民の詠嘆を群像劇として、さらには舞台上に現出するイメージとして具体化した蜷川演出は今もなお青春の血なまぐささを湛えながら輝いている。
 忘れ難いものとしていつまでも記憶に残るだろう舞台に立ち会うことの充実感に満ちた時間だった。

NOISES OFF

2011-06-29 | 演劇
 前回、「NOISES OFFノイゼス オフ」の舞台について、「出演する俳優には、体力をはじめ神経的にも相当過酷を強いる芝居・・・」という感想を書いたばかりだったのだが、25日のマチネ公演の最中に出演者の成河(ソンハ)が怪我をしてしまい、同日夜と翌日千秋楽の公演が中止になったとのニュースが流れた。
 この舞台での成河(ソンハ)の演技はまさに身体を張ったコメディアンぶりで瞠目に値するものだった。終盤、床のマットに足をとられ、宙に身を投げ出しながら顔面から前のめりに倒れる場面があったのだが、無声映画時代のチャップリンやバスター・キートン、あるいは榎本健一などの往年の喜劇役者を髣髴とさせる演技だった。
 怪我をしたのは別の場面だったようだが、それだけ危険と隣り合わせの場面の連続だったのだろう。

 そうした危険を回避するために、俳優は稽古を積み重ね、何度もタイミングを計り、小道具の配置や衣装のチェックなど入念な準備をするわけなのだが、それでも本番の舞台には予期せぬ間や空隙が生じるようで、そこに足を踏み込んでしまった役者は思わぬ冷汗をかくことになる。
 その場に立つことになった役者は、それこそ世界全体が崩壊するのを必死になって食い止めようとあらゆる手立てを使って足掻くしかないのだ。決して裏方でのそうしたドタバタを表の舞台に出してはならないというのが、暗黙の、絶対的なルールなのだが、それがいつしか公然と表舞台に出てしまい、気がつくと台本に書かれたものとは似ても似つかない世界がそこに現出することになる。まさに、タガの外れた、背骨のない巨大な怪獣が舞台にのさばり出すのだ。
 「NOISES OFFノイゼス オフ」は、そうした世界を描いている、とも言えるだろう。
 今の政治状況のことは口にするまいと思ってはいてもどうしても連想してしまう。この何日かの政権与党をとりまくドタバタは笑えぬ喜劇と言うしかないではないか。
 演劇の持つ批評性がそこにあると言ってもよいのだろう。

 成河(ソンハ)氏には誠に気の毒だが、そうした舞台の意図を予期せぬ形で体現してしまったということかも知れない。十分に治療し、身体を休めて一日も早く舞台に無事復帰されることを願う。