9月になりました。
いくらか過ごしやすくなってきましたが……しかし、まだまだ暑い日が続きます。
そんな暑い日々にうってつけの曲として、今回は「雨を見たかい?」という歌を紹介したいと思います。
原題は、Have You Ever Seen the Rain?
いわずとしれた名曲ですね。
曲の構成はきわめてシンプルですが、そこはやはりシンプル・イズ・ザ・ベスト。ジョン・レノンのイマジンについて書いたときもそういいましたが、この曲はイマジンよりもさらにシンプルなコード進行です。
歌っているのは、CCR。
正確にいうと、Creedence Clearwater Revival。ただ、もはや略称のほうが一般的なので、この記事ではCCRでとおします。
CCRといえば、その中心はジョン・フォガティ。ライブハウスでマイクなしで歌っていたことによって鍛えられたというボーカルと、特徴的なギタープレイで、唯一無二の個性をもつロックンローラーです。ジョンのボーカルは、「雨を見たかい」でも存分に活きています。
ところで……以前、このブログで私が“インディーズ”として出した短編集のことを書きました。
文学フリマというイベントに出すために作ったものですが、そのなかにこの「雨を見たかい?」をタイトルとした一編がありました。
そういうわけで、この曲は実はトミーシリーズゆかりの歌でもあるのです。
例によっての我田引水ですが……せっかくなんで、その短編のなかでも触れていた「雨を見たかい?」についても書いておきましょう。
この曲は、よくベトナム反戦歌だといわれます。
発表された1970年ごろは、ちょうどベトナム戦争に対するアメリカ国内の反対運動が高まっていた時期で、そういう時期に発表されたこともあってのことでしょう。
降ってくる爆弾を雨になぞらえて、戦争の惨禍を歌っているという、そういう解釈がよくなされます。
しかし、その説には強い疑念も投げかけられています。
「雨を見たかい」というのは、本当は反戦歌じゃないんじゃないか、と。
調べてみると、どうやら、Who'll Stop the Rain という別の歌と混同されたというのが真相のようです。
Who'll Stop the Rain は、爆弾を雨になぞらえて、誰がその雨を止めるのかと問いかける、反戦の歌という解釈が成り立ちます。この歌と混同されて、「雨を見たかい」が反戦歌のように誤解された、というわけです。
なるほど、この説には説得力があります。
どちらかというと、「雨を見たかい」では、雨は渇いた大地をいやしてくれる恵みというような意味合いのように思えます。
以前、忌野清志郎のエッセイでこの曲について書かれているのを読んだことがあります。
それによると、「雨を見たかい?」というのは、アメリカ南部地方のあいさつの言葉なんだそうです。
その地域では雨がほとんど降らず、みな雨が降るのを心待ちにしている。その心情が、「雨を見たかい?」というあいさつの言葉になったといいます。
その真偽はわかりませんが、そんなふうに考えると、この歌のいわんとしていることが伝わってきます。
CCRというバンドはジョン・フォガティを中心としていますが、そのジョンのワンマン気質のために、バンド内の人間関係は慢性的にぎすぎすしていたといわれます。
そのいさかいが絶えない状態を、日照りの続く地になぞらえて、渇きをいやしてくれる雨を待ち望む……そういう歌だということになります。
そんなふうに解釈すると、この歌は今の日本に、いや、世界にぴったりなんじゃないかと思えます。
むしろ、ベトナム反戦歌という以上の普遍性を持っているとさえいえるんじゃないか。そんな気がしてきます。
件の清志郎のエッセイを引用しましょう。
CCRの「雨を見たかい?」を聴いてから、僕は実にしっくりしてきたんだ。雨を待っている気持ちが何か独特の感じになったのさ。乾燥した砂埃の田舎町で雨を待ちこがれてる感じ。この感じは、実は我々、現代人のフィーリングじゃないのか? いら立つこともあるだろう。犯罪を犯しそうになるのも紙一重だ。あきらめに似た気持ちにもなって当たり前だ。「もう雨は降らないかも知れない、自分のためには。このまま干からびてしまうのかも知れない」大人になれば誰でも一度や二度、そんな気分も味わうものだろう。つまり、ずっと日照りが続いてるってことさ。堪えきれなくなった人間が何かをやらかすのさ。それが犯罪だったり、事件だったりね。
この後、「しかし、それが美しい革命だったら、どうだろう?」と続くんですが、現実の世界では、うち続く日照りが犯罪や事件を引き起こし続けるばかりではないかと思えます。
そんな時代にこそ、雨を待っている気持ちは切実なんじゃないでしょうか、
まあ、気象の点でいえば、もう雨なんて降らなくてもいいよという状態ではありますが……
いくらか過ごしやすくなってきましたが……しかし、まだまだ暑い日が続きます。
そんな暑い日々にうってつけの曲として、今回は「雨を見たかい?」という歌を紹介したいと思います。
原題は、Have You Ever Seen the Rain?
いわずとしれた名曲ですね。
曲の構成はきわめてシンプルですが、そこはやはりシンプル・イズ・ザ・ベスト。ジョン・レノンのイマジンについて書いたときもそういいましたが、この曲はイマジンよりもさらにシンプルなコード進行です。
歌っているのは、CCR。
正確にいうと、Creedence Clearwater Revival。ただ、もはや略称のほうが一般的なので、この記事ではCCRでとおします。
CCRといえば、その中心はジョン・フォガティ。ライブハウスでマイクなしで歌っていたことによって鍛えられたというボーカルと、特徴的なギタープレイで、唯一無二の個性をもつロックンローラーです。ジョンのボーカルは、「雨を見たかい」でも存分に活きています。
ところで……以前、このブログで私が“インディーズ”として出した短編集のことを書きました。
文学フリマというイベントに出すために作ったものですが、そのなかにこの「雨を見たかい?」をタイトルとした一編がありました。
そういうわけで、この曲は実はトミーシリーズゆかりの歌でもあるのです。
例によっての我田引水ですが……せっかくなんで、その短編のなかでも触れていた「雨を見たかい?」についても書いておきましょう。
この曲は、よくベトナム反戦歌だといわれます。
発表された1970年ごろは、ちょうどベトナム戦争に対するアメリカ国内の反対運動が高まっていた時期で、そういう時期に発表されたこともあってのことでしょう。
降ってくる爆弾を雨になぞらえて、戦争の惨禍を歌っているという、そういう解釈がよくなされます。
しかし、その説には強い疑念も投げかけられています。
「雨を見たかい」というのは、本当は反戦歌じゃないんじゃないか、と。
調べてみると、どうやら、Who'll Stop the Rain という別の歌と混同されたというのが真相のようです。
Who'll Stop the Rain は、爆弾を雨になぞらえて、誰がその雨を止めるのかと問いかける、反戦の歌という解釈が成り立ちます。この歌と混同されて、「雨を見たかい」が反戦歌のように誤解された、というわけです。
なるほど、この説には説得力があります。
どちらかというと、「雨を見たかい」では、雨は渇いた大地をいやしてくれる恵みというような意味合いのように思えます。
以前、忌野清志郎のエッセイでこの曲について書かれているのを読んだことがあります。
それによると、「雨を見たかい?」というのは、アメリカ南部地方のあいさつの言葉なんだそうです。
その地域では雨がほとんど降らず、みな雨が降るのを心待ちにしている。その心情が、「雨を見たかい?」というあいさつの言葉になったといいます。
その真偽はわかりませんが、そんなふうに考えると、この歌のいわんとしていることが伝わってきます。
CCRというバンドはジョン・フォガティを中心としていますが、そのジョンのワンマン気質のために、バンド内の人間関係は慢性的にぎすぎすしていたといわれます。
そのいさかいが絶えない状態を、日照りの続く地になぞらえて、渇きをいやしてくれる雨を待ち望む……そういう歌だということになります。
そんなふうに解釈すると、この歌は今の日本に、いや、世界にぴったりなんじゃないかと思えます。
むしろ、ベトナム反戦歌という以上の普遍性を持っているとさえいえるんじゃないか。そんな気がしてきます。
件の清志郎のエッセイを引用しましょう。
CCRの「雨を見たかい?」を聴いてから、僕は実にしっくりしてきたんだ。雨を待っている気持ちが何か独特の感じになったのさ。乾燥した砂埃の田舎町で雨を待ちこがれてる感じ。この感じは、実は我々、現代人のフィーリングじゃないのか? いら立つこともあるだろう。犯罪を犯しそうになるのも紙一重だ。あきらめに似た気持ちにもなって当たり前だ。「もう雨は降らないかも知れない、自分のためには。このまま干からびてしまうのかも知れない」大人になれば誰でも一度や二度、そんな気分も味わうものだろう。つまり、ずっと日照りが続いてるってことさ。堪えきれなくなった人間が何かをやらかすのさ。それが犯罪だったり、事件だったりね。
この後、「しかし、それが美しい革命だったら、どうだろう?」と続くんですが、現実の世界では、うち続く日照りが犯罪や事件を引き起こし続けるばかりではないかと思えます。
そんな時代にこそ、雨を待っている気持ちは切実なんじゃないでしょうか、
まあ、気象の点でいえば、もう雨なんて降らなくてもいいよという状態ではありますが……