むらぎものロココ

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J.C.バッハ

2005-12-14 02:19:20 | 音楽史
jcbachJ.C.Bach Sinfonias Op.6,9,18
Overture"La calamita"

David Zinman
Netherlands Chamber Orchestra

ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)は、J.S.バッハと2番目の妻アンナ・マグダレーナとの間の子で、ライプツィヒに生まれた。父J.S.バッハが亡くなったのがヨハン・クリスティアンが15歳のときだった。彼は21歳年上の兄カール・フィリップのいるベルリンに行き、そこで当時最先端の音楽文化に触れた。1754年頃にはイタリアに行き、マルティーニ神父に対位法を学び、ミラノではサンマルティーニからの影響も受けた。1760年からミラノ大聖堂でオルガン奏者として活動し、宗教音楽をいくつか作曲した。そしてプロテスタントからローマ・カトリックに改宗した。
ヨハン・クリスティアンはオペラに強い関心を持ち、バッハの一族では唯一オペラを作曲した。彼の作曲したシンフォニアはイタリア的な3楽章形式で、第3楽章にメヌエットを置いた4楽章形式のものではなかったことも含め、彼は何よりもイタリア音楽から強い影響を受けており、ラテン的な感性を持っていた。
1760年、トリノで「アルタセルセ」を上演したことがきっかけとなって、ヴェネツィアやロンドンから招かれるようになったヨハン・クリスティアンは、1762年にロンドンに行き、それから20年もの間、彼はイギリスで最も人気のある音楽家となった。1763年にヴィオラ・ダ・ガンバ奏者で作曲家でもあるカール・フリードリヒ・アーベルと出会い、シリーズでジョイントコンサートを開催するようになったが、このコンサートは大好評で、ロンドンで最も重要な音楽イヴェントとなった。また、ヘンデルの後継者として王室の音楽教師も務めるようになり、女王とその子どもたちに音楽を教えるとともに、王がフルートを演奏するときには伴奏をした。

ヨハン・クリスティアンとモーツァルトとのつながりは音楽史的に重要で、1764年に彼はロンドンで当時8歳のモーツァルトと出会い、一緒にハープシコードを弾いたり、フーガを作ったりするなど、親密な関係を持った。イタリア的な伸びやかな旋律や暖かく、センシティヴなオーケストレーションなど、若い頃のモーツァルトの楽曲にはヨハン・クリスティアンからの影響が強く感じられる。二人はパリで再会するが、その数年後、ヨハン・クリスティアンの死を知ったモーツァルトは「ピアノ協奏曲K.414」をヨハン・クリスティアンに捧げた。