むらぎものロココ

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J.J.フックス

2005-12-03 14:30:17 | 音楽史
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Sonate e sinfonie

Lajos Rovatkay
Capella Agostino Steffani

ヨハン・ヨゼフ・フックス(1660-1741)は農家の息子としてオーストリアのヒルテンフェルトに生まれた。若い頃の記録は残っていないが、1680年にグラーツのグラマースクールに入学し、1683年にはインゴルシュタットの大学に在籍したとされている。その後、イタリアで作曲を学び、オーストリアに戻ってきたのは1695年頃、その翌年にはウィーンのスコットランド教会のオルガニストとなった。そこでの活動が認められ、1698年からレオポルド1世の宮廷で活動するようになった。1705年からは聖シュテファン教会のカペルマイスター、1713年からカール6世の宮廷の副楽長に就任、その2年後には楽長となった。
フックスには「パルナッソスへの歩みあるいは作曲規則の手引き」と題された(GRADUS AD PARNASSUM Sive MANDUCTIO AD COMPOSITIONEM MUSICAE REGULAREM)という著作がある。これはパレストリーナ様式に基づくとされる対位法の教則本であり、ラテン語で書かれており、1725年に出版された。師と弟子の対話形式で音楽の理論と実践が記述されたこの本は、時代遅れの厳格な法則を守る保守的なものとして批判を受けたりもしたが、1742年にミツラーによってドイツ語に翻訳され、この翻訳はバッハの書棚に架蔵されていたし、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンといったウィーン古典派の作曲家たちもこの本で対位法の勉強をした。
「パルナッソスの歩み」はその後の音楽の教則本に踏襲されて現在に至るが、パレストリーナ様式に基づくとされながらも実はそうではなかったこと、フックスの厳格対位法が音楽の文法的な知識しか伝えない、実際の作曲には役に立たないものであることなどが指摘されている。とはいえ、バロック末期からその後のウィーンを中心とする音楽文化と大作曲家たちにフックスが影響を与えたことは確かである。
彼の死後、その音楽のほとんどは忘れられ、「パルナッソスの歩み」の著者として人々の記憶に残った。フックスの再評価は、モーツァルトの楽曲を成立年代順に整理したことで知られるルートヴィッヒ・フォン・ケッヘル(1800-1877)が400曲ほどの作品をジャンルごとに整理し、1872年に作品目録を出版してからのこと。

→ダールハウス「ダールハウスの音楽美学」(音楽之友社)
 「第二章 テキストとしての音楽と作品としての音楽」