むらぎものロココ

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D.スカルラッティ

2005-08-27 15:12:00 | 音楽史
DscaSCARLATTI
BEST SONATAS


Scott Ross

ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)は、アレッサンドロ・スカルラッティの6番目の子としてナポリに生まれた。少年時代は父から音楽を学び、当初はナポリ楽派のスタイルに従ってオペラやオラトリオを作曲していたが、1708年にローマでヘンデルとオルガンやチェンバロの競演をしたこともあり、鍵盤奏者としてもすぐれた技巧を備えていた。
その後、1720年代からリスボンに行き、ポルトガルの宮廷に仕えるようになってからはチェンバロ音楽に専念し、チェンバロを好んだ王女マリア・バルバラのチェンバロ教師として練習曲を多数作曲した。1729年に王女マリアがスペインに嫁ぐとドメニコも同行してマドリードに移り住んだ。ドメニコはその後半生のほとんどをイベリア半島で暮らした。

ドメニコ・スカルラッティの555曲あるチェンバロ・ソナタはそのほとんどが単一楽章で2つの部分に分かれる。前半部分が長調であれば後半は主調から属調へ、短調であれば主調から平行長調へ移行し、それぞれ再び主調に戻るといった構成をとる。このような枠組みのなかで楽想を自由に発展させていった音楽は、ボレロなどスペイン風のリズムを持ち、明確な旋律と明るさや陽気さに満ちている。

ドメニコは鍵盤の奏法においてもいくつか画期的な技法を用いた。両手を交差させる奏法、マンドリンなどから着想を得たアルペッジョや同一鍵盤上の連打、あるいは楽曲を彩るトリルや装飾音などは以後の鍵盤楽器の奏法に大きな影響を与えた。