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モンテヴェルディ

2005-08-03 15:11:00 | 音楽史
monteCLAUDIO MONTEVERDI
VESPRO DELLA BEATA VERGINE

John Eliot Gardiner
ENGLISH BAROQUE SOLOISTS

音楽史上のバロック期は、現存する最古のオペラであるヤコポ・ペーリの「エウリディーチェ」が上演された1600年からJ.S.バッハが死去する1750年までの150年間とするのが一般的である。
バロック音楽は16世紀末のマニエリスム音楽、ジョヴァンニ・ガブリエーリらのヴェネツィア楽派やマレンツィオらのマドリガーレから音楽のダイナミックな動き、緊張感、コントラストを強調した構造など、劇的で情念的な要素を継承したが、16世紀末フィレンツェの人文主義者たちのサークルであったカメラータの理論もバロック音楽に大きな影響を与えた。
カメラータは、音楽・演劇・舞踊・美術など、様々な要素をひとつの形式へ総合化することを目指した。それはギリシャ悲劇の再生というかたちであらわれるが、古代の真実を回復しようとしたこの試みは、実際にはオペラという独自の形式や法則を持つ近代的な芸術ジャンルを生み出すことになった。
カメラータの主要なメンバーの一人であったヴィンチェンツォ・ガリレイは「古代と今日の音楽に関する対話」のなかで、それまで主流であったポリフォニーを批判し、ギリシャ語で「単独で歌う」を意味するモノディアに由来するモノディー様式を生み出した。
この様式は、今までのポリフォニーでは言葉の感情を明確に表現できない、つまり多声部が複雑にからみあうことによって歌詞が損なわれてしまうということから、それに代わって、声によるひとつの旋律に和声的な伴奏をつけるというものである。また、声による旋律は話し言葉の自然な抑揚やリズムを模倣した朗唱によるべきであるとして、音楽を言葉に従属させることにより、言葉の感情を明確に表現しようとするものであった。これは「芸術は自然を模倣する(ミメーシス)」というギリシャ美学に準拠するものであった。

クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)はルネサンス音楽最後の巨匠にしてバロック音楽の開拓者として16世紀末から17世紀半ばまでを生きた音楽家であった。クレモナに生まれ、1601年から1612年まで、経済的には恵まれないながらもマントヴァの宮廷楽長として活動し、ローマに職を求めて挫折を味わったものの、1613年にはヴェネツィアのサンマルコ大聖堂の楽長になりその生涯を終えた。
新しい音楽の開拓者としてモンテヴェルディは理論的に間違っていると批判されたこともあったが、彼は従来のポリフォニー音楽を「第一作法(prima prattica)」と呼び、言葉を音楽の主人とし、感情を直接的に表現する音楽を「第二作法(seconda prattica)」と呼んで区別し、反論した。しかし、この新しい音楽は、カメラータによる古代の音楽概念を復興するという考えに共鳴してのものであった。

モンテヴェルディは1607年のオペラ「オルフェオ」で、カメラータの理論を踏まえつつ、そこに多彩なオーケストレーションと伝統的なポリフォニー様式を融合させることによって、オペラをより一層高い次元へ押し上げた。また、1610年の宗教音楽「聖母マリアの夕べの祈り」はあらゆる作曲技法を駆使した集大成的な作品であり、西洋音楽史上最大の奇跡とされている。そしてヴェネツィア時代には40曲からなる「倫理的宗教的な森」がある。モンテヴェルディが生涯にわたって書き続けたマドリガーレは、それらを順に聴くことによって、彼の音楽の変遷が一望できるとともに、ルネサンス的ポリフォニー音楽から通奏低音の導入などによるバロック音楽へと移り変わっていく時代の変化をたどることができる。

→カール・ダールハウス「ダールハウスの音楽美学」(音楽之友社)
 第十一章「オペラの伝統と改革」
→カール・ダールハウス「音楽史の基礎概念」(白水社)
 第二章「歴史性と芸術性」