むらぎものロココ

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音楽の戯れ

2005-08-16 12:58:00 | 音楽史
foto_disc429_230SCHERZI MUSICALI
BIBER SCHMELZER WALTHER

Reinhard Goebel
MUSICA ANTIQUA KOLN

モンテヴェルディ周辺の音楽家たちによる器楽の実験が沈静化し、ボローニャ楽派の、技巧を前面に出すことのない叙情的な音楽が登場した頃、アルプスを越えたオーストリアでヴァイオリンの名手たちによる技法の実験が行われていた。

ヴァイオリンの名手としてその名をヨーロッパ中に知られていたハインリヒ・イグナツ・フランツ・ビーバー(1644-1704)はボヘミアのヴァルテンベルクに生まれた。彼は1668年からオロモウツ司教カール・リヒテンシュタイン・カステルコルンのもとでヴァイオリンおよびヴィオラ・ダ・ガンバ奏者として活動した。この時期にビーバーはヨハン・ハインリヒ・シュメルツァー(1623-1680)と知り合った。シュメルツァーは1635年からウィーン宮廷のヴァイオリン奏者として活動するようになり、作曲家としても1660年頃から宮廷のオペラやバレエ音楽の作曲を一手に引き受けるなど活躍し、1679年には宮廷楽長となった。

司教リヒテンシュタインは描写的な音楽を好んだので、シュメルツァーは「フェンシング指南」、ビーバーは「教会へ行く農民」や「戦争」など、描写的な音楽を作曲した。彼らもまた、このような音楽を通じてヴァイオリンの技法を探求したのである。

ビーバーはその後、1670年頃からザルツブルク宮廷礼拝堂の楽員となり、1684年には宮廷楽長となった。ビーバーはオペラや宗教音楽の作曲もした。